イデーの草創期 #1

December 18, 2023

僕は学生時代から、どっかに就職してサラリーマンとしての生活をおくるなどと考えたことはなかったので、自分で稼いで自分で仕事を初めて事業化するということしか頭になかった。

多感な高校生だった1968年頃には世界中がざわついていて、ちょうど今の様だった。僕は、大学生になる意味、学問をする意義、そもそも大学とは何をするために行くのか?学問とは?大学の存在意義とは?などを考えざるを得ない時代の空気を感じていた。

父親も叔父も開成高校を卒業して、叔父は東北大を卒業して日立の中央研究所を立ち上げメンバーだったり、父は次男だったので家業の軍人になって将軍になるべく陸軍士官学校に行った。また、大叔父は二人とも一高、東大から三菱重工で  
航空機の開発や運需産業をやっていた。母の父、僕の祖父は陸軍参謀本部で陸軍中将の服部武士だった。

父の母のそのまた父、僕の曽祖父は明治時代にフランスに留学してフランスの火薬を日本にもたらし日本陸軍のフランス派で少将だったり、父方の祖父、黒崎貞彦は日露戦争での武勲から明治天皇から金鵄勲章を貰ったりと、皆、侍の血、武士の血を受け継いでいたらしい。おばあちゃんはそれをいつも言っていた。

一方の僕はブリテイシュロックかぶれで、Paint it black世代というか、ストーンズ、ビートルズ、ツェッペリンなどの世代で、BobDylanの歌詞から英語を学ぶような学生だったので、全てに反発した。また、サルトルやボーヴォワールやヒッピー思想に影響されていた。

しかし思い出してみると、もっと小さい時、小学校3年の頃は、ギリシャ思想や、アテネの民主制の元になった思想や、プルタルコスの対比列伝(プルターク英雄伝)の、テミストクレスやペリクレスに胸を踊らせ、ナポレオン伝などを与えられて来た。

今から考えると特殊な教育をされて来たと思う。これは日本の武士の志は血の中にあるので、西洋の思想を取り入れたらいいという父の考えが反映していたと思われる。そんな中、日本人は真面目でいい人が多いし、和して同ぜず、和むけれど同化しないということを教えられたことは良かったと思う。

しかし、高校時代はラジカルなロックが好きだったので、反戦思想とカウンターカルチャーの中で育った。その頃、隣の席にいた子が横浜国大の革マル派のリーダーになり、内ゲバで鉄パイプで頭を割られて亡くなったり、テレビで東大安田講堂事件を見ていたら、慶応に行ってた子が捕まって出て来たりなどが普通にあった。

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