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   <title>KUROTERU BLOG | 黒崎輝男 ブログ</title>
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   <title>持続可能-サステナブルについて</title>
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   <published>2008-10-06T04:13:10Z</published>
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      僕にとって夜中は大抵ミュージックビデオや映画を見ながら、毎週のようにもらったり買ったりした本や雑誌に目を通す時間だ。

今日はパルプフィクションの後にリアーナのDisturbiaのPVなどを見て、ユマ・サーマンとリアーナが凄く似てるということを発見した。そうだ今度やるイベントに都市の中に理想郷を求めるという意味でurban utopia--URBABIAなんて造語がいいなと思ったりしながら、1998年にNICK DINEとやったNYのイベントもこのコンセプトだったなあと思い出したりした。そういえば夜中によっているNHKのイギリスの庭園の番組もなかなか良い。など想いを巡らせていると、ふと今はっきりさせておかないといけない事に気がついた。
      サステナブル-持続可能な社会ということを毎日考えながらどうもすっきりしない。元々、やたらエコとかサステナブルとか，ロハスとか言う言葉を聞くと偽物臭く感じたものだったが、なぜだろうと考えると、自分は安全なところにいながら世の中に少しだけいいことをするという自己満足的なのが気持ち悪く、それがさらに金儲けになってくるというのも嫌な感じなのだ。本質(substance)や表に出ていない水面下の本当の存在から出たものであれば納得するのだけど。

一昔前、僕がデザインというとカッコつけていて偽善的、第一デザインが良いというものは売れないし，などと言われてきたのを思い出す。サステナブルとは本来、人類の社会が気候の温暖化や人口の爆発的増大やその他文明の自己矛盾から人類の存続が危ないという否定的なところからきたものでなくて、発展的に人間の文化が進歩して行くためにどのような循環がいいのだろうと求められるかというところから始まったものだと思う。

それが危機感をあおり、自分はちょっと良いことしている側につこうという立場からモノを言おうとするから気持ち悪いんだ、今日昼間、生意気というデザイン事務所をやっている昔からの友人のデイビットと話していてかれは違うと思ってすっきりした。ニュージーランド人の彼らが日本でデザインの仕事を始めた時、イデーワークステーションのロゴなんかを頼んでからの付き合いだ。仙台坂上のボロやの庭にいっぱい植物を植えて鎌倉山と行ったり来たりしてるらしい。彼らと本当に深いところから自然で理にかなった生活というのを少し考えてみたい。まず考える前提条件と設定が違うのだということがわかった。そしてサステナブルという言葉を継続的に進化する循環でそれがどうすれば可能かと考えると、少しほっとした。

その後、僕の一日は、先日知り会う事のできた新しい友人、古平正義さんから頂いたヴィトゲンシュタインの日記の本をぱらぱらとめくりながら、深夜に犬のそばで寝るという終わり方をした。
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   <title>自転車操業、BMX的発展</title>
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   <published>2008-10-06T03:56:23Z</published>
   <updated>2008-10-06T03:57:02Z</updated>
   
   <summary>ブックコンシェルジュコースで出版界のことを聞いていると、最近の大手出版社は毎年ど...</summary>
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      ブックコンシェルジュコースで出版界のことを聞いていると、最近の大手出版社は毎年どんどんと新しく本を出版しなければいけないシステムになっていて、次から次へと新刊本を出す。さもなければつぶれてしまうシステムに落ち込み、それにより出版物全体の売り上げは減っているのに新刊書の数は増えているという状態になってしまった。すると昔のように丁寧にいい本を作るということができなくなり、かつ儲かりもしなくなった。
      業界は違うが、最近騒がれているサブプライムローンも、ディベロッパーがどんどん新築しなければ業績が悪いと見なされ株価も下がるので、無理して建てて返済能力がない人にもローンを組ませ、その危ないローンをサブプライムローンと呼び、それらを安全なローンと混ぜて、金融債権にかえてそれを売り買いする。つまり本質をずらすことによるまやかしの発展で会社の売り上げをのばす、走らなければ転ぶという自転車操業に巨大企業が落ち込んでしまったことによる当然の帰結としての破綻と見るのが正しいと思う。

そもそも現在の地球を覆う閉塞感というのも、こうして会社が大きくならなければ、進化ではなく、量的拡大なくして企業、いや社会の発展はないという漠然とした方向に対する疑問、無力感からくるものだと思う。限られた地球の大きさに対し、無限に大きくなってきた人類の欲望、それに対峙してどうしていいかわからない、という状態があるのだと思う。大人になってきた人類社会が質的進化を大切にし自然に対して謙虚に慎み深く働きかけ、暴力的に自然を破壊しないこと。数字にだまされないこと。こうした方向の上にしか人類の未来はない。

先日僕らのイベントで世界一のBMXの操作のうまい子達がパーフォーマンスを見せてくれた。自転車を巧みに操作し自転車と戯れ、慈しみそして前に進むだけでなく循環する。これを新しい自転車の操業の仕方だし楽しみ方だなと僕なりに解釈した。これからは前にいかないと転んでしまうような運転ではなく、後ろに行ってもいい感じに操縦しないといけない。BMX的発展。若者がBMXを運転するのを見て、循環する進歩。そんなことを感じてうれしくなった。
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   <title>土地は預かりもの、時間は共有するもの、そして知恵は？</title>
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   <published>2008-09-22T08:11:34Z</published>
   <updated>2008-09-22T16:30:57Z</updated>
   
   <summary>先日、ドイツ人の友人と話していて、ふとインスピレーションを得たことに、そもそも地...</summary>
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      先日、ドイツ人の友人と話していて、ふとインスピレーションを得たことに、そもそも地球上の土地すべては神様からの預かりもので、我々が所有を主張しているのは、ほんの2-300年間で、イギリスやフランスでも1000年所有している家は少ないというのがある。
      所詮自然は地球のもので、そこに住まわせてもらってるということ。これはアイヌやエスキモーや先住民の知恵でもある。しかし近代になって所有権にこだわり、マイホームを持つことが目的になった。

アメリカでもこうした移民や低所得者層にアメリカに家を所有するという幻想をあおり、其の所有権を債券化し商品化し，そしてサブプライムローン問題が起きた。日本のバブルと同じ。もしそんなに変な欲をかき立てられなかったらこんなことは起きなかっただろう。

一方、毎日オフィスから明治神宮を見下ろしていると、こんな大きな森も、100年前に日本中の植木屋さんが集められ明治天皇を祀るために建てられたものだと知って、昔からあるといっても、自然は作るものなんだなと思う。

僕はこの30年間、毎年20回ぐらい旅に出るのが生活になってきていた。するとある年などは年中軽い時差ぼけ、ふと目を覚ますと、今どこの国の何処の都市にいて、誰の横に寝ているのかすっかり分らないことがいっぱいあった。

すると自分の家もホテルも友人の家も居住も滞在も同じように思ってきた。居住と滞在、所有と使用の変換。良い時間が過ごせるには良い人がいて、そしていい人はいつも知的刺激や感動やインスピレーションを与え続けてくれる。知恵は出し合うもので秘密にするものではない。

しかしこの年になると、自分で庭をデザインしてみたくなる。小学生の頃、自宅の庭の端っこに植物園を作って、毎週末、牧野富太郎の植物図鑑に基づき色々な野生植物をとりに高尾山や深大寺のあたりの林を回ったものだ。

その時の仲間は自由学園の吉良さんとか僕のおじさんの科学者とかと一緒に野生植物の名前を当て合ったりしたものだった。祖父の家も庭にイギリス風の庭をおばあちゃんが大切にしていて、野菜もチシャなんかを育てていたのを思い出す。

それらの記憶や共に過ごした時間が豊かなのであり、借金してマイホームなんていうのは幻想にすぎないんだと思う。でも自分で設計した家に気に入った庭を造るのにはいくらかのお金が必要だな。
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   <title>それでいいのだ</title>
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   <published>2008-09-17T10:09:42Z</published>
   <updated>2008-09-17T10:10:09Z</updated>
   
   <summary>天才バカボンでは、なにがあっても、どんなにひどいことがあっても、それでいいのだと...</summary>
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      天才バカボンでは、なにがあっても、どんなにひどいことがあっても、それでいいのだということになる。これは水の流れのように、全ての事はたとえ迂回しても、流れるべくして高い方から低い方に流れるものだという風に僕は解釈している。


      実はさる大企業の幹部が、若い者を見ているとすぐに、そうじゃないと言ってしまうことを取り上げて、どうしてでしょうねえ黒崎さんと言われたばかりだ。

そんなこと知るか、若いからいつも間違っている訳でもないだろうし、年をとれば正しいことを理解できるようになる訳ではないが、だからといって若者に迎合して、へらへらとそれでいいのだと言うのは嫌なものだ。

だけどふと考えると、全ての事を肯定的にみて、全ての事には意味がある、そうなるのには理由がある、だから事実を認めてそれでいいのだと言ってみると意外に納得するものだ。

僕が今あるのもそのようなもので、これでいいのだ。そもそも自分で生まれようと思ってここにいる訳ではないし、地球に生まれ、日本のここに生まれたのも自分の意思でもなく、偶然だし考えてみれば、これでいいのだと思う。するとどんなことがあってもその場でこうあることが必然に思えてくる。

それと同じように、他人の行動もそれでいいのだと認めないわけにはいかなくなる。今日、リーマンブラザースがつぶれたと騒いでいる。しかし不況になろうが、株価が下落しようが、金融不況が来ようがそれでいいのだと言ってみよう。そこで自分はその中でどう生きるかと考えると、それでいいのだと思えてくる。
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   <title>Into the wild</title>
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   <published>2008-09-16T06:02:38Z</published>
   <updated>2008-09-16T08:56:09Z</updated>
   
   <summary>昨日、Into the Wild〜大自然の中にという映画を見た。ハーバードでロウ...</summary>
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      <![CDATA[昨日、<a href="http://intothewild.jp/top.html">Into the Wild〜大自然の中</a>にという映画を見た。ハーバードでロウスクールに行かずに真理を求めてアラスカの大自然を目指し、そして死んで行く青年の実話を基にした映画だが、ショーンペンが監督としての才能を見せている。]]>
      ハリウッドの娯楽大作ではなく、まともに哲学的な題材を詩的にかつ現代の問題として描いている。日本の今の若者にもみられる、現在の無意味な社会の方向性に対し、真実を求め自然の中に向かって旅をするという映画はかつてもあった。

Midnight Cowboyでダスティンホフマン演じる主人公が汚い大都市のニューヨークのからマイアミに夢を見て旅したり、Easy Riderではピーターフォンダ達がバイクで本当のアメリカを探しに大陸横断をし途中で撃たれて死んで行く。

これらはみんな共通して現代のアメリカを題材にして真実を求めて、旅をする若者を描いているようではあるが、一方、日本での僕らの生き方にも近いようだ。真夜中のカウボーイもイージーライダーもその旅の途中での友情や人々との心のふれあい、それから家族や親子の関係、物質世界との関係のように、クラシックな禅僧の修行と被せてみてしまう。

その道では昔から、日本人は俗世間を捨て、修行の道に入って行ったものだが、その過程では不殺傷でシカなんか殺したりしないし、ジャガイモの原種が毒を持っていたのを知らないような無知はなかった。

ショーンペンもこうしたAsian Wisdomに対してWhole Earth Catalogueのスチュアート・ブラントのような視点を持ちながらも今の若者のもうキャデラックなんかいらないから中古のダットサンで充分だし、欲しいのはトルストイやソローの森の生活-ウオルデンのような自然と対峙した静かな生活なんだということが実感として感じられてきているのは確かだと思う。それを古い本と鉛筆で手描きで記すところがとても良いと思った。

安岡さんとのブックコンシェルジュの一回目のセッシオンで、このInto the Wildのように本を抱えて真実を求める若者がいる限り、僕らのやろうとしていることはきっとこれから意味を持つだろうなと思うと確信を持った。

また先日、スクーリングパッドの説明会に来た若者達にも企業の中での生活すなわち、社会で生きること＝働くこと＝就職＝どこかの企業の社員という図式から逃れて、もっとほかの生き方を模索している。

世界旅行をしたり、その過程をウェブマガジンやブログで発表したり、その前段階としてスクーリングパッドでそれを可能にするステージを作って行きたいというような人々が来てくれた。

スクーリングパッドでは代々このような人が何人か必ず来る。これは運命だと思ってぼくもまともにこうした人々の力になりたいと思った。それにつけ、ある意味地味なこの映画が暗くなりすぎずに、こうして人気が出ることはうれしい。

そう思って今日も代々木公園から明治神宮を散歩すると、これからもっと日本の文化をちゃんと勉強してショーン・ペンにアドバイスしなきゃと思った。
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   <title>2008年のデザインの状況</title>
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   <published>2008-09-11T21:43:15Z</published>
   <updated>2008-09-12T07:47:16Z</updated>
   
   <summary>ここのところ、ものが売れなくなっているそうだ。ブランド物やデザイン物の売り上げが...</summary>
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      ここのところ、ものが売れなくなっているそうだ。ブランド物やデザイン物の売り上げがすっかり減ってきた。商品を消費することは、本当はそれほど必要ないのに無理矢理消費の欲望をかき立てられてきたものだが、もっと大切なものがあるような変化の予感を感じる。デザインでもフィリップ・スターク的なものが少しうんざりした感じになってきた。
      サステナブルとは存続可能な発展を目指すことで、循環的で再生可能なものだ。これをデザインで考えるとただ消費するのでなく、再利用も含めて次の時代の世界のビジョンを想定し、生活をイメージする必要がある。地球の自然の急激な変化を緩めなければいけないということを意識した、「もったいない」という昔の日本人の発想に近いものだ。

まだ足並みは揃わないが世界中が問題意識は持ってきている。今年のデザインウィーク、Design Tideや100% Designなどを考えたとき、Save the planet with wisdom and creativityといったテーマが浮かぶ。今までの利口さやアカデミズムは本当に地球にとって賢明さを追求してきたとはいえないのではないか。ワイズに考え、その中でどう生活し消費しモノを大切にして行くか、そこがまず大切だ。

そこで美しいもの良いデザインというものが見えてくるはずだ。中国や韓国はデザインが国力のバロメーターとばかりに力を入れてきている。サムソンの全体のデザインへの投資はすごくてブランドイメージもソニーを抜く勢いがある。そこで僕らはもう一歩賢明に時代を読み、澄んだ目で次の時代のデザインを考えなければいけない。

ところで、一昨日から青山のスパイラルでアルテックの家具とマリメッコの布を展示している。オープニングには行かなかったのでフィンランドからきた女社長と電話で話をした。お昼にあまり人がいない中でみるとやはりアルヴァ・アールトのデザインは確固としたものがある。アルテックという世界中で知られている家具の会社は社員50人程度でやっているらしい。

何かサステナブルと繋がる感じがする。まず元々の生活が浮ついてない。今年の春に行ったフィンランドの話をしていたら、ジャスパー・モリソンがやはり人があまりいないときに見に来た。オーといった感じで立ち話しをしたが、彼も変わらないし動じない。

そういえばこの辺の話〜デザインの本質についてジェームス・アービンと一緒にスクーリング・パッドで話してくれるといってくれた。僕で良かったら、If you wantとつけ加えるところがにくい。

これから刺激を受けなければいけないのはこうした基本的な視点。ふとした品。これが今年のデザインの感じだと思う。
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   <title>百瀬博教の存在</title>
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   <published>2008-09-09T23:22:24Z</published>
   <updated>2008-09-12T09:44:31Z</updated>
   
   <summary>今年の1月の未明、百瀬さんがお風呂の中で他界された。忘年会をスモークで12月末に...</summary>
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      今年の1月の未明、百瀬さんがお風呂の中で他界された。忘年会をスモークで12月末に安西水丸氏とレスラーの高山さんと百瀬さんとやったばかりだった。みんな信じられずに忍ぶ会でも何か不思議な感じだった。その後、利害関係のある人はパッとクモの子を散らすように去り、百瀬さんのことを忘れられない人だけがたたずんでいた。


      <![CDATA[池尻にスノードーム博物館があるのでみんなが集まり、彼の書いた詩集やいろいろな本が50種類ぐらい集まった。そして彼の習慣により皆で写真を撮ると、必ず光の玉が映っている。これはきっと百瀬さんが、おいみんな，ちょっといってくるからな、とばかりに天国に行き、写真を撮るときはおりてきているのではないかと思うに至った。

そこで百瀬さんは実はまだそこにいて、みんなのことを見守っているのだと仮定した方が僕らのこれからの人生にも良いし、きっと百瀬さんも喜んでくださるのではないかと皆で思う。これからウェブサイトを作ったり、定期的に集まり井上さんや身近な人がメモした言葉や写真やコレクションを基に記憶を書き取って、その時は百瀬さんにご足労願うことにした。

百瀬塾の復活だ。そこで先日マスターマインドの本間さんにお会いした。本間さんからいかに百瀬さんにお世話になり今の自分があるのは百瀬さんのおかげだということをお聞きした、彼は泣きまくっていた。それから安西水丸氏にお会いして、スノードームや百瀬さんとの旅行の話をお聞きした。いろいろと面白い逸話やこぼれ話があって、笑いながら泣けてしまった。

こうした感情を持たせる人はそんなにいない。また百瀬さんの人間性に触れた気がした。そこでこのブログを読んだ人で百瀬さんに同じような感情を持っている人はぜひ世田谷の池尻に集まり、彼の残した言葉と存在を感じてもらい、それから講師を毎回たてて話してもらおうと思う。遺作集も出したい。こうしたことが今はもう少なくなってしまった、本当の日本人、いや東京人にむくいることになると思う。

名言の数々例えば、小さな親切、大きな下心。これは彼が親切で女の子にちょっとプレゼントしたりしてるけど、下心は心を奪い百瀬さんのこと好きにさせちゃうとか、見所のある人にはとことんよくするのは、漠然とその人の将来が楽しみだからといった意味だと解釈してる。こんな言葉がたくさんよみがえってくる。


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   <title>スポーツとデザインについて</title>
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   <published>2008-09-08T06:51:13Z</published>
   <updated>2008-09-08T06:51:41Z</updated>
   
   <summary>北京オリンピックも終わりパラリンピックが始まった。このパラリンピックの方が本当は...</summary>
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      北京オリンピックも終わりパラリンピックが始まった。このパラリンピックの方が本当はスポーツを必要としている人たちのために生活と生きる糧になっているスポーツが見えて良い。

東京でもう一度オリンピックをするのなら、北京型の国威発揚の場としてのものでなく都市の文化としてのグリーンなオリンピックにしないといけないと思う。

      日本人は国際的に活躍していくコミュニケーション能力が弱いといわれている。NOといえない日本人、曖昧ではっきりしない日本人、住所も曖昧な日本などと言われる。僕は、文法が肯定文ならYESで否定文ならNOである英語と違い、日本語は相手と同じならハイで違うならイイエであるとはっきり言ってきた。

住所も古くからある地番を基にしているので、ストリート番号でない表現だ。それでも郵便もちゃんと届くし住所は確かに決まっているのだ。そして人間も曖昧なのでなく遠慮がちなんだと言い張ってきた。

しかしことスポーツに関しては、オリンピックやサッカーで大和魂などといっても、国内の価値観がまるで勇気や勇敢な行為に体を張るということがみられない。安全に生きている我々日本人の今の社会の空気では精神性が弱く、オーストラリアやスウェーデンやポートランド周辺のアメリカなどに共通して見られる文化としてのスポーツの面が弱いと思う。

毎日、一生懸命走ったり、泳いだり、チームのためにフェアーに戦ったりする美しさに触れることが少ない生活を送っているようだ。生活の一部でありプライドと品性を感じさせるランナーに出会うことが少なくなってきた。それは安全に手堅く生きながらえることが一番大切でアートもデザインも人生の中に入ってきていない。

アフガニスタンで殺されたNGOの方も生き方として今の日本人には珍しく、危険だが人のために青春を捧げようという気持ちで、覚悟を決めてアフガニスタンに農業指導に行ったのだから、当然狙われる危険性も考慮していたはずだ。

そしてこれが彼の生き方だったという所に尊厳がある。ペシャワール会は日本人を引き上げさせたようだが、残念ながら世界の人々に日本人は弱虫だと思われても仕方がない。名誉の死者を出しても、そこから志を受けて現地の人を助けてこそ流石というものだ。

これが世界の現実でありそこから逃げない方が良い。スポーツにもそれがないと大きな生き方のデザイン、人生の美学が感じられなくなる。


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   <title>今から必要な知性</title>
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   <published>2008-08-30T17:45:31Z</published>
   <updated>2008-08-30T17:46:02Z</updated>
   
   <summary>現在の日本の教育水準が低くなっているとの指摘がある。60-70年代はまだ塾や様々...</summary>
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      現在の日本の教育水準が低くなっているとの指摘がある。60-70年代はまだ塾や様々な学習設備がないにも係らず、日本の小学生の水準は高かった。しかし、これもどういう問題に対する学力なのかが重要だ。

      数学や理科など様々な知識を持っているかや、独自でユニークな発想があるかという点ではなく、みんなが知らなければいけないことを人より多く知っていて、人ができないことを相対的（偏差値的）に解決する能力がことが主眼になっているようだ。

昔はもっとガキが遊んだ。遊び道具も自分で作ったものだ。テレビのクイズ番組のように東大や慶応を出た奇麗な女優が賢くよく物事を知っている、というような意味での頭の良さは、微笑ましいがそれだけのものにも思える。

世界で消費と生産が伸び、経済が拡大し続け、日本の企業がみんな足並みをそろえて護送船団のように発展していた時代は良かった。文明が発展し続けると見られてきた20世紀的な価値観の中では、頭が良い、偏差値が良い、エリートだというのが良かった。

しかし急激に変化する世界の価値観にどう対処して、どこが本質かというSubstance (sub＝サブウエイのように見えない下にある、stance＝立脚点や立場。即ち本質の事。）や、何らかの真実を読み解く能力をどうつけて行けばよいのだろうか。

つまりこれからの時代に必要なものは何か。現在は、明治維新の頃のようとはいわないが、戦後の混乱にもあたるような大きな波が押し寄せてきているようだ。

正直で現実を正視して、世界の状況を比較しながらその中に真実を拾って行く能力、決まった正解を導く能力だけではなく、未知の答えを引っ張ってくる能力。

歴史観、人間観、美意識を磨きそれに基づき、現実の問題を掘り下げ、それを今の自分の行為、つまり仕事にして行く能力。これを養うことが、僕がスクーリングパッドで一番やりたい事だ。

デザイン能力、情報対応力などは、こうした経験を重ねコミュニケーション能力が進化する事により得られると思う。

そしてスクーリングパッドのクルーの中から、世界中で活躍するデザイナーや、デザインイベントを企画したりする者や、今構想している国連大学のグリーンキャンパス化プロジェクトに参加して世界を俯瞰する者などが出てくることを望んでいる。

またスクーリングパッドでは、Home Roomという新しいコミュニティーネットワークのシステムを作り上げようと思っている。これにより各クラスの相互の問題を情報化し、プロジェクトを打ち立てて行くことが可能になる。

企業にも奨学金などの面で働きかけるつもりだ。なぜならスクーリングパッドを出た人々が近い将来、社会で大活躍することを応援したいというボクの野望があるから。


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   <title>都市はキャンパス</title>
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   <published>2008-08-27T08:52:09Z</published>
   <updated>2008-08-27T08:53:29Z</updated>
   
   <summary>最近、スクーリング・パッドのクルーと旅行したり仕事で会ったりしていると、明らかに...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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      最近、スクーリング・パッドのクルーと旅行したり仕事で会ったりしていると、明らかにこうした優秀でデザイン感性が鋭い若者達は現在の世界の状況やそれぞれが置かれている社会での立場や仕事の仕方、少し上のジェネレーションの人達のやり方に疑問を持ち始めているのが判る。
      80年代のバブルの崩壊は日本が製造業で築いた富を不動産や金融資産のようにバーチャルなものに頼りすぎたため、虚構が泡の様に飛んでしまったという事。その後、日本では新しくホリエモン達に代表されるように、合理的で新しいやり方での欧米型企業経営とコンピューター社会への期待から再びバブリ、またアメリカでも日本の80年代のようなバブルが崩壊した。

何かこうしたことが起きる東京という都市に暮らしていると、人々が動物のようにに思える。毒蛇やライオンやゾウやカバのような人がいるばかりか、冒険のように生きようと思っている僕としては都市はジャングルだと自分に言い聞かせてきたということもある。そして現代は都市にこそ冒険があると言ってきたし、何があってもただ毒蛇に噛まれそうになったんだと思って生きてきた。

最近ポートランドやシリコンバレーなどの創造的な企業では、本社をキャンパスなどと呼びながら企業活動を行い、若くて学校のような真理探究型、理想主義により近い働き方を目指し社会に貢献して行く姿が見られる。そして仕事としても大きく儲けている姿を見るにつけ、こうしたモードに自分たちを持って行き、スポーツをして健康的で美味しいモノを食べ、社会の状況を深く掘り下げ、そこら中で議論をして新しい試みをしながら進んで行く事を目指すべきなのだと思う。

それこそが企業活動の本質であり企業価値となる、そんな風に見える。そう捉えると、たまり場のようなカフェや本屋、自分の気に入った居場所があるということが物事を考えて行く上では大切だと気がつく。最近は都市の中にこういう場所がたくさんあるように変えて行こうと思うようになってきた。

例えば、原宿に様々な場所を作って状況としてキャンパス的になればもっと面白くなるのではないか。一方、都市を研究課題、フィールドワークの現場と捉えて、全ての事象に興味を持ってみて見るのも面白い。

こうした好奇心の設定に自己を持って行くことが一番良い。すると愚痴を言う場合ではなくなり、文句を言うよりすぐに試みてみようと思う。僕の仕事はこうして自分で心からそうだなと思えることを実現すべく、実体を作って行くことなのだと気がついてきた。
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   <title>Change with wisdom 国連大学での試み</title>
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   <published>2008-08-26T06:15:42Z</published>
   <updated>2008-08-26T19:13:01Z</updated>
   
   <summary>1999年に僕らはTokyo Designers Blockを始めた。それまで世...</summary>
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      <name>TERUO KUROSAKI</name>
      
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      1999年に僕らはTokyo Designers Blockを始めた。それまで世界中でいろいろなデザイナーと仕事しスプートニクというデザインのイベントをやっていたが、その次に青山界隈を中心にデザインイベントを始めることにした。
      そして、通り＝ストリートについて考えてみると、日本では住所は何丁目何番地というように畑の面に順番に地番がついていることに気がついた。また東京は本当に住所が判りにくいと外人がいうがそれは仕方ない。それは通りを基準に住所ができていないから。それから僕はストリートの視点でものを見るときこの違いをいつも思い出す。

その後2003年にはデザイナーズウィークとともにこの僕らのデザイン状況の創造が評判になってデザイナーが世界中から集まるようになった。状況というのは施設や要素と人が絡んで独特の熱を帯びることがある。

2000年に初めて国連大学に行き、デザインイベントに貸してくれませんかと学長ハンス氏に話し特別に使わせてもらった。その時、いままで閉じられた空間だった国連大学にデザイナーや学生が大勢押し寄せプロの文化祭と言った様相を呈した。中にはウタントホールという国際会議場があるのを始めて知った。

国連大学は、戦後始めてアジアから国連の事務総長になったビルマの偉人ウタント氏による、世界の平和は知性と学問なくしてはあり得ない。国連が大学を作らなくては行けないと考えから出来た。その時世界で文化貢献をしたいと考えていた日本が場所、施設を提供して青山に国連大学ができた。

僕はこのウタント氏の顔を覚えていたのでいたく感動し、その後この国連大学で講演会やイベントを企画するようになったという訳だ。世界中を旅するヒッピーとしてはどこかで世界中の友達に恩返しをしなければいけないと感じていたこともあった。国連大学の上層部が日本人にはあまりいない知的貴族な人達で冗談の質が通じるものがあった。

そこで最近の世界の環境とサステナブルな問題を考えて新しい学長のコンラッド氏や僕の友人のダルタニヤン氏に、国連大学はここで思い切り理想を表明し、世界を救えるのは人類の英知を集めるしかない（We want to save the planet with wisdom.）というメッセージを出すべきだと話し合った。そしてそのためにはまずここを変えなければという話になった。

そうしたら国連大学は君を学長のアドバイザーに任命するからやってくれないかという話になった。そこでグリーンキャンパスプロジェクトを始めることにした。一階にこの為のプロジェクトルームを作ってもらい、スクーリングパッドの生徒にも手伝ってもらってここを盛り上げて行こうと思う。今年からここを拠点にささやかながらもボクのできる限りのことをやって行こうと思う。
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   <title> インディーズとコーポレイト</title>
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   <published>2008-08-14T01:57:00Z</published>
   <updated>2008-08-14T02:10:14Z</updated>
   
   <summary>日本に帰ってきてテレビをつけると、すかいらーくの社長が更迭されるニュースをやって...</summary>
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      日本に帰ってきてテレビをつけると、すかいらーくの社長が更迭されるニュースをやっていた。そういえばポートランドでもスターバックスが100店舗閉じられるそうだ。

沢山の店を出し、売り上げを増やすことが企業の生きる道と信じられて、強力な軍隊のような企業内兵士を育て、マニュアルを覚えさせて事業拡大のパワーにするそういう風潮がここにきて急に変わってきた。
      <![CDATA[1968年的なヒッピー思想、インディペンデント系の独立した個人の発想で起こされた企業の方が勢いがある。IBMよりもAPPLEやGOOGLEの方が勢いが在る。国防総省の情報集計に使われたシステムを基にしたWINDOWS ではなく個人の情報をリンクしたマッキントシュの思想がコーポレイト（企業発想）よりも元気が良い。

日本の会社は現在、大きく方針や戦略を立てることが弱い変わりに、一糸乱れぬ社内の統制のもと一丸になって事業に励むという今までの大企業の理想像みたいなものから、創造社会の多様な価値と人材を集めて、有機的なインディーズ企業体の進化を求められるようになってきた。

そしてそれらが成長しAPPLEやGOOGLEができてきた。NIKEでさえも4兆円ともいわれる巨大企業になり、コーポレイトぽくなってきたから、後から追いかけるADIDASの方がインヂィーズぽいといわれ、小さい良さと個人的な価値観が反映する組織作りが注目されている。

これはヒューマニズムと組織や企業がぶつからないでともに進化できるかの問題だと思う。個人が生きて、そして組織がマニュアルでなく進化するにはどうしたら良いのか。そこには確固たる価値観と哲学とそれを実現化する戦略が必要だ。そこで今までの日本の教育は良質な企業戦士を大量に社会に送り出すことを目的にしてきた分弱さが目立つ。

感性鋭い若者はここに気づきスクーリングパッドなどにヒントと仲間を求めてやってくる。捨てたものではない。凄く優秀な若者がいまの社会に合ないでいる。そこで最も有効な手段は比較対照するものを提示して、旅行したり様々な人とのセッションでインスピレーションを得ることだ。

CHANGE WITH WISDOMー英知を持って変化を目指そう。世の中変わり続けて行く。それは流れになり大きなうねりになって行く。そこにこのインディペンデントな企業と発想が必要になってくる。最期にACE HOTELのロビーで知らない人達がお互いに大きなテーブルを囲んでいる写真を見てもらおう。

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   <title>Farmer&apos;s market and Organic Farm</title>
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   <published>2008-08-12T16:58:24Z</published>
   <updated>2008-08-13T09:27:21Z</updated>
   
   <summary> ポートランドの土曜日 朝8時頃の風景。 ...</summary>
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      <![CDATA[<img alt="watch20080810_1.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/watch20080810_1.jpg" width="380" height="285" />
ポートランドの土曜日 朝8時頃の風景。
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      <![CDATA[
<img alt="watch20080810_2.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/watch20080810_2.jpg" width="380" height="285" />
近くの農家の人達が100ほどポートランド州立大学のそばに集まりファーマーズマーケットをやっている。


<img alt="watch20080810_3.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/watch20080810_3.jpg" こwidth="380" height="285" />
同時にバンドやカフェも出てきて楽しい空気が流れる。


<img alt="watch20080810_4.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/watch20080810_4.jpg" width="380" height="285" />
花の農家も出店している。


<img alt="watch20080810_5.jpg" src="http://www.kuroteru.com/img/watch20080810_5.jpg" width="380" height="285" />
これはソビーズアイランドという河の中の島の、コミュニティーに支えられている農家。<a href="http://www.sauvieislandorganics.com/">http://www.sauvieislandorganics.com</a>

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   <title>アップルとルーカスフィルム</title>
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   <published>2008-08-09T18:19:39Z</published>
   <updated>2008-08-09T18:20:05Z</updated>
   
   <summary>サンフランシスコでルーカスフィルムのキャンパスが見れるということで早速案内しても...</summary>
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      サンフランシスコでルーカスフィルムのキャンパスが見れるということで早速案内してもらった。ここではジョージ・ルーカスの映画に対する愛情と彼の会社に対する作り込みを見ることができた。

ルーカスフィルムでは彼が集めた映画のポスターの他に、彼の好きなフランクロイド・ライトとマッキントシュ風の家具がそこら中に飾られ、彼は映画の次に建築と家具が好きなのが良く分かった。

      元軍隊の宿舎の改装だけど良くできていて、会社は彼の映画のように細かく彼の趣味が反映していて隅々まで個人の匂い、インディペンデントの空気が流れていていた。勿論カフェや育児施設は完備し、秘密の部分とオープンの部分がはっきりしている。

やっぱりオタクなんだけど全体像が見えるオタクなんだと思った。コレクションをするだけでなくそれをどう演出してどう見せるかの空間的広がりを持ったオタクは不健康ではない、秋葉のオタクも奇麗にコレクションを飾っているかな。

それからバークレーに行き、僕の好きなMoe&apos;sという本屋にも寄った。バークレーは学生街でアメリカのヒッピーの集まっている所でタバコ屋や水パイプやがたくさんあった。しばらくデュラントホテルにでも泊まって古本屋やカフェでも廻ろうと思ったが、アップルコンピューターでキャンパスにジョナサン・アイブと待ち合わせていた。

アップルの食堂は寿司やメキシコ料理などなんでもあり、スティーブ・ジョブズが気に入ったレストランからシェフを連れてきたりもしてるそうで、自分の好きな食べ物をみんなにも食べさせたいという気持ちが表れていた。

ここではグーグルなどの会社でインターンしているスタンフォードの学生が色々話してくれた。そしてジョナサンが登場した。彼とは2週間前にロンドンでも会っていたので、おおっという感じ。マーク・ニューソンと彼は似たところがり、まず手でドローイングや材質からいじって形を考えるんだと話してくれた。コンピューターはその後。

今の日本のデザイナーは図面は良いけど実物がひどいのがある。などと言っていた。そして12人しかいないアップルのデザイナーの中の唯一の日本人の西堀さんをその場で自分でデザインしたアイフォンで呼んでくれた。彼は今朝中国から帰ったばかりだったがカフェにやってきてひとしきり喋ってくれた。

僕は彼がパナソニックのデザイナーであったときの頃から知っていた。彼のユニークさは型にはまらないで何でもしてみるということ。京都に自分のカフェを作ったりもしていて、空間や社会や人を大きな視点で見ることができる上に、ジョナサンがいうように細かい所にもきちんと気がまわるデザイナーだ。

日本の大企業に比べ12人のデザイナーとは少ないし、限られた人数の中で何でもやらなくてはいけないが、ストレスがないからつらくないと言っていた。日本にいる時よりのびのびとしていた。僕のこともこのブログを見てくれていて、最近のことも知っていてくれた。彼らやマークは時代を形にすることができ、かつコンピューターに流さることない数少ないデザイナーなんだなと思う。

食べ物もそうだが、やたらにオーガニックやエコなどと言わないで、普通に良いものと美味しいものが判らないと。日本の場合どこのレストランで働いてたという学歴みたいなこという人も多いが、やはりそういうことは別に言わないでも良いのではと思った。

これからは、今の時代の形が読めないでやたらと数字を押すしぶとい優等生よりも、こうしたセンスのいい人、クリエイティブな人がこうした会社のCEOになり活躍していくのだと思った。

そういえばナイキのマーク・パーカーもデザイナー出身だ。ガリ勉型の優等生はスポーツとデザインが判る人間にリーダーシップが取って代わられる時代が来たということか。そうしている内に偶然かスティーブ・ジョブズが僕らの前を通りかかった。彼はおおっという感じでスポーツマンのように精悍だった。


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   <title>日本の普通</title>
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   <published>2008-08-07T13:03:11Z</published>
   <updated>2008-08-07T13:03:41Z</updated>
   
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      今回のポートランドの旅行だけでなく、大抵外国などに行って感動すると、全てポートランドは良くアメリカは優れているということに成りがちだが、僕は何時もどこにも天国はないけどどこも地獄ではないというスタンス（立場／立脚点）をとっている。違う言い方でいうと、どこにも天国でもあるし地獄でもある。


      セッションでは、日本を外部から見たらどうかを比較してみようということで、比較文化論的に日本でプレーした大リーガーと、街の状況作りということでこの街の開発許可を出す立場の建築家でPNCAなどのリノベーション建築をしている人と、そしてKen Rouffという日本の近代史を研究している日本研究の最高峰の学者を呼んだ。

Kenはハーバードでライシャワー（元日本大使）に学び、コロンビアの大学院でドナルド・キーンの弟子として可愛がられ、People&apos;s Emperor という本で大佛次郎賞をもらったほどの学者だ。両親プリンストンの学者だし、まあアメリカのインテリのフランクで威張らず権威を借りず独創的なことをいうハーバードらしい人。日本に来たとき鎌倉の大佛茶廊に連れて行って、野尻さんのママと話したりした。

彼は今回のセッシオンで、1905年に日露戦争で日本が勝ったことは、白人でキリスト教優勢であった近代の世界の情勢、及びアジアやアフリカの国々に対して日本が存在感を示した瞬間であり、日本が近代化をする上で欠かせない事項であることを述べた。

だが、その時から欧米の列強のように植民地主義を取り始めた事も指摘し、日本人にとって普通に大国になることを目指した瞬間の普通さ(Normal/Standard/Ordinary)ということを掘り下げた。果たして普通の国家日本とは？

僕らは良く普通が良いじゃないか、普通で良いんだよという。普通ということを日本人は大切にする。しかし何を持って普通というか、普通と言うことが根本的にどういうことか。SUBSTANCE（サブ／下のスタンス／立脚点／本質）という意味と、EXISTENCE（外部に立つ／存在すること）という比較。今の僕の興味と絡んで考えが廻った。

こうして真に知的なエネルギーは周りを感動させる。セッションでは僕の実の祖父が日露戦争で、日本刀でロシア軍人を7人斬った話などもした。日本はこれから世界に胸を張ってまともにやって行くことを期待されている。刀ではなく美意識と知性の力で。そして西洋の基準だけで考えずに我々にとって在るべきものとしての「普通」を当たり前にやって行きたい。
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