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March 12, 2010

デザインとコミュニケーションの未来

現在、日本のおかれている情況は、世界ではアジアでの中国、韓国、インドなどの経済発展に比べ元気がなく、スポーツでも遅れをとっているし、モノ作りでは量から質への転換がうまく進まず、デザインでもリーダーシップをどう取っていくか、文化戦略も政治情況の混乱を反映しているようです。

多様性を尊重して世界の情報のクラウドの中心になり、ハブになってゆく、デザインとアートの発信の中心になる。ここで遅れをとってしまいそうです。

これらのことは多様性を持ってそれをエネルギーに換え、デザインと文化と情報をどう解釈し扱ってゆくかをいろんな人とのセッションを通して学んでいく。

モノ作りを生産することだけではなく、プロバイダーになり創造的になる。クリエイティブインダストリーを作ってゆくかの延長で、仕事を作ってゆく姿勢を学ぶ場所が今の日本にはありません。

そこでスクーリングパッドのデザインコミュニケーション学部ではデザインとクリエイティビティー、情報とコミュニケーションを作って仕事をして行く為の要素をいろいろな視点から学んで行きます。仕事と学びを同時に考えて行きます。社会と個人のコミュニケーションを考えて行きます。

デザインコミュニケーション学部長 黒崎輝男

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スクーリング・パッド
< デザインコミュニケーションコース第10期 募集要項>

開催期間:2010年4月24日~7月10日
毎週土曜日 14:00~16:30

受講回数:全12回 
募集人数:20名 
授業料 : ¥189,000(税込)※分割払いにも対応

応募方法:ご興味のある方はコチラから

SCHOOLING PAD
http://www.schooling-pad.jp/

February 10, 2010

グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #2

ヘルシンキに一泊してからスウェーデンに来ている。これからレキサンドを廻ってトラックでマルメに行きそれからコペンハーゲン寄って、日本に帰る。

僕はいつも旅行する時、行きたいところの前か後に必ず他の都市を入れるようにしてる。例えば12月にオーストラリアにいくのに、わざとバリに寄ってから行ったり、ミラノに行くのにパリで2泊してからにして、帰りにロンドンに寄って帰ったりする。

昔は時間があって、ロンドンのフラットでぼーっとしていて、新聞でパリやアムスに行く安いチケットがあればそのまま出かけたりしたものだった、

その後、世界1周便で何回も廻ることで世界観を作ろうと自分で勝手に決めた時期が10年近くあった。これは僕にとって大切で、旅がしたいのであって、旅行をしたいわけではない。目的地に移動して仕事して帰ってくることだけがしたいのではない。それでかれこれ20周以上は世界を廻った。

今回はフィンエアーに始めて乗った。JALがこうなってみると、北欧の小さい航空会社で、ちゃんと飛んでるフィンランド航空はどこがいいのだろうかと思って乗っていると、満員の割に、サービスも普通によく、JALみたいにバカ丁寧じゃないことに気がつく。

空港もそんなにお金をかけてないけど文化的にきちんとデザインされてる。食事の後もリサイクルしやすいようにカップを丁寧に分けてしまうっていう感じ、アメリカの航空会社のようにガサって捨てて袋に放り込むことをしていない、こうしたことも気をつけてみると航空業界は其の国の文化と合理的に社会が廻っているかの縮図だと思う。

日本がこのまま行くと若者の現状からして骨抜きにされている今、危ない気がするが、ちょっとしたことで一気に変わるものでもあるのでこれからを期待したい。でもアメリカの航空会社にはパイロットも目的地に着いたら機内掃除をしてまた出発みたいなすごい航空会社もあるからそれはそれで良く、一時のアエロフロートの無愛想なサービスを見るにつけ資本主義の競争こそが社会の進歩をもたらすのかなと思ったこともあった。

そういうわけで家具やライフスタイルのフェアに行く前にいろんなことを社会的に見ることができるし、デザイナーは社会企業家でもあり、文化人類学者や歴史家でもあり、情報発信者でもあるので、ひたすら会社の営業の為に売れ筋の製品の開発に携わるだけではないことは確かだ。この認識さえも危ないようではつらい。

昨夜も80人ほどの会食で、デザイナーや建築家、家具会社の社長やフェアの事務局や政治家がみんな集まった。フィンランドやノルウェイやオランダやドイツからも来ていて副首相の前に座った。なぜ僕がアジアの代表でもないのに日本のデザインの現状や今後の展望を女政治家を相手に話すのかは判らないけど僕の人生はこんな変なことが多いので、ひねた冗談を言ってやろうと試みた。

スウェーディシュ・スタイル以降日本では北欧デザインが人気で、それはスウェーデンのイメージに寄与していて経済効果も絶大ではないかということを言ってみたらよく理解してると言ってくれた。グリーンなデザインに対する取り組みを進め、それに対する姿勢がいい。みんな緩く喋りながら名刺を交換するのでもなくいろんな人種が話し合っている。そして決めは、空間自体がお洒落でこうしたパーティーにふさわしいデザインがさりげなくなされていた。

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ストックホルムファーニチャーフェアの壁。とにかく寒い中植物を取り入れようとしている。

February 3, 2010

グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #1

先日NHKで見た日本のモノ作りの今後についての番組を思い出している。以前は世界の液晶テレビの大半を生産していた日本が中国や韓国のテレビに抜かれてしまった。そこで日本の科学者が集まり、最高の性能のテレビを作り、それを1台100万でも売っていこうという話を、モノ作りの原点を美化する訳ではなく、果たしてこれが生きる道かどうかという視点も入れて構成された番組だった。

最近NHKのこの手の番組は国営放送としての責任感が溢れ、実は僕は陰ながら応援している。僕も大人になってから骨董品収集に始まり、デザインやライフスタイルを軸に色々と考え、また各地への旅行を通して見聞きしてきたつもりなので、簡単には反応しないでおこうと思いながらも、これがこの2週間ほど頭から離れなかった。

まずモノ作りというのがモノを生産するということと短絡的に結びつけられなくなってきている現実がある。労働者といっても工場労働者の制服を着た姿とは結びつけられないのと同じだ。80年代日本がこうした電化製品や自動車を工場で大量生産して世界の工場かのように向ってきた時の栄光はそれはそれで凄いものがあった。

その頃アメリカではコンピューターやソフトの方向に向かい情報と金融で世界の中心に立とうと言う戦略に出た。それが90年代以降は成功した様だが、ここにきての破綻。一方ヨーロッパの国々は文化性と歴史を武器にブランドやデザインそれに総合的な力を大人の社会の底力を見せてしぶとくやってきた。

そこで日本はデザインや文化戦略の基本がなく、美しい日本を目指そうとした政権も短命に終ったし、一昔前の、生活が第一などと経済性と生産性の延長に夢の生活があるかのようなことをまだ言ってる。僕はこの俗っぽさがどうも苦手で、そんなら社会の端っこで静かに自分の好きなものに囲まれていきるからいいと思ってきた。

しかしその前に見たテレビでの明治維新の若者の生き生きした活躍や日本が開国するころの情況を見るにつけ岩崎弥太郎でさえも塾をやっていた、教えることと学習意欲は同じような活力なんだということに気がつき刺激を受けていた。

そこでこれから何回かに分けてこのブログでモノ作りとは生産性や効率だけでなくクリエイティビティーに根ざしたもうすこし大きな人間の能力に係るものであることを説明して行こうと思う。これから僕の料理の食べてもらう前ということで、まずはこの写真を。

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January 28, 2010

多様な文化状況の創造

先日サードプレイスコレクション(第三の場)と題したイベントで、新しい働き方を探そうとしている大学院生や社会人などの若者たちと話す機会があった。

数年前にマーク・ダイサムたちが自分たちの事務所をデラックスと名付けた。そこではクリエイターが20秒づつ20シーン発表するペチャクチャナイトというイベントが行われていたが、これは世界中に広がりちょっとしたブームになった。そして様々な人達が自分の意見や作品や今やっていることをプレゼンテーションを通して発表し新しい風を吹き込んだ。

その後スーパーデラックスっていう場が出来た。これは真面目でやる気があり、明るく元気でやってきたような今の賢い若者達が、ここにきて今の社会の状況はちょっと違うなと考えてき始めた時期と重なると思う。

こういう人達は昔だったら革命だとばかりに騒ぐところだったけど、そんなことしても何も変わらないとばかりに、もっと大人に現在の状況を捉えている様だ。

家と学校、家と会社以外にどこか行く場所、居心地のいい場所を作ろうということをコンセプトにスターバックスなんかが10年前から流行り始めたが、こういう居心地のいいカフェに集まって話すということは昔からあった。パリなどではカフェクーポールやドームやいろんなカフェに哲学者や芸術家、時代を引っ張る若者達が夜な夜な集まったものだ。

これは平和な時代が続き、世の中が普通に流れて行き、20年くらい経つとどんなに良いものでも古くなり、疲労がでてくるもので、一度壊して建て直さなければ行けないという気持ちになる事と関係がある思う。

毎日、昼があって夜があり、そして必ずまた朝が来るものだから。朝起きると、枕元には犬のシュガーがいる。そして和代ちゃんから頂いた人形は僕の心を束縛からすこし離してくれる。その後、今日の野草などといいながら植物図鑑を毎日めくり、代々木公園を歩いて原宿の事務所に来る。

先日、僕が話したのはサードプレイスなんて言ってることが古くさくって、第三の場所なんて言って、結局スタバじゃあ寂しい。カフェで話そうなんてのも悪くはないけど嘘っぽい。もっと多様な状況がそこら中にあるんじゃないかと言うこと。

だいたいこんな場所で真面目な顔して成功者に話を聞こうなんて言うのがずるい。とパンクな態度で話をふった。僕は失敗ばっかしてるし、だいたい失敗したやつの話の方が役に立つんだし、自分もそこを変えればいいんだって判る。大失敗してみたり、ヒエーという気分を味わってこそ勉強になる。

まっすぐ行ったり来たりするんではなく、刺激に満ちた状況を周りに作り、20年に一度は壊してみようと言うこと。式年遷宮のようにはなかなか様式としては完成できないけど、きちんと時間をおいて変わり続けることこそが普遍的ということだと思う。波の押し寄せる海の表面を見ていて永遠を感じ取るというものだと思う。

そして最近こうした変化に対する期待感が強くなってきた気運を感じる。今年はこういう僕らの方向をブロッグしてみようと思う。問題を見つけ出すことこそが面白いんだということ。そう思えるにはあれもあり、これもありという多様な状況をいつも周りに作っておくことが大切だと思う。

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January 18, 2010

検索エンジンと知の上昇

最近よく考えるのだけど、ヤフーやグーグルやウイキペディアを使えばもっと人類は賢くなって、どんどん世界の問題を解決して行ってるはずなのに、なぜか今でも人類が相変わらず愚かなことや、汚いものを生み続けているように思える。

人類も本来は他の生物の種と同じで、ひたすら種の保存の本能に従い、生きるために何でもするのだから仕方ないとは思うが、それでも真実に生きようとか、良くしたいとか、美しさを追求したいと考えるのが当然だと思うと、現在の世界で起きていることは不本意だし心配になってしまう。

そこでコンピューター文化は本当に人類に役立ってるのだろうかと思う。ふと疑問が起きて検索してみて、簡単に結果ができ百科事典や辞書も自由に使えてあっという間に調べることができるのになぜか知性が上昇しない。

知識は増大するけど見識や良識は育たない。これはやはり知性は実社会の行動や人と会って話したり試行錯誤をすることなくしては、なかなか育たないものなのだからなのかと思う。

それに検索エンジンとは、色々な道をたどってどこでも行くことができるということは判るが、実際にリアルな行動ではない、するとやはり人間は生身の動物であるから思考が深まらないのだろうか。

ネットで何でも興味の赴くままに検索するが、その為には実際の経験や、人との会話から知を引っ張ることに長けてなければいけないし、そのようなコミュニティーがないと思考が身体化しない。

それは本ばかり読んでいても何も始らないのと似ているが、ネットの知識は本よりも文字の存在が保存されない分、危うさが漂う。それは人間の頭の中に浮いては消えて行く思考の様でもある。

だから若い友人がtwitterって古文みたいに思えるって言うのを聞いて、最近、僕はブログで考えを作文の形にするのさえも少し面倒になり、徒然成るままにつぶやきを書き連ねている。

それは若い子が「何を今、してる」と言うことをつぶやいてるのとは違った使い方だけど僕の自分の中の心情と思考を自分自身知ることのヒントになる。軽い柔軟体操の意味を持つ。

今年は新年からこれらの自分のメディアとしてyoutubeの制作も加えようと思う。するとたまに呼ばれてする講演やスピーチも楽しめるし、twitterblogや人と会っておしゃべりや僕の一見メチャクチャな様々な活動も自分の中ではかえって整理されてくるように思える。

生物多様性(biodiversity)が今年は注目されてるけれが、表現の多様性と自在さ、自由は僕らをとても上昇させてくれる。そこで実際の行動と生活を学び実践することがひと際重要になってくる。

これからこうした循環が育ってくるといいなと思う。フィールドワークや実験や議論がうまくかみ合えば本来の検索エンジンの効果が出てくると思う。

January 14, 2010

なぜ農業が大切になってきたのだろう?

昨年の9月から青山の国連大学前でのファーマーズマーケットを陰ながらお手伝いしている。

世界中で普通に行われている週末のファーマーズマーケットがなぜか東京ではないように思え、数年前から機会があるたびに話してきた。池尻の学校でもずっとその話をしていた。そしてこのマーケットを始めるにあたり、僕は全体の流れや空気や雰囲気について、その底流に流れる世界の現状に対する認識などについて話し、関わることになった。

すると場所がよかったせいか、時代が求めているせいか、不思議な盛り上がりが生まれた。まず僕にとっては実行してる人のタイプをうまくキャスティングする事や、テントや什器や木のテーブルのデザインやオリーブの木の選定、グラフィックや小冊子の内容や音楽やアートディレクションをどうするか、そしてどう流れを作るかかがとても大切だったので、これをうるさく言った。そして今回メインに立ってやって下さった川畑さん達の会社の方々が上手く仕切ってやってくれた。

こうしたことの後ろには現在の世界の現状に対する認識がある。地球が無限に大きくはないことに気がつき、食料とか水とか自然に関して、自分の所属する社会さえ考えれば良いという訳にはいかなくなったことがある。

企業社会は成長イコール拡大を続けてきた。人口の爆発により100億の人が地球に住むような未来を前に、数字の上での増大こそが進歩とは信じられなくなり、ほころびてきたのだと思う。

そして農業や農的生き方が注目された。僕は「cultureはcultivateすることから」と考えてきた事もあり、食物を育てて食すことが文化そのものだと実感している。そういう訳で今年は新年から晴耕雨読している訳だ。

November 24, 2009

タダの自由

最近、ウェブ社会の未来はどうなるのだろうかということを考えている。

果たしてこの巨大なウェブ(蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報のネット)は人々を守りそして自由にしたのだろうか?あるいは人類を賢明にも良い方向に導いたのだろうか?と疑問に思うように成った。

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November 12, 2009

悲しき熱帯

10月30日にレヴィ=ストロースが100歳で亡くなったそうだ。僕等の世代ではサルトルやフランスの哲学者と共にとても影響力のあった構造主義の中心人物が1世紀生きて天国に往った。

特に彼のことで記憶に残ったのに、彼の若い時にブラジルのアマゾンに社会学の調査に行き、ムルンギン族という種族の婚姻形態を研究して、それをまとめた論文の名前が、悲しき熱帯っていう題だった事がある。

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November 3, 2009

デザインの行方

デザインのイベントが様々な所で行われている。

僕たちはSwedish Love Storiesというテーマで行われる、Swedish Style10周年の展示会の会場構成や様々な事を手伝っている。

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October 21, 2009

豊かなはずがそうでない今、の考察

最近のスクーリングパッドのクルーを見ていると、今迄は就職で人気企業であった大企業に働きながらなぜか悩み、今後は自分で何か始めたいという人が多いようだ。

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