archives

new entries

May 17, 2016

Heartquake

東北の震災が起きたとき真っ先に行ってみた。津波による破壊と原子力発電所の崩壊による大気汚染。目を覆う様な情況を前に、仙台郊外で海に出来るだけ近くの荒浜の壊れた家を借りて、崩壊していた農家を皆で修理して、この震災をキッカケにEarthquakeのH-エイチ-叡智を一番前に持って行きHeartquake、ハートを震わせることをしよう。ということでHeartquake projectを始めた。

そして、此の5年間、100回以上もその荒浜の改修した家に行き、ガレキを片付け農地を耕し、以前にも増して農業が出来る様にしたが、海の側は何もされないままに、残されている。東北の自然は、こうして海岸から安普請で建てられた住宅が無くなると、驚くほど美しく大自然に対して、如何に近代文明の開発は汚らしかったのかが対比されてよく分かった。

そこで、この場所を世界で一番好い場所にしよう、奇麗な開発をし直そうと言う考えはほとんど無く、元の様に復興するのにはどうするか。お金がかかって、どのようにするか?に議論が集中し、しまいには防波堤を海岸沿いに作って、今度また津波が来ても好い高台の人工地盤を作るという、自然に対する冒涜と虚しい行為まですることになった。

そこで僕らは海岸に残されたガレキを使ってガレキミュージアムを作ろうとか、過疎になった里山を新しく再生することを考えた。しかし行政は許可を僕らには与えること無く。僕らも世界中の建築家に声をかけたが、何も建築出来ずにいる。

そしてそろそろHeartquake Houseを引き上げようとしていた矢先に、熊本で地震が起きた。東北の津波の時に、海に居た漁船は、津波に向かい、沖に進路を取った船は助かり、陸に逃げたり、横に逃げた船は皆、津波に呑み込まれてしまったり、陸で災害に有ったりしたことから、困難に立ち向かうことこそが一番いい方法だと言うことを学んだ。

そこでこのタイミングで、熊本地震が来た時、まさに地震を機会に、新しくHeartquake projectを始めるべく、熊本に行って来た。津波や原子力汚染がないこともあり、みんな明るく何事もなかった様にキャンプで暮らしていた。しかし局地的には家々は崩壊し、ガレキの様になっていた。

また最近テレビで見たシリアの市街地300万人の難民が出ている情況は悲惨だと思った。そもそも地球は自然や戦争で家が壊れ、生活が脅かされることの方が多く起き、恐れているよりも、そこに立ち向かって行くことこそが唯一生き残る道ではないのか?

何があっても英知を集めてそれに向かって行くことこそがよいのではないか?そこで、東北ではなし得なかった、$1000 Shelterを開発して新しくベンチャーを立ち上げることは自分たちで始めることができるのではないかと思った。

スウェーデンで$1000の建材をキットで売り、4人で4時間で組立てることができるシェルターを開発した若者達がいるそうだ。日本でも間伐材や土を使えば材料代は安くできるし、10平米以内なら建築基準法も関係ないので、$1000の材料費で2年間ぐらい保つデザインの良いよく考えられた住む機械としてのシェルターを作って、その組立て方をyoutubeでまとめ、売り出そう。

またちゃんと建築基準法の強度等をクリアして10平米以上のシェルターにチャレンジする若者がいてもいい。クラウドファンディングでも何個かは注文を取っていこう。という訳でHeartquake Shelterを作り始めます。

h3.jpg
h2.jpg
h1.jpg

November 30, 2015

R-Food project

国連大学の前に、ファーマーズマーケットを始めて久しい。

この頃は食の多様性に注目して、パン祭りや、コーヒーフェスティバルや、お酒のイベントやカレーフェスや、果物の食べ比べ等色々なイベントもやってきた。そして最近いやしばらく前から注目している、フードロス、廃棄野菜や廃棄食料の問題がある。

世界の小学生の7分の1くらいは給食で食べるのがやっとで、日常的に食べるものに困っている子供がたくさんいるそうだ。我々のコミュニティーから考えると、食べ物がない子供が増えているということは、まず驚くだけでなく世の中がおかしい方向に向っているのではないかと思う。

その一方で、ファーマーズマーケットでも問題になっている、農家の人が生産した野菜の中で、形がいびつだったり、間引いたり、ちょっと傷がついたり、沢山出来すぎたり、まだ食べられるものを捨てたり無駄もある様だ。そして今度は、流通でのロス、市場での廃棄野菜も毎日トラッく数台分有るそうだし、また料理でも無駄が有る。

またお店で売れ残ったり、賞味期限切れで廃棄するものも沢山ある。こうしたこと全てを合計すると25%くらいが無駄になっていると言う統計がある様だ。そこでこうした無駄や、流通でのロスから出た食料を食べ物に困っている人やFood Bankに流すことを始めようと思う。

NPO法人ファーマーズマーケットアソシエイションの中にR-Food projectを立ち上げてみよう。Rethink food。昔、僕が始めたRprojectは不動産や住宅を再考し、再生する話だったが、今必要なことは水や食料を考え直してみることではないかと思う。

それを如何にやって行くかが大切だ。そこで今年の年末までには、各農家に段ボールを配って、食べるのに問題ないが余剰の野菜や、廃棄する野菜を送ってもらい、それを一流シェフに料理してもらう食事会をしてみることで先ず、問題意識を喚起する。

それから来年は定期的に不揃いの野菜達や何らかの廃棄野菜を送ってもらい、シェフに料理してもらうイベントを何回かやってみる。また市場で廃棄されるまだ充分に食べられる野菜も廃棄寸前に救う方法を考える。

またデパートやその他の食品流通でのロスも集める。こうしたことは全て商売ではない、NOT FOR SALEなものをどう生かすかにかかっている。

しかしそれらを動かす人は労働をするのでボランチィアだけで始めはスタートするが、クラウドファンヂィングやドネーションで最低限の給料は保証しないと行けない。こうしたこと全体をうまく、きれいにやれたらよいなと考えている。

May 19, 2015

今だからこそ、出版社を立ち上げよう。

現在、ネットのお陰で、新聞を読まない若者が増えて、自由大学に通って来る受講者の半分くらいは新聞の換わりに、ネットでニュースを見ている。

アメリカでも新聞社がつぶれている。また大手の雑誌はタイアップや、スポンサー探しに苦労している。おまけのグッズを付けたり、色々な特典を付けたりしている。

そもそも、戦後の文字に飢えた時代に、印刷すればどんな雑誌も飛ぶ様に売れた事から、出版社は発展した。

70年から80年代は、若者文化をそれぞれの雑誌が引っ張って、丁度音楽の世界で、レコードがどんどん売れたと同じ様に、色々な雑誌が出版された。そして出版不況。出版社が大きくなってしまったので、沢山売れないと経費がまかなえない様になってしまった。

日本のメーカーが、面白い商品であればどんどんチャレンジしていた時代から何十万台売れないと、会社に取っては意味がないと、新商品を躊躇しているようになった。

全て時代の流れで誰がいけない訳でもない。一方、流通の方では、どんなに小ロットでも扱うプラットフォーム、アマゾンなどが出来て来た。

大手の出版流通は、出版社から買い取り、売れ残ったら返品すると言う体制で、出版社は、次から次へと出版して返本に勝るだけ出版をしさえすれば、売上げ自体は確保できる体制で、実際、売れなくても名目上はやって行ける。しかし、実体は自転車操業と言う状態が続いている。

また、新本と古書は流通が違うし、洋書も違う流通がしきる。一方、若者は手作り本のzineや自分たちの独特な出版や選書に優れた、本屋が人気だったり、本をメディアにした空間作りが流行ったり、音楽業界と出版業界は今後どう発展して行くか、過渡期の様相だ。

僕らがよく行くサンフランシスコやポートランドはマイクロパブリシングという、小出版社が沢山有り、また本屋が沢山ある。古レコード屋や、テープもまだたくさんある。古本屋は新本やzinや自費出版を扱い、各国の本も置いている。中には日本語や中国語もあり、全米一大きなインディペンデントな本屋のPowell'sも出店している。

city of booksとして、各国の新刊本、古書、洋書、自費出版、zinなどありとあらゆる印刷物にコーヒーやが付いている。サブカルを引っ張る出版社やレコード会社、ミュージックテープ専門のレーベル等がやそれらを支える小さい印刷屋。こうした情況の上に、ネットやウェッブでアートやデザインや色々な食のビジネスやコーヒーやビールがある。

これから日本の出版界はどのように変わって行くか?そこを自由大学での講座にまとめてみようと思う。

以前スクーリングパッドのブックコンシェルジュコースとして、本のコンシェルジュと選書と本の販売を考えてみたが、その後、また大きく変化して来た。

この時期に敢えて、出版=パブリケイションを始めるとしたらどうすればよいかを考える。オープンな編集会議や著者との打ち合わせ、印刷代をクラウドファンディングで集めたり、出版イベントや本のコミュニティー作りを行う。そして本の編集もウェブで行えるように。こうしたことを通して、本を出版すると言う経済活動を成り立たせて行く。

情報や文章や文字を通しての発信を深めると、編集の概念が少し違って見える。情報をキュレイションして、それを文章や写真や映像の編集で表現する。それらの印刷された形として本や雑誌を考える。

印刷された文字は、コンピューター画面上の文字とは違って、電気が切れても残る。より深く頭に残る。印刷して文章の校正をするのと、コンピューター画面上で校正するのでは全然違うそうだ。リアルに存在する印刷された文章からの印象は強く、頭の中に入ってくる。存在する思想とでもいうか、文学や詩の芸術性はここにある。

一方電子画面上での映像や文字はまた別の印象や感傷がある。思うに、これからは、本も読むし、映画やレコードを愛するが、ネットの情報で全体をつかみ、じっくり読んだりする文章は印刷された本として持っておく、と言う様になるのではないか。

自分の好きな音楽のレコードは、存在として取っておく。何時でもかけることができるものとして大切にしておく。レコージャケットのデザインも含めてその音の記念碑的な意味も込めて大切にしておく。自分の影響を受けた本は印刷された文字として取っておく。こう考えると、出版される本の部数は減るが、意味性や影響力は増す。

それらをうまく使い分け、それぞれの選書のライブラリーを持つ。書斎には、ノートやペンやインクや硯や筆等もおいておき、色々な表現を使い分けた自己表現をして行く知識人が現れて来るかもしれない。メールやlineやfacebookやmessage等も情況に応じて使い分けている様に、良い本を大切におく本棚が有る書斎を持てるとよい。近い将来こうした未来の粋なインテリが現れるとよいね。

April 21, 2015

Bridge over Troubled Waterr -明日に架ける橋

僕は、1970年代初頭、大学では学生運動が盛んで、東大の安田講堂では高校の友人が機動隊に捕まり、また内ゲバでは同じ様に高校の同級生が殺されたりした時代に青春時代を過ごした。多くの大学はロックアウトされ、そのバリケードの中でロックコンサート等を僕らはやったりしたものだった。

その時代、大学の在り方が問われ、また科学の発展が人間の為に果たしてなっているのかが問われたりした。1968年はパリの五月革命から世界中で色々なことが起き、アメリカではベトナム反戦運動からヒッピームーブメントが起きた。

またチェコでは民主化運動が起き、キューバではカストロやゲバラが活躍した。その頃サイモンとガーファンクルが、こうした世界中に起きている紛争を、どのように乗り越えるかと言う問題意識でこのBridge over Troubled Waterという曲を歌った。

この曲がヒットしている中で、僕は新宿で山手線が学生の争乱により止められたりしたのをテレビで見ていたりした。僕は71年に初めてアジアからエジプト、ギリシャを通ってヨーロッパに行きそれこそヒッピーの様に世界中を旅し始めた。

一体人類の進化はどのようになっているのか?社会はどのように動き、何を基軸に動いているのか?という事でまず、エジプトからローマ、それにフランスから、当時の音楽の中心地のロンドンに辿り着いた。

哲学ではサルトルやボーボワールが活躍し、弁証法が素粒子論に応用され、存在とは何か?が大きな問題であった。科学と哲学の根源的な事を語り合いながら、当時盛んに成り始めたフリージャズやロックを聴いていたものだった。

そこでは根本的に相反する事象をどう乗り越えるか?が常に意識されていた。そこにツェッペリンの虚空を裂く様な音がからみ、ピンクフロイドの音が心をとらえた。その頃、ロシアの人工衛星スプートニクから見られる事を避け、アメリカは世界中の情報のネットワークを作る事に躍起になった。

はじめは国家権力の情報システムであったが、その後ヒッピー文化の個人の自由を極限まで追求するアップルのシステムが完成し、その後それらの互換性がそれこそブリッジの様に出来上がった。そこで、情報のシステムの革命があった。

大学の物理学科ではこうした情報科学と、物性論から発展した、それこ物質の本質とは?時間とは?宇宙とは?と行った事を議論して居た。経済では資本主義とは、社会主義とは?と言う事から、価値とは?資本とは?と言った事が問題にされた。これら全ての問いかけは、追求こそすれ、答えが一つではなく、これでおしまいと言う問題ではない。

ただ、ここで問題なのは何を問題とするかの視点の自由さと多様さを持ち、それに対してあくまでも挑んで行くと言う姿勢こそが評価されるのではないかという事だと思った。

そう考えてまた世界中を旅をすると、時代の問題意識、都市の匂い、そのときの世界の気運と行ったものが感じられる事に気がついた。僕のご先祖さんは、各地の士族がお見合い結婚で結婚し、明治以降、フランスやドイツ等に留学し、堅苦しく、古くから富国強兵の為に作られた大学に行って、多くは軍人や、大学の教授を務めた。

それら全てをぼくのロック魂が否定して来た。最近ではこうした大和魂と言ったものにも理解をして、伊勢神社等にも行く様になった。そこも全て橋を渡してくれる人が居て、全く違った事の橋を架けてくれる人が居たものだ。対岸に橋を架ける、と言う行為は益々意味が出て来た。

そう考えると、全く異なった土地を橋を架ける事で繋ぎ、新しい文化ができる事が出来る。相反する事柄を結びつけて、次の時代を見ることができる。橋を架けると言う事が、今まで僕がやって来た事だと思う。デザインとクラフトの橋渡し。農業と都市生活に橋を架けるファーマーズマーケット、現在と未来に橋を架ける事。ポートランドと東京に橋渡しする、Bridge Lab、や学校から社会への架け橋を造ったり。

フリーランスな働き方と企業を繋いだり、Bridgingこそが我々が今熱中している事な様な気がして来た。現在の世界に横たわる、想像を絶する苦難や難題。これらを乗り越える橋を造る事こそやりがいがある事といえる。  

August 15, 2014

コミューン Kommun Commune

先日、建築家の中山英之氏と話していて、都市と建築を繋ぐ長さは3キロだという意見を聞いた。

これはバックミンスターフラーのあのマンハッタンを覆う透明なドームの直径が3キロだと言う事に起因しているようだ。Your Private Skyという題が素晴らしいその写真を元に作られたドームのデザイン画は忘れられない。それは、都市のビルを包みながら、巨大な建築空間が出来ている。人間の感覚ではここが建築と都市、プライベイト空間の最大だと言う訳だ。

建築家は不思議な視点でモノを考える。そういえばコミュニティーFMを作ろうと思って調べてみたら3キロ四方までなら電波法で縛られずに独自の放送局を作れそうだった。きっと勝手に作ることのできるコミュニティーにとっての情報が届く限界なのだろう。

一方、先日行ったスウェーデンではKommunという、市よりも大きく、市を包む廻りの町を含む地域の単位がある。コミュニティーを形成する最大の単位の様だ。

パリコミューンをふと思い浮かべてみる。1871年、パリ中が理想社会を目指して短期間だけ起きた情況を想起する。行政の単位としてのパリ市が、真の民主制を求めた運動体の様に一瞬まとまったことがあった。これをパリコミューンという。

マルクスは共産主義ーコミュニズムの始めの出現だといった様だけど、僕はもっとプリミティブな、理想社会を求める運動体の始まりの要素があると思う。

現在ポートランドで起きている独特の流れが思い浮かぶ。1968年ぐらいからのアメリカのヒッピー達の理想社会を目指して、山の中にコミューンと言う独自の村を作って生活した。武者小路実篤も理想主義的な平等社会を実現する、「新しき村」を作った。「君は君、我は我、然れど仲よき」などとみんな仲良く暮らす一種のコミューンを目指した様だ。

そういえばパリコミューンでは初めて女性参政権を実現し、教育改革や行政の民主化や信教の自由等を実現した政府を確立した。そしてプロシア軍に囲まれた重圧の中で、みんな挨拶を交わして、和気あいあいの社会を形作った様だ。

ここは夏フェスの時にみんながハイな状態になって、挨拶をしあったりする感じだった様だ。そうすると考えるに、コミューンというのは短期間だけに実現した、運動体。未来社会の理想を歴史上初めて実現したコミュニティーだった様だ。

ここには、現代の社会の行き詰まりを突破するエネルギーを持つ運動体の様な要素がある様に思える。現代のネット社会、情報や知識が欲しいだけ手に入る様な社会を、シリコンバレーを中心に、デジタル革命として実現した様だけど、決して人類の叡智が集まった世界が出現した訳ではなく、愚かな戦争や悲惨な行為が繰り返されている世界を見るにつけ、理想を持ち、社会に対するビジョンを持つ事が如何に大切かが良くわかる。

そこにはリスクを冒しても自由を得ようと言う人類の限りない理想主義の発露を見ることができる。コミューンから色々と考えてみた。

fff08.jpg

November 1, 2013

筆記具と文字

僕の初めての仕事らしい仕事は、エジソンの蝋管蓄音機をロンドンのアンティークマーケットで見つけて、それを買って来たこと。

そこから聴く音楽は本当に貴重なものだった。そしてついでにtalking machineという本を見つけて更に興味を持ち、また違った種類の蓄音機を買ってそれを集めteデパートで展示会をやったこと。

それ以来、まず自分の好きなものと興味を持ったものを集めて、それを楽しみながら追求するというのが僕のやり方になった。同時にマーケットリサーチではないが、市場性はどうなっているのだろうかとか、相場の違いや可能性も少しずつ調べてみる。それからまた自分の好きなものを集めてみることを始める。

次に興味を持ち、自分の好きになったものに、古い万年筆が有る。ONOTO 、De la rue London ロンドン通り?と書かれた黒くて筆の様なその万年筆をカムデンパッセージで見つけて、それを洗ってみると、見違えるようになった。

ONOTOの万年筆は夏目漱石が使っていたということを後で知った。羽根のような書き心地と書かれた宣伝の文章も見つけた。そこでインクを付けてみて書いてみたら、思いのほか書きやすく、今まで書いたことがない書き心地。しばらくその万年筆で、試し書きをしてみる。そこで万年筆とインク瓶を集め始めた。

Waterman やParkerの古いものや、Conklinという変わった形をした万年筆も見つけた。それから万年筆マニアに知り合いが出来、いろいろ話すと、そのコレクターズ精神に触発されて、更に集めることができるようになった。それから僕が扱った万年筆は数千本にもなった。

それから僕の興味は、銀の懐中時計や、筆記具として、ペンやペン立てや、銀の小物等をロンドンやパリの骨董コレクターや、蚤の市で探してそれを集めて、自分の店を作って売ってみた。それが思いのほか売れて利益がでた。こうして自分で好きなものを勝手に買って集めてそれが仕事になるという、今から考えると不思議な仕事を始めた。

そこで考えたのが、万年筆の種類と書き心地。同時に、古い手紙や、便せんに書かれた奇麗な文字も集めて、昔の手紙を読んでみる、そしてそれを書いた人がどんな人であるかを想像してみる。

筆記体で、粋な文面で書かれた手紙。そこに書かれた、ちょっとした挿絵や、サイン。比べてみると、意思を伝えるべく書かれた文字が、こんなにも違うものかと思われる。説得力が違う。またよく見比べてみると、品のいい字や、下手かもしれないが味が有る文字が有る様に感じられる。人間性や個性もその文字から何となく読み取れる。夏目漱石がいい文章を書いたのはいい万年筆で書いたからかとも思う。

最近、筆や硯にも興味が出て来た。震災以降、日本の硯の90%を生産して居た宮城県の雄勝の硯工場がすっかり流されてしまい、職人さんも沢山亡くなった。そこでなんとか硯の生産を絶やさないで、雄勝の硯を復活しようと考える。青山の骨董屋で古くて形のいい硯を買って来た。また雄勝の硯工場に残されている、いくつかの硯も買わせていただいた。それから硯を集め始めた。

硯のコレクターや中国製の端渓の硯をたくさん持っている人にもお会いして、いろいろ教えていただく。硯に関しての本も集めてみる。一体いい硯ってどこが違うのか?何を持っていい硯という基準が出来たのか?などを調べてみる。すると、万年筆がいいといい文字が書けるというのよりももっと深く、書道にまで高めている文字文化に想いを馳せる。

英語は発音をそのまま文字に定着させる表音文字。奇麗な筆記体はそれを読んで、発声することを想像させる。また漢字は表意文字。文字そのものに意味が有る。だから文字の書き方そのものから、意味を感じさせる。書道が発達したのにはこうしたバックグラウンドが有り、その文字を書くのには、良い硯と良い墨、そして良い筆が有ってこそだと思う。

文字を書く前に、墨を硯ですって、心を清めて、書く文字に対する意味や想いを深くする。それから書をしたためる。僕らの時代は、万年筆から文房具にふれて、それから硯や墨や筆にいくという興味の移り方があると思う。若い人は、電子文字から、印刷された文字に興味が移り、デジタル印刷からオフセット印刷、活版印刷で刷られた文字の感触にふれ、それからペン文字や書道に興味が膨らんで行くことになる人もこれから出て来るかもしれない。

筆記具や写植、印刷方法や筆文字に興味が行く人もいるかもしれない。こうした文字に興味を持つことは、その文字が表している意味を伝えることに興味がでて、そこに表現されている、意味性そのものを考えることになるかもしれない。でも何よりも僕が気にするのは、自分のデスクに、お気に入りの筆記具と、硯の入った漆器の箱と、いい筆と紙、それらとコンピューターを何処においてどういう書斎にするか。

そこで一人で気に入った紙にどんな文字を書くか。丁度、コックさんが自分の気に入ったキッチンを作り上げる様なことがまず、いい料理を発展させた様に、いい文房具と空間を作ることそのものに向う。

September 8, 2013

粋とは?

今年の夏は暑かった。禅の研究で有名な鈴木大拙が亡くなったとき、アナウンサーが休み明けで、ぼけていて、蝉の研究と間違って読んでしまって、進退伺いを出したということを記事で読んだ。

元々、英文で、禅と日本文化についての著作を沢山書き禅とは何か?などの解釈は、外国人に説明する様に、日本人に書いていてある。僕はずっと鈴木大拙に対する畏敬の念を持っていた。もし僕がアナウンサーだったらどうしただろうか?

でもそこを蝉と禅とは共通項があると、もしアナウンサーがすぐ気がつき、(蝉の鳴き声を暑さの中で聞きながら、霊性の自覚を悟った禅の研究者鈴木大拙氏が亡くなりました。)と言ったとしたら、これは粋だっただろうな。などと暑さの中で考えた。

武士道を書いた新渡戸稲造も奥さんがアメリカ人で、英文で武士道を書くということは、外国人にも解る様に、論理的に武士道を説明したということだ。僕はこの武士道を読んで、日本人の心を理解する。一度外国語に直して、それから日本文化を考えてみることがこれからの日本人にも必要ではないだろうか。

日本人であることに安住してしまい、自分たちしか理解できない感覚や概念だと決め込んでしまっていないだろうか。イギリス文化もフランス文化も、自国の言葉以外にきちんと話して、説明することをさぼらない。

あの九鬼周造でさえも粋の構造を祇園の芸者の奥さんとの関係の中で、自己を見つめる様に、書き上げた。何回読んでも、完全には理解できないけれど、粋とは何か?をきちんと英文で書いておく必要があるとふと思った。

英語のCOOLクールという感覚は、1960年代にジャズが音楽として認知され始めた頃、黒人のジャズプレーヤーが汗をかきながら演奏しているが、曲や目線が涼しく、かっこいい。その感覚がクール。ここから始まって最近では何でもかっこいいというのがクールといわれる。

日本人もクールという様になった。でも日本人は<粋>じゃないかと思う。粋な行為。粋な着こなし。粋な言葉。粋な振る舞い。粋とは日本人の美意識の琴線にふれている。デザインやアートや生き方や行動の基準になる日本人的な美意識。

粋を外国人に英語で説明できるかどうか。僕はふとこれをこれからの課題としてやって行こうと思う。まず粋だなと思う場面を集めてみよう。善悪や正しいか間違いかを超えて存在する概念、粋。粋だったら間違っていてもいい位に思う。

粋にタバコを吸うのなら、体に悪くたって別にいい。格好悪い善人より格好よい悪人の方がいい。粋でありさえすれば。これから、そうした例を書き留めてみようと思う。

June 24, 2013

For The Times They are A-Changing

いつの時代も変わり続けているのは、何となく感じてきた。しかし同時にいつの時代も変わらない真実が有ると求めている自分がいるのも事実。

最近、また世界を廻ってきてみると、今までにもまして、時代が変わり続けている実感が湧く。このままあと1000年、人類が生き続けていられる様には思えなかった。このまま行くと、異常に増殖したバッタの大群が自滅して行く様に、人類もその文明も破滅に向う様な恐怖を拭うことは難しい様に思う。

一方、先日帰ってきた旅行から感じたことはまだまだ、人類も捨てたものではないし、色々な試みが行われていて、未来を感じることも有るなと思える瞬間が有る。まずそこはどんなものかと言うことをちょっと考えてみたい。

Twitterの創業者のジャックドーシー氏が僕らがやっているみどり荘に来てくれたので、サンフランシスコのオフィースに行った。そこはSQUAREと言う、四角なカード決裁をi-phoneやi-padにつけて簡単にすることを通して、個人事業主や新しく仕事を始める人に、経理やお金の専門の役割から解放すると言う、簡単なシステムを提供している会社だった。

現在の社会は全てお金を中心に回っているかの様に思われている。勉強をする目的も、良い学校に行き、大きい会社に就職し、安全に人生を過ごせる様なお金を稼ぐことができる様に、まだ日本では考えられている。そこがまず諸悪の根源ではないかとボクは思う。

さてお金そのものは価値変換の機能を持つメディアに過ぎず、それ自身を目的にすることが如何にばからしく格好わるいかと言うことを、その会社の空気から感じた。まず入り口ではセキュリティーが厳密にチェックして、何故来たのかと聞かれたので、いろいろ話していたら、今回僕らをアテンドしてくれることになっているKTが朝のボランティア活動から帰ってきて入り口で、僕らを見つけて、すぐに入って行くことが出来た。

まずカフェがあって、何を飲むかと聞かれたので、お水を頼むと、きちんとグラスとデカンタを持ってきてくれた。会社内にはいくつかこうしたカフェが在って、いつでも自由に飲んだり食べたり出来る様になっている。

社員が550人ほどいるオフィースの入り口には会社名は目立たなく、マークが簡単にサイン代わりに有るだけ。社員はカードや金融の仕事なのに誰一人スーツを着ていない。しかしオフィスというより働く環境は、ジャックドーシー氏の思想を具現化している空間になっていて、セキュリティーはしっかりしているけれど、自由でクリエイティブな空気が溢れている。

そこでビデオを作っている部屋に連れて行ってもらったら、大声でターザンの様に部屋の中に入るなりに現れた人がアートディレクターだった。そこで見せてくれた最近作った映像には新しくカフェを始めた人が、どこが大変でどのように売り上げを分析して事業を組立てるかを、簡単に説明したものだった。

お金を簡単に扱い、数字を分析してくれる。そして何よりその事業の目的が世の中に好いこと。そう感じさせてくれる、オプティミズムにもとずく仕事の仕方。安全性や確認を簡単にやって
落ち度がない様なことが基本にあり、事業を如何にクリエイティブに美しく組立てて行くかが問われている。

事業も失敗をそれほど恐れづに、やって行くことが普通だ。こうしたある種の理想を基準にした社会観を肌で感じた。これは一体なんなのか?世界は金融危機や国家の経済破綻がいっぱいおきているのに、其れを乗り越える動きがこうしたお金そのもののポジションと意味性さえも考えさせられる企業活動が出現している。

そう感じることができたことが僕にとっての喜びだった。そして、ジャックとカフェで会って簡単な会話を交わした。今度日本から若者を連れて来るからこの空気を体験させてくれるかなと聞いてみた。簡単にオーケーと言ってくれた。

システムや機能は真似することができてもこうした理想主義は真似できない。今度、こうした新しい企業活動や、個人の試みを廻ってみる。シリコンバレーやポートランドで起きている色々な動き。それらは時代が、自然の浄化作用を求めている様に、変わり続けていることを示している様に感じた。

人類も捨てたものではないなと思った。きっと日本の小さな町にもこうした理想主義が隠されているはずだ。時代の波をどのように捉えて行くかだけでなく、どう解釈してその根源を探る旅をしてみたいなと思う。なぜなら時代は変わり続けているのだから。

October 18, 2012

現代デザインの潮流とそのキュレイション

また秋のデザインウイークが今年もやってきた。

ボクは家具のデザインを中心に仕事を始め、それがオリジナルのデザインからライフスタイルや生き方にも考えが及んだ。そして生活の探究を掲げて、家具のメーカーを引っ張ってきて、ミラノやロンドンやニューヨークで新しいデザインの展示をやった。

これは売るというより、現代のデザインを世の中に問いかけるという意味合いが強く、ボクがバックアップしたデザイナーが大きく育ったり有名になったり、何よりも自分の目の付け方が良く、うまくいくという快感がたまらなかった。

個人個人の才能はバラバラだけれど、自分が選びプロデュースしたものを集めてみると、不思議と時代が見えるし、自分の趣味も見えるものだ。ここがデザインをキュレイションする醍醐味。

現代を切り取り、今の美意識を集めて行く。すると現代という時代が見えて来る。デザイナーの創造性も時代によってフォーカスされ方が違う。今年はスウェーデンのデザイナー10人とキュレイター2人、それにスウェーデンのデザインをずっと引っ張ってSwedish Styleをやり続けてきたEwa Kumlinさんも来日して、みどり荘IKI-BAで展覧会やパーティーやイベントをやる。

何故北欧のデザインが今、日本で評価される様になったのか?近年、2月のストックホルムの家具展がミラノよりも乗りがいいのはなぜか?デザインの潮目は完全に変わり、派手できらびやかな所謂デザインらしいデザインに変わって、手の感触のあるクラフトとしてのデザインなどが評価されてきているのは、時代とどういう風に関係しているのか?と言ったことに興味がいく。

キュレイターのKatrinはContemporary Collected.をテーマにしてキュレーションしてきた。日本人のデザイナーも、建築家もアーチィストも参加して、これからじっくりムーブメントを作って行こうと思う。今はそういう時代だと感じる。この動きはデザインを決して見捨てないで、暖かく見守り、サポートしながら自分も参加して作って行くものだと思う。

ボクがささやかながらこの世界でやってきたことが、こうしたムーブメントに役立てばよいなと思う。目の付け方、デザインキュレイターのまとめ方、ビジョンのもって行き方。情報と事業化、などを彼等に聞いてみようと思う。それをまた参考にして再構成していく。KatrinやEvaさんにも大いに話してもらおう。スウェーデン大使もこの為に考えを述べてもらう。

彼は京都大学で俳句や日本文学も勉強してるそうで、日本の文化に対しても造詣が深い。ストックホルム郊外の廃校になった学校を別荘にしているそうだ。益々、身近に思える。クリエイティビティーに対する姿勢を語ってもらう。ばたついている日本のデザイン界にいい刺激になることを願っている。

現代をどのように切り取ってそれを集めて行くかを。そして時代を作って行くか。

October 12, 2012

粋な紳士

昔はよく粋な紳士ってのがいたものだった。お昼過ぎ2時ころから4時頃、中途半端な時間に銀座か目黒のそば屋で、一人でつまみを軽く食べて、お酒を飲んでいる紳士がいる。

そしてさらっとそばを食べて立ち去ったとする。あれは一体なんなのだろうか?粋だな!と感じる。その紳士はどんな服をどの様に着こなして何をしているのだろうか?粋な東京の紳士。明治時代だったら、和服の着流しか、英国風のスーツを、夏なら麻のスーツ冬だったら、ハリスツイードかなんかで、チーフとメモを几帳面に持ってさりげなくメモをしている。

どんな本を読んでいるのだろうか?趣味は何かな?きっとマニアックで変なものを集めているに違いない。例えば葉巻のケースやオイルライターをたくさん持っている。万年筆のコレクション。古いレコードなどは普通だけれど、今だったら昔のキャラクターのセル画とか、デイランやグレートフルデッドの海賊版を集めていたり、初期の音源を様々な形でコレクションしていたりするのかな?

ウイスキーを飲むにしてもどのウイスキーをどのように飲むか?どんなグラスで飲むのが粋なのか。ひとたびその道に行くときりがない。しかしひとたびスポーツをさせると勇猛に戦う。こういった武士道にも通じて、潔く、勇気を持って、人生を生きていき、それでいてかっこいい人。

現代ではむしろ女の人にそうした人が多い様に思う。現在の様に国際間で色々問題がある時、毅然として、かつユーモアを持って、余裕がある人。こうした紳士を僕らで作り上げて行かないといけない。

むしろ現代の紳士とはどういう人なのかを探して行きたい。きっとカッコだけ復古趣味な服装をしてやたらに高い腕時計をしている人という訳ではない。イザという時に、きちんとした態度が取れて丁寧で趣味が良い。こうした粋な紳士を育てて行きたいなと思う。

それには先人に学びつつ、現代の世情を理解して、オリジナルな独自の紳士像を自分で作って行く。そこが大切だし、それには好奇心と知識欲だけでなく実践が大切だと思う。

人に良くして、異性に優しい。決断力のある粋な紳士。しっかりした思想を持ち、いざとなったらきちんとした筋を通せる紳士。ボクもそうした紳士として死にたいと思う。紳士は一日にしては成らず。

twitter