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   <title>KUROTERU BLOG | 黒崎輝男 ブログ</title>
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   <title>自由の代償１</title>
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   <published>2010-08-28T06:15:01Z</published>
   <updated>2010-08-28T06:16:32Z</updated>
   
   <summary>最近、若い人と会っていると、ちょっと前とは違って、どうしたら良いでしょうかね？何...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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      最近、若い人と会っていると、ちょっと前とは違って、どうしたら良いでしょうかね？何が正解なんですかね？社会はどうなるのでしょうかね？といったことを通りぬけて、こうした上昇をもとめるということすらからも離れているように思われる。

これを意欲がないとか、生命力が弱くなっているとか、はたまた真面目ではないとか、草食人間だと、大人は言う。

何も考えずに、ハキハキといつも素直に好く言うことを聞く、やる気のある人間を作ることが戦後の教育の目的であったように思われる。その為に塾に行き、受験勉強に勝ち抜き、やってきた。そう成ると、其の努力の代償に、有名大学に入学できて、大きな会社で働くことができる。

すると一生、少なくとも経済的不安に置かれなくなって、安全に平和な生活が獲得出来る。という夢と幻想。これは戦争で全てを失い、モノが溢れるほどあること、お金持ちに成りさえすればアメリカに追いつき、世界に其の存在を示すことができるかのように思った戦後の日本人の努力を否定するわけではないが、現在そこが疑われている。

大企業では社内でのコンセンサスを得て一枚板に成ってまっすぐ働く。もしこれをよしとするとしても、次はどうでるかが根本的に求められている。でも、貧乏だから、頑張って稼いでお金持ちに成った、それで何か悪いことでもあるのか？

もっとやる気をだして稼ぎまくったらどうなんだ。という声に対してまともに対抗することができなかったと言えるかもしれない。何事も好いか悪いか、2方向で考えるキリスト教的思考方法ではなく、曖昧といはれるかもしれないが、デザインや文化や人生の生き方の視点から考える。

すると経済的に数字で考える事から解放されて、急に開けてくることがある様だ。そこで大切になってくるのが自己、自己がないと、自由が何かの基準すらない。自由というのを自分の居場所なくして言うことはできない。

ネット社会で自分を隠して人の揚げ足を取ったり、暴露したりするのはこの辺がないからだ。自由とは自らが由るべき由りどころ。
      
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   <title>新しい生き方をゼロから始める</title>
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   <published>2010-08-22T00:21:08Z</published>
   <updated>2010-08-24T12:49:31Z</updated>
   
   <summary>スクーリングパッド、デザインコミュニケーション学部。 アートとデザインと人生の新...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[スクーリングパッド、デザインコミュニケーション学部。
アートとデザインと人生の新しい関係を求めて。

ご存知のようにアートには”技術”という意味と”美術”という意味があります。
『Art of Life 』と言った場合”人生の技術”。どのように生き、どのように死んで行くか。美しく生きることを意味します。
『Life art』と言った時より美術に近く”人生の美術、”パフォーマンスのように人生そのものを美として捉えています。アートとは表現者と鑑賞者の関係の上に成り立つ美的な関係です。

今後、教育ということがよりアートの関係に近づいて、教え、教わるという関係が一体となって、両方から共通に知と技術を求めて行くという関係を創造することになるでしょう。真理の前には誰もが平等で、美は人々の意識の中に平等にあります。

デザインはインダストリーと美術の関係性の上に成り立って経済効果になってきました。”デザインが良いから売れる”から”デザインが好くないと話しに成らない”というように、産業界ではデザインは前提条件です。

そこで、新しくデザインと社会との関係と人々とのコミュニケーションが一体どう成るかが問われています。そこで現代のスクーリングが重要な意味を持ちます。教え學び、生きて行く原点を、ゼロから考える。デザインの原点をゼロから考えてゆき仕事にして行く。ここから新しい社会の仕事が始まります。

これから大きく変化する社会で、変わらない永遠なものをデザインとコミュニケーションとの関係から考えて行く。そこで確固たる認識と自信を持つことこそがこれからの人生にとって最大の技術に成って行くでしょう。Art of Life.


<b>スクーリング・パッド</b>
<b>＜デザインコミュニケーションコース第11期 募集要項＞</b>
開催期間：2010年9月25日～12月18日
毎週土曜日 14：00～16：30

受講回数：全12回　
募集人数：20名　
授業料　： ￥189,000（税込）※分割払いにも対応

応募方法：ご興味のある方は<a href="http://www.schooling-pad.jp/setsumei.shtml">コチラ</a>から

<a href="http://www.kuroteru.com/img/SPDC11omote01.jpg"><img alt="SPDC11omote01.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/SPDC11omote01-thumb.jpg" width="380" height="531" /></a>

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   <title>PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展</title>
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   <published>2010-07-28T02:38:33Z</published>
   <updated>2010-07-28T05:02:43Z</updated>
   
   <summary>自転車を包む未来社会の方向について。 最近、自転車ブームといわれて久しい。世界の...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[自転車を包む未来社会の方向について。

最近、自転車ブームといわれて久しい。世界のチャリ事情はどうだろうか。アジアでは搬送や運搬のバリバリ働いているリキシャがある。これは日本語が世界語になった例。

またアメリカではポートランドやサンフランシスコ郊外、スタンフォード大学やバークレーではみんな自転車にコンピューターを積んで大学に通う。オランダやデンマークでは人口の数よりも自転車が多い。ということは自転車を使い分けている。

世界のエネルギーはSmart Gridを社会のインフラにして、電気自動車と情報網をからませて、大きく社会を組立て直そうとしている。中国は此の為に５０兆円のお金を出すことを決定したそうだ。

こうした中で日本の未来は自転車と電動アシスト自転車とのWise Wheelとでもいった、人力と能力の増幅としての機能を持たせる自転車とコンピューターの相性の良さを取り入れて、社会を回して行く動きを作って行こうとしている。

自転車の歴史から、自転車と情報の関係迄、今回の企画を通してPedal Lifeの未来を創造していきます。

Pedal Life Design コンセプト＆プロデューサー
黒崎輝男

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<b>◎東京ミッドタウン・デザインハブ第23回企画展</b>
「PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN　
アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展」

日時：2010年7月29日(木)～8月27日(金)10:00~19:00 (無休・入場無料)
場所：<a href="http://www.designhub.jp/exhibition/">東京ミッドタウン・デザインハブ</a>　
　　　東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F
主催：東京ミッドタウン・デザインハブ、ペダルライフデザイン展実行委員会

クリーンでエコロジカルな移動手段として、注目されている自転車。本展では、自転車を「働く」「考える」「食べる」「走る」「遊ぶ」の５つの動詞から考え、実車と映像を交えて紹介することで、都市と自転車と生活のデザインの可能性を提示します。期間中、関連イベントも開催予定。

* 『働く自転車 』働くアジアの自転車、写真と実物の展示
* 『遊ぶ自転車』 BMX、マウンテンバイクほか楽しめる自転車
*『 走る自転車 』ラリーや自転車レースでのカットビ自転車の展示
* 『食べる自転車 』自転車で野菜や食べ物を運び販売している例の展示
* 『考える自転車』 知的生活者の自転車と共に暮らすライフスタイル

【公式HP】<a href="http://pedallife.com/">http://pedallife.com/</a>
【Twitter】<a href="http://twitter.com/_pedallife">http://twitter.com/_pedallife</a>

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<b>◎7/30(金）OPENING PARTY開催！</b>

【オープニングパーティ】　7月30日（金）19:00-21:00
【会　場】　東京ミッドタウン1F+5F
【入場料】　無料
詳細→　<a href="http://pedallife.com/">http://pedallife.com/</a>

日本を代表するＢＭＸライダーによるパフォーマンス
大型前面スクリーンを利用した自転車仮想レース、
ＤＪイベントなど、多彩な企画で、みなさまをお待ちし
ております。東京からはじまるアジアーパシフィック
の新しい自転車生活の幕開けに立ち会おう。

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<b>◎自由大学講座『自転車学～Pedal Lifeの未来像 』</b>
<a href="http://www.freedom-univ.com/lecture/detail277.html">http://www.freedom-univ.com/lecture/detail277.html</a>

企画展開催中に東京ミッドタウンにて自由大学講座を開催！
都市・デザイン・カルチャーから自転車の未来を語ろう

日程　：8/6, 8/7, 8/15, 8/21, 8/22（全5回＋オープニングレクチャー）
受講料：28,000円（＊各回聴講制度あり）
会　場：東京ミッドタウン5Fデザインハブ


【講義内容】
＊ボードメンバーによりオープニングレクチャーから（キュレーター　黒崎輝男）
・『自転車と都市デザイン』（NPO法人バイシクルエコロジージャパン　杉浦邦俊）
・『未来の自転車社会』（サンリン自転車生活社　三輪ノブヨシ／テクノロジーライター大谷和利）
・『日本の自転車史とデザイン』（シルクサイクルズ　荒井正）
・『世界の働く自転車事情』（早稲田大学社会科学総合学術院教授　佐藤洋一／ライター　蔭山真澄／メッセンジャー　gogo）
・『地球環境と自転車』（自転車選手／俳優　マイケルライス）


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   <title>食と学びのデザイン</title>
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   <published>2010-05-01T07:26:07Z</published>
   <updated>2010-05-01T07:39:18Z</updated>
   
   <summary>私たちは日常的に「デザイン」という言葉を使っていますが、かつての日本のデザインは...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[私たちは日常的に「デザイン」という言葉を使っていますが、かつての日本のデザインは意匠ともよばれ、独自の美意識や哲学と、手仕事を基調とする精緻な生産技術の両輪によって、調度やしつらいなど、生活の全体をかたちづくっていました。

しかし戦後の急速な工業化は、生産の技術としてのデザインばかりをクローズアップしてしまい、生活全体のバランスは大きく崩れ始めています。そこで今必要なのは、もう一度日本のデザインの原点に戻ってみる、ということだと考えました。

人の生活の根幹には、「食」と「学び」があります。「食」が栄養を口から摂取し、咀嚼し、自らの身体（自身）をつくることだとすれば、「学び」は情報を取り込み、頭で考え、自らの分別（自分）を獲得することです。

何を食べ、何を学ぶか、このふたつは全く違うようでいて、じつはどちらも自分自身をかたちづくることであり、ひいては社会をデザインする原点、すなわちデザインの素（もと）ということができます。それは元気の素であり、元素、要素、素材、素養、素手、素人、素数といった言葉へとつながります。

デザインは、常にこうした人間の存在の原点に立ち戻って考える行為と、それを高度な技術で美しく創造する行為、このふたつの循環から成り立つものではないでしょうか。

とりわけ日本料理は生の素材を大切にしてきたように、日本の文化の素には、非常に豊かなデザイン資源があります。そこから心づかいや気づかい、気配りといった、きめ細かなディテールや仕上げ方を考えていくことで、日本のデザインを再生させていきたい。

それが今、全世界が共通して直面する、価値の本質的な問い直しや、生活全体を包括する地球環境問題に寄与することになるのではないか。「これってデザイン？」、そんなふうに思われるほど、あたりまえなデザインの「原点＝素」にもう一度出会うことで、日本のデザインが描く新たな世界観の可能性を探ります。


<strong>『日本のデザイン2010展』開催中</strong>
会期：2010年04月08日(木)～2010年05月09日(日)
時間：11:00-19:00
入場料：無料
会場：<a href="http://www.designhub.jp/japan/">東京ミッドタウン・デザインハブ</a>
　　　東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F
　　　
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   <title>グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #3</title>
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   <published>2010-03-23T06:13:06Z</published>
   <updated>2010-03-23T06:18:39Z</updated>
   
   <summary>グリーンの根本にあるのは葉緑素であり、これは光合成をつかさどる大切なもので、これ...</summary>
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      グリーンの根本にあるのは葉緑素であり、これは光合成をつかさどる大切なもので、これがあるから光のエネルギー変換が可能になるというのは分かってはいるけれが、更にこの役割と機能を考えてみる。

汚い空気には二酸化炭素がたくさんあり、そこで太陽光線と植物と水があれば光合成により酸素とカーボンエネルギーに変換されそれを食べて動物が生きて行ける。簡単にいって僕が理解してるのはこうしたところ、植物が健全に成長するためには他の栄養素も必要だが、光と空気と水から葉緑素によってきれいな空気、酸素と緑に変換される。

このマジックのようなことを科学的に理解する前から、人間は太陽ときれいな水と空気を心から求めていた。排出ガスや二酸化炭素の取引などという前に、自然の中できれいに生活するのがいいと感じるように僕らは出来ていると思う。

僕がここで言いたいのはこの葉緑素のような働きを人間の中で見いだすとしたらそれはなんなのだろうかということだ。

自分自身という言葉を手がかりに考えてみると、自分、自らを他者と分つもの、自分が他人とどこが違うかという認識をどこから得るのか。ここはいろいろな情報を持って比較してみないとそもそも分からない。

頭と感覚と思想によって自己に繋がるもの。これは認識を得ること、すなわち学ぶといってもいいかもしれない。自然と自分／他の生物と自分／他人と自分／社会と自分／世界と自分と言ったように。対比し比較して学んで考えてこそ自分というものが分かってくる。

それともう一方にある、自身。自らの体、身体性、これは食べたり動いたり、動物としての人間、What you eat is what you are. ここには食べたものが自分を作るといったように、口から取ったものが消化されて血と成り肉と成り、髪の毛やツメにもなるという身体を作るということがある。

だから食と学びは繋がっている。本を読んだり、目で見て認識して学ぶし、口から食物としていいものを取って体が出来、それらが合わさって自分自身が出来るんだ。それから各々の個性と考えにより自己がある。

自己を本当に得る為には精神の浄化作用、宗教も実はそうした側面がある。心の葉緑素は僕にとっては精神の浄化作用、美とも言える、きれいに振るまい、きれいに生きたいという希望。

それを実感するのはアートやデザインで生活の実体がきれいであるという認識になると思う。簡単に言うときれいな仕事をしてきれいなものを食べて、きれいな人間関係で、きれいな空間と家具に囲まれて、緑に包まれて生きて行きたいということ。

そこで心の中の葉緑素は僕の生き方からすると、きれいなもの全体、デザイン感覚なのかとも思う。クリエイティブに生きるってことは、何時も心の中に葉緑素を持っているようなものだと思う。
      
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   <title>デザインとコミュニケーションの未来</title>
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   <published>2010-03-11T19:04:47Z</published>
   <updated>2010-03-12T08:01:04Z</updated>
   
   <summary>現在、日本のおかれている情況は、世界ではアジアでの中国、韓国、インドなどの経済発...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[現在、日本のおかれている情況は、世界ではアジアでの中国、韓国、インドなどの経済発展に比べ元気がなく、スポーツでも遅れをとっているし、モノ作りでは量から質への転換がうまく進まず、デザインでもリーダーシップをどう取っていくか、文化戦略も政治情況の混乱を反映しているようです。

多様性を尊重して世界の情報のクラウドの中心になり、ハブになってゆく、デザインとアートの発信の中心になる。ここで遅れをとってしまいそうです。

これらのことは多様性を持ってそれをエネルギーに換え、デザインと文化と情報をどう解釈し扱ってゆくかをいろんな人とのセッションを通して学んでいく。

モノ作りを生産することだけではなく、プロバイダーになり創造的になる。クリエイティブインダストリーを作ってゆくかの延長で、仕事を作ってゆく姿勢を学ぶ場所が今の日本にはありません。

そこでスクーリングパッドのデザインコミュニケーション学部ではデザインとクリエイティビティー、情報とコミュニケーションを作って仕事をして行く為の要素をいろいろな視点から学んで行きます。仕事と学びを同時に考えて行きます。社会と個人のコミュニケーションを考えて行きます。

デザインコミュニケーション学部長　黒崎輝男

-

<b>スクーリング・パッド</b>
<b>＜ デザインコミュニケーションコース第10期 募集要項＞</b>

開催期間：2010年4月24日～7月10日
毎週土曜日 14：00～16：30

受講回数：全12回　
募集人数：20名　
授業料　： ￥189,000（税込）※分割払いにも対応

応募方法：ご興味のある方は<a href="http://www.schooling-pad.jp/setsumei.shtml">コチラ</a>から

SCHOOLING PAD
<a href="http://www.schooling-pad.jp/">http://www.schooling-pad.jp/</a>

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   <title>グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #2</title>
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   <published>2010-02-10T07:30:53Z</published>
   <updated>2010-02-10T07:58:53Z</updated>
   
   <summary> ヘルシンキに一泊してからスウェーデンに来ている。これからレキサンドを廻ってトラ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[ ヘルシンキに一泊してからスウェーデンに来ている。これからレキサンドを廻ってトラックでマルメに行きそれからコペンハーゲン寄って、日本に帰る。
 
 僕はいつも旅行する時、行きたいところの前か後に必ず他の都市を入れるようにしてる。例えば12月にオーストラリアにいくのに、わざとバリに寄ってから行ったり、ミラノに行くのにパリで２泊してからにして、帰りにロンドンに寄って帰ったりする。
 
昔は時間があって、ロンドンのフラットでぼーっとしていて、新聞でパリやアムスに行く安いチケットがあればそのまま出かけたりしたものだった、

その後、世界1周便で何回も廻ることで世界観を作ろうと自分で勝手に決めた時期が10年近くあった。これは僕にとって大切で、旅がしたいのであって、旅行をしたいわけではない。目的地に移動して仕事して帰ってくることだけがしたいのではない。それでかれこれ20周以上は世界を廻った。

今回はフィンエアーに始めて乗った。JALがこうなってみると、北欧の小さい航空会社で、ちゃんと飛んでるフィンランド航空はどこがいいのだろうかと思って乗っていると、満員の割に、サービスも普通によく、JALみたいにバカ丁寧じゃないことに気がつく。

空港もそんなにお金をかけてないけど文化的にきちんとデザインされてる。食事の後もリサイクルしやすいようにカップを丁寧に分けてしまうっていう感じ、アメリカの航空会社のようにガサって捨てて袋に放り込むことをしていない、こうしたことも気をつけてみると航空業界は其の国の文化と合理的に社会が廻っているかの縮図だと思う。

日本がこのまま行くと若者の現状からして骨抜きにされている今、危ない気がするが、ちょっとしたことで一気に変わるものでもあるのでこれからを期待したい。でもアメリカの航空会社にはパイロットも目的地に着いたら機内掃除をしてまた出発みたいなすごい航空会社もあるからそれはそれで良く、一時のアエロフロートの無愛想なサービスを見るにつけ資本主義の競争こそが社会の進歩をもたらすのかなと思ったこともあった。

そういうわけで家具やライフスタイルのフェアに行く前にいろんなことを社会的に見ることができるし、デザイナーは社会企業家でもあり、文化人類学者や歴史家でもあり、情報発信者でもあるので、ひたすら会社の営業の為に売れ筋の製品の開発に携わるだけではないことは確かだ。この認識さえも危ないようではつらい。

昨夜も80人ほどの会食で、デザイナーや建築家、家具会社の社長やフェアの事務局や政治家がみんな集まった。フィンランドやノルウェイやオランダやドイツからも来ていて副首相の前に座った。なぜ僕がアジアの代表でもないのに日本のデザインの現状や今後の展望を女政治家を相手に話すのかは判らないけど僕の人生はこんな変なことが多いので、ひねた冗談を言ってやろうと試みた。

スウェーディシュ・スタイル以降日本では北欧デザインが人気で、それはスウェーデンのイメージに寄与していて経済効果も絶大ではないかということを言ってみたらよく理解してると言ってくれた。グリーンなデザインに対する取り組みを進め、それに対する姿勢がいい。みんな緩く喋りながら名刺を交換するのでもなくいろんな人種が話し合っている。そして決めは、空間自体がお洒落でこうしたパーティーにふさわしいデザインがさりげなくなされていた。

<img alt="20100209105431.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/20100209105431.jpg" width="380" height="507" />
ストックホルムファーニチャーフェアの壁。とにかく寒い中植物を取り入れようとしている。]]>
      
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   <title>グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #1</title>
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   <published>2010-02-03T10:05:34Z</published>
   <updated>2010-02-03T10:09:25Z</updated>
   
   <summary>先日NHKで見た日本のモノ作りの今後についての番組を思い出している。以前は世界の...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[先日NHKで見た日本のモノ作りの今後についての番組を思い出している。以前は世界の液晶テレビの大半を生産していた日本が中国や韓国のテレビに抜かれてしまった。そこで日本の科学者が集まり、最高の性能のテレビを作り、それを1台100万でも売っていこうという話を、モノ作りの原点を美化する訳ではなく、果たしてこれが生きる道かどうかという視点も入れて構成された番組だった。

最近NHKのこの手の番組は国営放送としての責任感が溢れ、実は僕は陰ながら応援している。僕も大人になってから骨董品収集に始まり、デザインやライフスタイルを軸に色々と考え、また各地への旅行を通して見聞きしてきたつもりなので、簡単には反応しないでおこうと思いながらも、これがこの2週間ほど頭から離れなかった。

まずモノ作りというのがモノを生産するということと短絡的に結びつけられなくなってきている現実がある。労働者といっても工場労働者の制服を着た姿とは結びつけられないのと同じだ。80年代日本がこうした電化製品や自動車を工場で大量生産して世界の工場かのように向ってきた時の栄光はそれはそれで凄いものがあった。

その頃アメリカではコンピューターやソフトの方向に向かい情報と金融で世界の中心に立とうと言う戦略に出た。それが90年代以降は成功した様だが、ここにきての破綻。一方ヨーロッパの国々は文化性と歴史を武器にブランドやデザインそれに総合的な力を大人の社会の底力を見せてしぶとくやってきた。

そこで日本はデザインや文化戦略の基本がなく、美しい日本を目指そうとした政権も短命に終ったし、一昔前の、生活が第一などと経済性と生産性の延長に夢の生活があるかのようなことをまだ言ってる。僕はこの俗っぽさがどうも苦手で、そんなら社会の端っこで静かに自分の好きなものに囲まれていきるからいいと思ってきた。

しかしその前に見たテレビでの明治維新の若者の生き生きした活躍や日本が開国するころの情況を見るにつけ岩崎弥太郎でさえも塾をやっていた、教えることと学習意欲は同じような活力なんだということに気がつき刺激を受けていた。

そこでこれから何回かに分けてこのブログでモノ作りとは生産性や効率だけでなくクリエイティビティーに根ざしたもうすこし大きな人間の能力に係るものであることを説明して行こうと思う。これから僕の料理の食べてもらう前ということで、まずはこの写真を。

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   <title>多様な文化状況の創造</title>
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   <published>2010-01-28T10:36:14Z</published>
   <updated>2010-01-28T10:39:13Z</updated>
   
   <summary>先日サードプレイスコレクション（第三の場）と題したイベントで、新しい働き方を探そ...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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      <![CDATA[先日サードプレイスコレクション（第三の場）と題したイベントで、新しい働き方を探そうとしている大学院生や社会人などの若者たちと話す機会があった。

数年前にマーク・ダイサムたちが自分たちの事務所をデラックスと名付けた。そこではクリエイターが20秒づつ20シーン発表するペチャクチャナイトというイベントが行われていたが、これは世界中に広がりちょっとしたブームになった。そして様々な人達が自分の意見や作品や今やっていることをプレゼンテーションを通して発表し新しい風を吹き込んだ。

その後スーパーデラックスっていう場が出来た。これは真面目でやる気があり、明るく元気でやってきたような今の賢い若者達が、ここにきて今の社会の状況はちょっと違うなと考えてき始めた時期と重なると思う。

こういう人達は昔だったら革命だとばかりに騒ぐところだったけど、そんなことしても何も変わらないとばかりに、もっと大人に現在の状況を捉えている様だ。

家と学校、家と会社以外にどこか行く場所、居心地のいい場所を作ろうということをコンセプトにスターバックスなんかが10年前から流行り始めたが、こういう居心地のいいカフェに集まって話すということは昔からあった。パリなどではカフェクーポールやドームやいろんなカフェに哲学者や芸術家、時代を引っ張る若者達が夜な夜な集まったものだ。

これは平和な時代が続き、世の中が普通に流れて行き、20年くらい経つとどんなに良いものでも古くなり、疲労がでてくるもので、一度壊して建て直さなければ行けないという気持ちになる事と関係がある思う。

毎日、昼があって夜があり、そして必ずまた朝が来るものだから。朝起きると、枕元には犬のシュガーがいる。そして和代ちゃんから頂いた人形は僕の心を束縛からすこし離してくれる。その後、今日の野草などといいながら植物図鑑を毎日めくり、代々木公園を歩いて原宿の事務所に来る。

先日、僕が話したのはサードプレイスなんて言ってることが古くさくって、第三の場所なんて言って、結局スタバじゃあ寂しい。カフェで話そうなんてのも悪くはないけど嘘っぽい。もっと多様な状況がそこら中にあるんじゃないかと言うこと。

だいたいこんな場所で真面目な顔して成功者に話を聞こうなんて言うのがずるい。とパンクな態度で話をふった。僕は失敗ばっかしてるし、だいたい失敗したやつの話の方が役に立つんだし、自分もそこを変えればいいんだって判る。大失敗してみたり、ヒエーという気分を味わってこそ勉強になる。

まっすぐ行ったり来たりするんではなく、刺激に満ちた状況を周りに作り、20年に一度は壊してみようと言うこと。式年遷宮のようにはなかなか様式としては完成できないけど、きちんと時間をおいて変わり続けることこそが普遍的ということだと思う。波の押し寄せる海の表面を見ていて永遠を感じ取るというものだと思う。

そして最近こうした変化に対する期待感が強くなってきた気運を感じる。今年はこういう僕らの方向をブロッグしてみようと思う。問題を見つけ出すことこそが面白いんだということ。そう思えるにはあれもあり、これもありという多様な状況をいつも周りに作っておくことが大切だと思う。

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   <title>検索エンジンと知の上昇</title>
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   <published>2010-01-18T10:15:32Z</published>
   <updated>2010-01-18T10:16:02Z</updated>
   
   <summary>最近よく考えるのだけど、ヤフーやグーグルやウイキペディアを使えばもっと人類は賢く...</summary>
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      最近よく考えるのだけど、ヤフーやグーグルやウイキペディアを使えばもっと人類は賢くなって、どんどん世界の問題を解決して行ってるはずなのに、なぜか今でも人類が相変わらず愚かなことや、汚いものを生み続けているように思える。

人類も本来は他の生物の種と同じで、ひたすら種の保存の本能に従い、生きるために何でもするのだから仕方ないとは思うが、それでも真実に生きようとか、良くしたいとか、美しさを追求したいと考えるのが当然だと思うと、現在の世界で起きていることは不本意だし心配になってしまう。

そこでコンピューター文化は本当に人類に役立ってるのだろうかと思う。ふと疑問が起きて検索してみて、簡単に結果ができ百科事典や辞書も自由に使えてあっという間に調べることができるのになぜか知性が上昇しない。

知識は増大するけど見識や良識は育たない。これはやはり知性は実社会の行動や人と会って話したり試行錯誤をすることなくしては、なかなか育たないものなのだからなのかと思う。

それに検索エンジンとは、色々な道をたどってどこでも行くことができるということは判るが、実際にリアルな行動ではない、するとやはり人間は生身の動物であるから思考が深まらないのだろうか。

ネットで何でも興味の赴くままに検索するが、その為には実際の経験や、人との会話から知を引っ張ることに長けてなければいけないし、そのようなコミュニティーがないと思考が身体化しない。

それは本ばかり読んでいても何も始らないのと似ているが、ネットの知識は本よりも文字の存在が保存されない分、危うさが漂う。それは人間の頭の中に浮いては消えて行く思考の様でもある。

だから若い友人がtwitterって古文みたいに思えるって言うのを聞いて、最近、僕はブログで考えを作文の形にするのさえも少し面倒になり、徒然成るままにつぶやきを書き連ねている。

それは若い子が「何を今、してる」と言うことをつぶやいてるのとは違った使い方だけど僕の自分の中の心情と思考を自分自身知ることのヒントになる。軽い柔軟体操の意味を持つ。

今年は新年からこれらの自分のメディアとしてyoutubeの制作も加えようと思う。するとたまに呼ばれてする講演やスピーチも楽しめるし、twitterblogや人と会っておしゃべりや僕の一見メチャクチャな様々な活動も自分の中ではかえって整理されてくるように思える。

生物多様性（biodiversity）が今年は注目されてるけれが、表現の多様性と自在さ、自由は僕らをとても上昇させてくれる。そこで実際の行動と生活を学び実践することがひと際重要になってくる。

これからこうした循環が育ってくるといいなと思う。フィールドワークや実験や議論がうまくかみ合えば本来の検索エンジンの効果が出てくると思う。
      
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   <title>なぜ農業が大切になってきたのだろう？</title>
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   <published>2010-01-14T14:22:29Z</published>
   <updated>2010-01-14T14:35:04Z</updated>
   
   <summary>昨年の9月から青山の国連大学前でのファーマーズマーケットを陰ながらお手伝いしてい...</summary>
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      昨年の9月から青山の国連大学前でのファーマーズマーケットを陰ながらお手伝いしている。

世界中で普通に行われている週末のファーマーズマーケットがなぜか東京ではないように思え、数年前から機会があるたびに話してきた。池尻の学校でもずっとその話をしていた。そしてこのマーケットを始めるにあたり、僕は全体の流れや空気や雰囲気について、その底流に流れる世界の現状に対する認識などについて話し、関わることになった。

すると場所がよかったせいか、時代が求めているせいか、不思議な盛り上がりが生まれた。まず僕にとっては実行してる人のタイプをうまくキャスティングする事や、テントや什器や木のテーブルのデザインやオリーブの木の選定、グラフィックや小冊子の内容や音楽やアートディレクションをどうするか、そしてどう流れを作るかかがとても大切だったので、これをうるさく言った。そして今回メインに立ってやって下さった川畑さん達の会社の方々が上手く仕切ってやってくれた。

こうしたことの後ろには現在の世界の現状に対する認識がある。地球が無限に大きくはないことに気がつき、食料とか水とか自然に関して、自分の所属する社会さえ考えれば良いという訳にはいかなくなったことがある。

企業社会は成長イコール拡大を続けてきた。人口の爆発により100億の人が地球に住むような未来を前に、数字の上での増大こそが進歩とは信じられなくなり、ほころびてきたのだと思う。

そして農業や農的生き方が注目された。僕は「cultureはcultivateすることから」と考えてきた事もあり、食物を育てて食すことが文化そのものだと実感している。そういう訳で今年は新年から晴耕雨読している訳だ。
      
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   <title>タダの自由</title>
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   <published>2009-11-24T11:15:48Z</published>
   <updated>2009-11-24T11:18:32Z</updated>
   
   <summary>最近、ウェブ社会の未来はどうなるのだろうかということを考えている。 果たしてこの...</summary>
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      最近、ウェブ社会の未来はどうなるのだろうかということを考えている。

果たしてこの巨大なウェブ（蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報のネット）は人々を守りそして自由にしたのだろうか？あるいは人類を賢明にも良い方向に導いたのだろうか？と疑問に思うように成った。
      自動車はヘンリー・フォードが発明して以来、自由な移動手段として人類文明に大きく貢献した様だが、今になって無限に発展することは地球にとってよくない、無限に沢山のエンジンをつけた自動車が走り回っても本当の人類の自由は得られないのではないかという考えがある。

むしろ人間の未来に取っては害になるかもしれないという集合知の流れがでてきた。ここでもっと踏み込んで、そもそも自由ってどういうことなんだろうと考えてみる。自動車がなくても移動する自由は確保されるのではないか、いや自動車は絶対必要だぞなどと考えるようになるのが自然の理という気がする。

自分が思うように行動し、どんなことも好きに出来るのだろうか？好きに考えて行動することがで自由ということなのだろうか？

Freeとは自由という一方で、無料という意味がある。freedomとは奴隷のような束縛から解放されることを元々いう。所有する為の労働から解放されて自由に所有することをタダ、すなわちフリーというのだろう。

すると現在のグーグルやヤフーでやっていることは自由にタダで情報を得ることをベースに全てのビジネスができている。Wikipediaなどや電子図書キンドルなども大きくはこの流れで、誰でもその気になれば自由にタダあるいは無料に近くフェアな価格で知が等価交換されるということに立脚している。

現在の40代ぐらいの人達に取ってはお金を儲けるのは自由を得るため、お金があれば自由が得られると一本道のように考えられてきた。また一時はコンピューター社会は無限の自由と繁栄をもたらすと信じられていた。しかし現在、どのように若者が考えているかというと、如何にタダで自由を獲得するかということではないか。

もし現在本を買うお金がなくても、問題を考えることができれば、いくらでも検索やネットからの情報で調べることができるし、問題設定も先ずお金からスタートする考え方から解放されると（フリーになれば）全然違った面白い答えを生きることができる。

何処で儲けてるか判らない、どうやって収支の辻褄を会わせているのだろうかといったことがウェブのビジネスには多い。ここは無邪気な子どものような問題意識からそのまま仕事をやりきってしまい、どうにか成り立たせることが多い。

自由はタダでも充分得られる時代に成ってきた。これからは僕等の時代だぞと思えるのは今までの社会ではダメな人達ではないか。僕にもその資格は充分ある。僕は充分にダメだからね
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   <title>悲しき熱帯</title>
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   <published>2009-11-12T06:49:21Z</published>
   <updated>2009-11-12T06:49:46Z</updated>
   
   <summary>10月30日にレヴィ＝ストロースが100歳で亡くなったそうだ。僕等の世代ではサル...</summary>
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      10月30日にレヴィ＝ストロースが100歳で亡くなったそうだ。僕等の世代ではサルトルやフランスの哲学者と共にとても影響力のあった構造主義の中心人物が1世紀生きて天国に往った。

特に彼のことで記憶に残ったのに、彼の若い時にブラジルのアマゾンに社会学の調査に行き、ムルンギン族という種族の婚姻形態を研究して、それをまとめた論文の名前が、悲しき熱帯っていう題だった事がある。
      まるで詩集やアルバムのタイトルのような名前。アマゾンの種族の婚姻形態と種族を調べに行くだけで凄いのにそれをこんなにお洒落な題を付けたのに先ず惹かれた。アマゾンに行くのは当時は本当に冒険旅行だったと思うし、僕の憧れていた勇気の在る冒険家、知識人ー思索家を見たように思い、とても興味を持った。

その当時、僕等の理科系少年達にとって良く分からないけど格好良い、ブルバキという数学者集団がいて、その郡論とこの文化人類学の種族の概念を構造主義で結びつけ、更にサルトルの実存主義をより大きなカテゴリーの観点から論争でやっつけたりしていて、本当にレヴィ＝ストロースは格好よいなと思った。

文科系の人が数学の郡論を種族やそれらのカテゴリーの構造そのものに考えを持ってきたりするところがダイナミックな思考の自由さを感じた。

とかく人間は自分の所属している社会や種族を他より優秀だと思うものだし、そうしたところから愛国主義や郷土を愛する心があるのだと思うが、アマゾンに行ってそこでの結婚のシステムがキリスト教の結婚観と違うのはもちろん社会学、民俗学、文化人類学をまたぎ数学の郡論とつなげるというところに興奮した訳だ。

それは当時のヒッピー的な、ベルトも締めずにヒップでジーンズをはくいい加減な人種達に勇気を与え、思考の自由さと本質を掘り下げる面白さを教えてくれた。それらの中からコンピューターやアートの天才が生まれた時代だった。僕の中ではこの文化の多様性の概念の前に在るカテゴリーや分け方の基準そのものを考えるということがいたく気に入った訳だ。

それを悲しき熱帯などという洒落た題にして冒険旅行の結果を論文にまとめた人がいるというだけで嬉しかった。この偉大な人間が丁度100年生きて天国に行ったという訳だ。

現在、今までのカテゴリー分けでは分けられない事象が色々と起きている。人間が本当に賢い動物かと疑うようなことがそこら中に起きている。人類という種、日本人という民族さえも本質的に考えた方が良いような時期が来た。日本人は何なのか。日本文化とは。世界の文明の行方。人類の未来など今迄あまり考えなくても良かったことを考えるときが来た。

身近な生活とお金だけではない、少し大きな視点や、より本質に近いことを考えて勇敢に立ち向かいたいと思う。まず体を鍛え直さなくちゃと思いトレーニングの計画を立てた。明日から晴耕雨読的な日本人の思想でこのレヴィ＝ストロースおじさんを乗り越えなくちゃね、という訳だ。
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   <title>デザインの行方</title>
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   <published>2009-11-03T08:49:13Z</published>
   <updated>2009-11-04T04:16:19Z</updated>
   
   <summary>デザインのイベントが様々な所で行われている。 僕たちはSwedish Love ...</summary>
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      <name>OFFICE</name>
      
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[デザインのイベントが様々な所で行われている。

僕たちはSwedish Love Storiesというテーマで行われる、<a href="http://www.swedish-style.org/jp/">Swedish Style10周年の展示会</a>の会場構成や様々な事を手伝っている。]]>
      そして僕が集めてきたヴィンテージ家具やスウェーデン人の建築家のデザインの椅子のプロトタイプなんかとErik Hoglundというガラス作家のガラスのコレクションをオリジナル原画とともに飾っている。

他の家具屋や小物雑貨の会社と違って、僕なりのスウェーデンデザインへの愛情を表現している。モノも集めて組み合わせると、その組み合わせと一つ一つのセレクションから趣味が見えてくる。僕もよく見ると自分らしい組み合わせだと思える。

不思議なもので長い間デザインを考えてくると、ちょっとモノを見るとその裏のデザイナーの意図や製造企業の思惑や、そしてそれをどのように表現して行くのかの作戦に目がいく。デザインの存在意義が思い浮かぶ。

デザインが商品の売れ行きにとって大切なものになってきて久しく、現在アジアの中国や韓国やインドではデザイン教育、デザイン大学が沢山できて、デザインの優劣が其の企業の顔になってきた。

デザインを包む環境が其の国の文化度を表しているようだ。そこで大切なことは、表面的な形態よりもその中に隠れているストーリーをどう読み解くか、何処に本質があるかを見抜けるかである。

しかし多くの企業はマーケティングの視点で売れ行きのみを気にしているのが現状であり、日本の企業は弱っているのがデザインから読み取れる。この現状をどのように解釈すれば良いのか。

今後デザインというものがどう文化として、意匠性としての意味から、ものの存在そのものの意味に係って行き、文学や音楽のように人々の感性に訴えかけるものになって行くかが21世紀になってのデザインの行く末を占うことで大切になっているように思う。

僕も10年前に東京のデザインシーンを作るべくTokyo Designers Blockを始めたが、その後現在まで、デザインウイークやデザインタイドなど様々なイベントが行われてきた。

ここに来て急にその様相が変わりつつある。地球環境が変わり世界の経済環境が変わり価値観が変わり文明の行く末が考えられている。ここでこのまま2009年を終わらせたくない。何か自分たちなりにこれはというものを掴みたいと。

丁度青山の国連大学で9月からFarmer&apos;s Marketを始めた。また今回から本を売っているヒトも集めて、オリジナルのbookman&apos;s marketというのも始めた。

するとこのごろの熱気はデザインに取って代わるようだ。晴耕雨読というけど、雨が降れば読書をして天気がよければ農園で耕作するという単純な生活を基本において、文化ができてきたという日本の原点のようなものが現代ではどのようにやれるのだろうか？

本に対する若者の注目と農業に対する興味は沸々とわき上がり始めているようだ。
これからのデザインはどのようにするかだけど、僕にとっての注目は若い農業をやっている人がデザイナーと同じような顔をしていることだ。

ファッションもデザイナーがほとんどいけてる農民と同じように日焼けして健康そうに目を輝かせている。どのような美意識、デザイン感覚を持ってこれからの農的生活を作って行くか。

ここがこれからのデザインの行く末に重なって見えてくる。趣味の良い生活は晴耕雨読が基本にあってこそある、と思えてくる。そうすると、どんな家具でどんなライフスタイルでどんな生活を送るかのイマジネーションが湧いてくる。
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   <title>豊かなはずがそうでない今、の考察</title>
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   <published>2009-10-20T15:38:36Z</published>
   <updated>2009-10-20T15:40:00Z</updated>
   
   <summary>最近のスクーリングパッドのクルーを見ていると、今迄は就職で人気企業であった大企業...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="en" xml:base="http://www.kuroteru.com/">
      <![CDATA[最近の<a href="http://www.schooling-pad.jp">スクーリングパッド</a>のクルーを見ていると、今迄は就職で人気企業であった大企業に働きながらなぜか悩み、今後は自分で何か始めたいという人が多いようだ。]]>
      大手のメーカーや保険会社や銀行などの一昔前の人気企業が急にこのところ景気が悪くなって、このまま成長することに期待ができない直感を持っている。

考えてみれば人類の文明の急激な拡大で、自動車はどんどん買い替え、家は大きくなって豪華なことが豊かであり、食べ物は益々海外の食材を大量に使い、消費文明を謳歌すべく全ての会社は拡大し続けることを宿命としてきた。

しかし文化的に、賢明に人類がなってきた訳ではなく、愚かで、軽薄なことすらも消費する為には推奨されてさえいるようだ。

それに輪をかけ、マスコミや情報産業はどうにか引っ張って、消費拡大に持って行くことに躍起であるようだ。そもそも、そういった姿勢が問われているのではないのだろうか。

銀行からのお金で土地を買ってしまった以上、ここに家かマンションを建てなければやって行けない不動産会社や建設会社、働く人の生活を支えるにはもっと売り上げを増やさなければいけないかのような脅迫観念に苛まれ、社長も社員も追い込まれ、社会の誰のせいにもできず、ストレスと欲求不満が溜る。

そこには真面目に勤勉にやって行きさえすればそれで上手くいくという漠然とした信念を教え込まれそして信じてきた。そこで不真面目になることもできず、悪いふりぐらいはするがまるで弱虫、どうして良いかと病んでいる。

しかしこうなる前の貧しい時代は、兎に角モノが溢れることが豊かなことでモノが沢山在る状態が幸せで安全だった。一体、豊かな生活は、何処にあり幸せな心情とはどんなものなのだろうか。

デザインしてモノを作ることを職業としている人は、いきなり上司から10万個売れるものを兎に角作れと言われる。こうなると豊かさを追求するというより追い込まれてしまっている。

貧しい心情で日々生活している。自由に美しく、いいものを作ろうなどとはかけ離れて、大量販売をしないとやって行けないので少しでも安いものに走り、全ての知恵がそこに向けられる。

こうした八方ふさがりな状態を若者は感じ取って、しがみつくよりも自由に生きようと思う人がいる。僕はここのところを助けたい。しかしスクーリングパッドで自由の空気をいっぱい吹き込み、そして勝手に行けとばかりに放すと、今度は急にしぼんでしまう。

丁寧に少しずつ負荷を与えて行かないと中々自由には飛び立てない。僕がいつも言うのは、死にそうになる大病や、大失恋や、倒産したり、経済的に破綻したり、もうあり得ない状態は現在平和な社会であるが故に滅多に経験できない。食べ物がなくて飢え死にしそうな人がいる訳でもないのに、とても貧しい。

こういうときは自分なりに目的を持つ才能があると大いに助かるものそれを探そうと言っている。まわりのヒトに良くするよりも自分だけは良く成りたいと思うし、弱肉強食で強くなくては生き残れないかのようだ。

だけど、こういうときこそもっと大きい意味でみんなが良くなる道を考えるのがいい。それを自分の身近な所に落とし込んでやってみる。これにも勇気がいる。こんなことをやってみたいと思う。それには又始めから考えてみないと。
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