イデーの草創期 #6

February 14, 2024

今から30年くらい前、毎年ミラノのデザイン展に行っていて、カッペリーニやドリアーデの展示会は入り口に人々が溢れて大人気だった。

パリのファッション・ウィークの盛り上がりに続いて、家具デザインや空間デザイン、ライフスタイルやアートや食のデザインまでも意識して、全てにおいて最高のモノを表現してみたいという衝動に駆られた。

僕はマリー・クリスティーヌ・ドロネー、フィリップ・スタルク、セルジュ・ムーユ、倉俣史郎、マーク・ニューソン、エマニュエル・バブレッド、オリビエ・ベドリン、ジャスパー・モリソン、ロン・アラッドなど世界中のデザイナーやアーティストやクリエイターや建築家などと話していて、一緒になにか新しい価値観を作り上げること、生活の探求、造形の真実、趣味の冒険を掲て行こうと思うに至った。

そこで世界は一つ、結局、生活の質、文化性が高いのが最高だと思うに至った。Sputnikという、世界中を周る、最初の人工衛星の名前で、世界中のデザインを集めて、世界中の人々に向けて発信するデザインムーブメントを作ろうと思うに至り、ミラノからパリ、ロンドン、ニューヨークなどで展示会をやり始めた。

そして1999年から東京で、Tokyo Designers Block というデザイン展を始めた。2001〜2005頃は東京が世界のデザインの中心の一つになった。人はお金をどんなに持っても、人生のビジョンが無いとつまらないし、センスが良い生活の素晴らしさを追求したい。それを無名性のデザインと個人の創造性の両方から掘り下げることがしたいと思った。

飛行機の設計者

February 14, 2024

祖母(父親の母)の兄、本庄季郎という大叔父とは仲良くしていた。彼は一高、東大主席でドイツに留学して、BMWのバイクを乗り回し、三菱重工の航空機の主任設計者だった。そして一式陸上攻撃機を設計した。それでプリンス・オブ・ウェールズという英国海軍の旗艦を撃沈した。

小学校四年生頃、野生植物をコレクションしていて、牧野富太郎の植物図鑑を愛読していた。毎週末、その季郎叔父さんと植物採集に行った。今でも覚えているのは、イチリンソウとかニリンソウ、と一人静か、二人静か、という名前の野草に感情移入して、名前の由来を話し込んだこと。深大寺のそばで八重のキンポウゲと言う野草を発見して、叔父さんと新種を見つけたと大騒ぎした。

彼は自然の中の不思議を見つけ、僕に「テルちゃん何故空は青いか分かる?」など色々聞いてくれて、自然科学の問題点を考えることを教えてくれた。

彼は発想がぶっ飛んでいて、戦後、三菱重工が飛行機を作れなくなったとき、航空機部門で働いている人の仕事をキープするために、余ったジュラルミンで自転車を作った。それは、三菱十字号という名前で、戦後すぐに行われた東京、大阪の自転車ラリーにも出走したようだ。

その後ハンググライダーで世界記録を立てたり、一種の変人で天才的な人だった。スタジオジブリの映画、風立ちぬにもゼロ戦設計者と一式陸上攻撃機の設計者として出ている。

彼は当時から家の家具をアルヴァ・アアルトで揃えていて、デザインセンスが良かった。そして、色々と建築家に対する意見があった。そのため彼は家でも孤立していたが、僕は気が合って仲が良かった。

Let’s Make Japan Great Again

January 30, 2024

今年の元旦に起きた地震で輪島の漆器工房は壊滅的な打撃を受けた。また世界では、アメリカは「Make America Great Again」を唱えるトランプが大統領になるかもしれないし、ロシアはプーチンがロシアを再興してアメリカやいわゆる自由主義陣営に対抗し、中国は習近平が中華思想で中国を世界の中心に持っていこうとしているかの様だ。

一方、日本は戦後のアメリカの日本弱体化政策という様に、日本精神といったものを抑え、また日本人もそんなに武力や経済力やGDPで競い合ってもしょうがないという風で、社会も老人化が進み、そんなにやる気を感じられない。

それぞれをCultureに置き換えて、「Make American Culture Great Again」「Make Russian Culture Great Again」「Make Chinese Culture Great Again」と文化で競い合う社会に転化するならば少しはいいのではないかと思う。

「Let’s Make Japanese Culture Great Again」を考えていたら、陶器「ceramic」を「china」と言うし、漆器「lacquerware」を「japan」と言うことに気がついた。日本文化の良いところと弱いところを考え直して、「Make japan Great Again」日本の漆を再興したいと思うに至った。

そういえば2011年の東北の津波で被災した雄勝の硯産業再生活動後、僕らは金継ぎを広めるためにパリやオックスフォードやロンドン、ストックホルム、ポートランドで展示会をしたり漆と金継ぎのイベントをした。

その時一緒に行ったのが、福井の越前漆器会社を引き継いだ山久漆工の山本さんだった。彼は京都の漆職人を連れてきた。みんなで世界を回って、金継ぎで日本文化は壊れたものを再生し価値を生み出せる事を示した。

そして石川県の小松市滝ケ原町に北陸古民家再生機構という社団法人を設立した。また同時にTakigahara Farmという農業生産法人やCraft and Stayという会社も設立した。

そこで今回の能登半島の大地震が起きた。そして輪島の漆産業が大打撃を受けてしまった。僕はずっと文化で社会を再興する事をやってきた。日本の伝統工芸やクラフトは職人の高齢化が進んでいるが、ここで新しく生まれ変わり、特に漆器や陶器は昔ながらのやり方からの脱皮を模索している時期だと思う。

一方、美大を出てアートやデザインやクラフトや建築をやっている若者は、職人に弟子入りして地味な手仕事をする人はごくわずかだ。しかし最近は僕らのやっている青山のファーマーズマーケット周りにはこうした若者が集まっている。特に女子の優秀な人が多い。そういえばドイツの若い女の子が滝ケ原で漆をやりたいと職業訓練校に入学し始めた。こうした動きを集めて輪島の漆器工房を事業承継することを考えたい。

そういえばスウェーデンのデザイナーのインゲヤード・ローマンが僕らのためにガラス器をデザインしてくれたが、それを山本さんが漆器でも作ってくれた。ガラス器は木村ガラスが作って、漆器は山本さん。漆器の上品な存在感とモダンなデザインが伴って素晴らしい物ができたと思う。まだプロトタイプだけれどこうしたものも作っていきたい。

イデーの草創期 #5

January 23, 2024

IDÉEではまず初めに、モダンデザインの原点である1930年代のアール・デコの家具を集める事から始めた。

次に、1950年代のフランスのに影響を受けたFORMというブランドを作った。現代美術の始まった1950年代は、デザイナーや建築家の名前がはっきりしてきた時代でもあった。イサム・ノグチ、セルジュ・ムーユ、柳宗理、長大作など、デザイナーやアーテイストの才能や個性や思想が形に現れる様になってきた。

その後、PAYSAN (農民)という名前で、ベーシックでスタンダードな家具のシリーズを始めた。昔の家具のカタログや雑誌を収集していく内に、スタンダードであるが、誰がデザインしたのか分からないデザインの家具を追求したい気持ちになった。

その一方で、フィリップ・スタルク、マーク・ニューソン、倉俣史郎など同時代のデザイナーは、自分の存在をかけて美意識と価値観をスタイルやデザインに込めて表現してきた。ファッションとはまた違い、生き方や生活に直接関係している様で、僕らは1980〜90年代は熱中した。

僕は家具のデザインこそ、そのデザイナーの才能の発露だと思う。アンドレ・プットマンが手がけたニューヨークのホテルの内装や家具、フィリップ・スタルクによるデザインホテルなどが、そういった世界観を表現してきた。

IDÉEのデザイン

January 10, 2024

セルジュ・ムーユが来日した後、フランスからは、マリー・クリスティーヌ・ドルナーが日本に来てデザイン活動を始めた。また、フィリップ・スタルクとはパリで会い、一緒に日本のマーケットに向けた新しい家具を開発した。

この頃、たくさんのデザイナーと会った。

ジェイムス・アービンとは倉俣史郎氏の事務所で会った。その頃、彼は日本で企業デザイナーとして働き始めていた。ジェイムスのロンドン時代からの親友、ジャスパー・モリソンも倉俣氏の所で会った。

RCA(Royal College of Art)を卒業したばかりのジャスパーはたった一人で小さな事務所を開設したばかりだった。最近ジャスパーに会った時、フランスのワイナリーで作ったワインに、ジェイムスの名前をつけたと言っていた。古くからの親友の名前からとったワイン、良い話だと思う。

次第に世界中のデザイナーに、IDÉEのために新しくデザインすることが知られる様になった。

マシュー・ヒルトンも来日して、ソファーをデザインしてくれた。アメリカからはロス・メネズやニック・ダインがやってきた。カリム・ラシッドも来てくれた。

その頃、日本にいたマーク・ニューソンは、Appleで働き始めたジョナサン・アイブとIDÉEで会った。

80年代後半には、IDÉEは世界のデザインの中心地の一つとなっていった。その頃、家具をデザインすることは格好良く、アートやインテリアデザイン、建築やランドスケープ、クラフト、ファションや音楽などと一体となって、時代は80年代から90年代に突入していった。ファションの分野ではナイジェル・カーティスやポール・スミス達が、IDÉEの展示会に来てくれた。

最近は「どこの会社や組織で何をしているか?」などが、人の基準になってきているが、もっと大きな目線というか、いい加減というか「クリエイティブであるか?、進んでいて面白いやつか? 良い奴か?」などが人の基準になっていたと思う。

これは以前カタログに書いたが、マーク・ニューソンが僕に作品集を見せに来た時、彼の歯ブラシのコレクションの話になった。そして、僕の好きなミラノのお店の豚毛の歯ブラシを持っていたことから、すっかり信用したのだが、例えば一緒にご飯に行く時に何を食べるかなど、お互いの判断が、デザインよりも違った視点で、信用に関わったりするものだ。

ロンドンではロン・アラッドのOne Offという家具をアートにしたギャラリーが好きだった。当時、トム・ディクソンの元で働いていた、マイケル・ヤングもそういったデザイナーの一人だった。

デザイナーの世界でも、Apple Watchをデザインしたジョナサン・アイブやマーク・ニューソンなどは、昔ながらの人間臭さを残していて、お金だけでは無い所や、親友を大切にしている所や、格好良く生きる事を第一に考えている所などが、僕が気に入っている所だった。

セルジュとの出会い

December 30, 2023

IDÉEでは、カタログ雑誌 「Life with IDÉE」を発刊して毎号7万部以上販売した他に、岡崎乾二郎氏や小林康夫氏と組んでFRAMEという美術理論誌や、「SPUTNIK : whole life catalogue」という本と雑誌の間の様なものを、野村訓市くんという若者と組んで作ったりした。

僕の人生が大きく変わったことの中で、フランス人デザイナーのセルジュ・ムーユとの出会いがある。

FORMというフレンチ50’sのデザインから影響を受けたブランドを作った時、パリの骨董屋や蚤の市を訪れた。その時に、不思議なデザインの照明器具に目がいった。そのランプ扱っているアランという骨董商と知り合い話を聞いたり、色々調べてる内に、セルジュ・ムーユに会いに行くことになった。

ちょうどその時パリにいたマーク・ニューソンを連れて、お土産にサンジエルマンの花屋で綺麗に咲いていたケイトウの花をあるたけ買って、友人の車でパリから1時間ほどのシャトー=ティエリにある、セルジュのアトリエ兼住居を訪れた。

彼は僕らを歓迎してくれて、自分で作った鴨料理を振舞ってくれた。そして自分のデザイン思想を話してくれた。僕とマークはそれに聞き入ってしまった。

僕はセルジュを日本に招待して、僕らの工房を案内することを提案した。その時いた娘のステファニーも来る話になったが、彼女は結局来れなかった。セルジュは自分のオリジナルの型を見せてくれて、それを参考に作ったら良いと言ってくれた。

そして、日本では当時仏壇を作っていた兼松さんという金属加工業者に頼んで、この不思議なデザインのフレンチ50’sのランプを再生産する事になった。

過去のデザインを自分たちが発売するために、直接交渉するということは、今までのやり方とは全く違ったようだ。柳宗理氏のバタフライスツールもそうだった。柳宗理氏に会いに行った後、天童木工のデザイン開発者、天童木工の社長、大山勝太郎氏に会いに行った。

長大作氏のデザインした椅子の時も同じだった。とにかく良い物は良い、自分が見て良いと思うものを信じてやっていこうという気持ちが強かった。こうして一度廃盤になった過去のデザイン、名作が再生されることが世界中で起こるきっかけになった。

イデーの草創期 #4

December 29, 2023

1983-1984年頃は僕にとってはファションと建築とアートに目覚めた時期であった。コム・デ・ギャルソンの名刺を持ってニューヨークやシカゴやロスに行ったし、パリではショーの手伝いもした。

また、IDÉEではフィリップ・スタルクの家具を発表したり、新しいデザイナーとのコラボレーションを始めた。

ロンドンで友達になった1人に、建築家、デビッド・チッパーフィールドがいた。当時は若くて少人数で活動していた。そんな彼は、彼は今年プリツカー賞という建築界のノーベル賞のような賞をとったし、現在ではアシスタントが300人以上かかえる建築家になった。彼に後藤美術館の建築の仕事を紹介したりもした。

フィリップ・スタルクも僕が知り合った頃は一人でやっていた。カフェコストという古さと新しさが共存した空間を作っていた。フィリップ・テリアンというハンサムなフランス人の代理人と、彼のデザインで、日本での製作の家具を企画した。

IDÉEというアール・デコを基にしたブランドに続き、FORMというフレンチ50'sデザインを再生するブランドを打ち立てたのは、特筆すべき事だった。骨董品であった50'sや60'sのデザインの家具や照明器具や、デザイン雑誌のコレクションなどを買い集めていた。

日本の方では、柳宗理のバタフライスツールを再生すべく、天童木工の菅澤さんに会いに行った。今でこそバタフライスツールは再生産しているが、当時は生産をストップしていた。僕らが買うからまた生産を再開しないかと、当時の天童木工の社長に頼み込んだ。僕は家具業界では素人だったので、良いものならまた作ればいいという感覚だった。

イデーの草創期 #3

December 21, 2023

古い万年筆やオイルライターを修理したり、エジソンの蝋管蓄音機を売って儲けたお金で、ヨーロッパを買い付けで回った。イギリスからスコットランドまでも足を伸ばしたし、フランス/パリには頻繁に行った。

自分の好きなものや、綺麗だと思う骨董品を青山の骨董通り(この名前は、当時からくさという古い伊万里の陶器を扱っていた中島誠之助さんと西洋骨董を扱っていた僕が名付けた)の店で売った。かつては渋谷から六本木までの都電が通っていて都電通りと呼ばれ、今の国連大学の場所には都電の操車場があった。

当時は、Pan Americanの世界一周便が$999であり、香港出発でヨーロッパを周りニューヨークからサンフランシスコを回って帰国するというルートで、これを何度も利用した。世界一周する内に、世界中に友達を持つようになり、世界は一つという感覚が生まれた。

そして、インテリアや家具に興味が移り、建築にも興味を持つ様になった。祖父の家はフランクロイドライトの弟子の遠藤新が設計していた。祖母は自由学園の羽仁さんの事もよく知っていた。ただ、祖父の家が本に取り上げられていた事などは、僕にとってはうざいことであった。それぐらい祖母の言うことや両親に反発して独自の人生にこだわった。

その頃の骨董通りはまだ何もなく、コムデギャルソンの川久保さんが小さな店を出して、当時の副社長の片山くんはよく店を冷やかしにきた。ある時、僕の店にPaul Smithが顔を出して、骨董家具に塗るBriwaxというワックスをくれないか?と聞いてきたので、それを塗りに彼の店に出かけていった。それ以来ロンドンで会ったりしている。

1980年頃は、片山くんから今度コムデギャルソンがパリで展示会をするので手伝ってくれないか?と話があり、川久保さんにお会いして、パリのショウや展示会を手伝った。

それまでは会社との仕事には縁がなく、初めてファッションにも触れた。この時にコムデギャルソンのお手伝いできたのは良かったし、川久保さんの風変わりな人柄も気にいった。近くで色々仕事をする内に、その美意識、思想、デザイン、ファションは僕に影響を与えた。

その時、僕は家具で勝負しようと決心した。

骨董品の買い付けで行ったロンドンのキングスロードで、風邪をひき、薬屋に入ったら、そこの主人から、息子が日本住んでいるのでプレゼントを持っていってくれないか?と言われた。翌日に行くと小さな包みを渡され、それを吉祥寺に住んでいる息子さんに届けた。彼の名前はエイドリアン・ジョフィ、後にコムデギャルソンに入り、川久保さんのパートナーとなった。こうした偶然がたくさんある。こうした偶然がたくさんある。

家具の方は、アンティークのベントウッドチェアを沢山売った。その流れで日本でベントウッドチェアを作っていた秋田木工を訪問して社長とお話し、よりシンプルに作ってもらい、自社製品の販売を開始した。

イデーの草創期 #2

December 19, 2023

僕はずっと精神年齢が高校3年生のままであり、いつも心にはStonesの曲とDylanの歌詞があると言ったら、ちょっとカッコつけている様だが、ほぼその通りだった。

その頃、僕は新宿のジャズ喫茶のDUGや木馬によく行った。ジャズ喫茶は、私語を禁じられている空間で、ジャズだけを良いオーデイオシステムで静かに聴き、丁寧に一杯づつドリップでいれられたコーヒーを飲むという場所だった。そこでは学生運動で活動していた活動家も、ヘルメットを紙袋に入れて隠して、静かな調和を保っていた。僕はトックリセーターにベルボトムのジーンズに長髪という格好で静かにジャズなどを聴いていた。

当時の新宿は騒乱状態で、フォークゲリラが行われたり、ロック革命を言う若者が多く、学生運動も真っ盛りだった。当時の早稲田大学理工学部の学部長は建築家の吉阪教授だったので、大衆団交の際に、彼に対して国家権力と対峙してこそ大学の学問と真理を追求することができるのではないかと主張したことを覚えている。しかしその学生運動の構成セクトは年功序列、学閥重視の大人の社会をコピーしている様に思えたし、格好良くない人たちの様に思えた。

そこで、弟がロンドンに留学していたので、イギリス製の物を送らせてそれを日本で売る仕事を始めた。当時は西洋のアンティークがブームで、僕らはまずダンヒルのオイルライターと万年筆に特化して扱った。万年筆は夏目漱石も使っていた、抜群の書き心地のOnotoや、Waterman、Pelicanなどの古くても程度の良いものを集めて売った。また古い蓄音機を探して日本のジャズ喫茶に飾っている人に売ったり、効率の良い商売に目覚めていった。

弟がコレクター気質でオタクだったので、古いオイルライターでタバコを吸いながら音楽を聴き、古い万年筆でものを書くという、今の社会ではないライフスタイルに憧れ、それを元に事業を始めたという訳だ。当時の僕にはイギリスの骨董市やパリの蚤の市を廻って自分の好きなものを買って日本で売る事は魅力的だった。

イデーの草創期 #1

December 18, 2023

僕は学生時代から、どっかに就職してサラリーマンとしての生活をおくるなどと考えたことはなかったので、自分で稼いで自分で仕事を初めて事業化するということしか頭になかった。

多感な高校生だった1968年頃には世界中がざわついていて、ちょうど今の様だった。僕は、大学生になる意味、学問をする意義、そもそも大学とは何をするために行くのか?学問とは?大学の存在意義とは?などを考えざるを得ない時代の空気を感じていた。

父親も叔父も開成高校を卒業して、叔父は東北大を卒業して日立の中央研究所を立ち上げメンバーだったり、父は次男だったので家業の軍人になって将軍になるべく陸軍士官学校に行った。また、大叔父は二人とも一高、東大から三菱重工で  
航空機の開発や運需産業をやっていた。母の父、僕の祖父は陸軍参謀本部で陸軍中将の服部武士だった。

父の母のそのまた父、僕の曽祖父は明治時代にフランスに留学してフランスの火薬を日本にもたらし日本陸軍のフランス派で少将だったり、父方の祖父、黒崎貞彦は日露戦争での武勲から明治天皇から金鵄勲章を貰ったりと、皆、侍の血、武士の血を受け継いでいたらしい。おばあちゃんはそれをいつも言っていた。

一方の僕はブリテイシュロックかぶれで、Paint it black世代というか、ストーンズ、ビートルズ、ツェッペリンなどの世代で、BobDylanの歌詞から英語を学ぶような学生だったので、全てに反発した。また、サルトルやボーヴォワールやヒッピー思想に影響されていた。

しかし思い出してみると、もっと小さい時、小学校3年の頃は、ギリシャ思想や、アテネの民主制の元になった思想や、プルタルコスの対比列伝(プルターク英雄伝)の、テミストクレスやペリクレスに胸を踊らせ、ナポレオン伝などを与えられて来た。

今から考えると特殊な教育をされて来たと思う。これは日本の武士の志は血の中にあるので、西洋の思想を取り入れたらいいという父の考えが反映していたと思われる。そんな中、日本人は真面目でいい人が多いし、和して同ぜず、和むけれど同化しないということを教えられたことは良かったと思う。

しかし、高校時代はラジカルなロックが好きだったので、反戦思想とカウンターカルチャーの中で育った。その頃、隣の席にいた子が横浜国大の革マル派のリーダーになり、内ゲバで鉄パイプで頭を割られて亡くなったり、テレビで東大安田講堂事件を見ていたら、慶応に行ってた子が捕まって出て来たりなどが普通にあった。

Craft? Handmade?

August 29, 2023

最近Craft Beer FestivalをFarmers Market@UNUで企画しました。

最近はクラフト、という言葉を目にすることが多くなりました。クラフトとは、民藝、手作り、と行った意味がありますが、最近はクラフトビール、クラフトフードなど使われる様になってきました。

日本では大手のビール会社がほとんどのビールを作り、小さな、クラフトビール会社が作るビールはほんの少しです。大手のビール会社も毎年新しいビールを開発して、宣伝にも力を入れて、全体としては日本のビールは美味しいということが言えると思います。

しかし多様で個性的ないろいろな方向から考えられたビールはなかなか生まれにくい社会の状況です。

手作りとは?実際は機械で蒸留したり、すべてオートメーションではなく、手作り感と行ったものではないかと思います。全てが機械化されて、大きな会社が、たくさん売るための、考えられた宣伝ばかりではなく、小さく、個人で作られた手作り感のあるビールは外れることもあるけど僕はつい手を出してしまいます。

大量生産で安全に大手の会社でばかり作られたものではなく、個人の手の匂いが入ったもの全ては、無駄や駄目なところが含まれているけど、なぜかヒューマンな感じがまだある様に思えます。安心な味と品質だけでないものも楽しめるし、評価できる社会がなぜか魅力に思えてきます。

組織を創る

January 19, 2023

僕は今まで企業に就職した事はない。その代わりに、株式会社や有限会社や農業生産法人、NPO法人、社団法人などいろいろな会社や組織を設立して来た。

始まりは学生時代に、イギリスに留学していた弟の生活を成り立たせるために買い付けした骨董品を売るために、黒崎兄弟商会という組織を作った。そしてすぐに黒崎貿易株式会社という会社にした。

そして青山の現在の骨董通りを中島誠之助さん達と名づ、西洋アンテイークの店を作った。それまで古いものに興味があったわけではなかったが、祖父の家などには古いものそれもイギリス製のドローリーフテーブルや、フランス製の石の屋根瓦や、いろいろな骨董品にふれてはいた。

ただ海外に行くとまずは骨董街に行き古いものを見て買うのが好きだった。弟が住んでいたロンドンのバーモンジーには毎週金曜日には朝早く骨董市がたち、ありとあらゆる骨董品が売られていた。古いものを大切にして、その価値を説明して、値段を決めて思い思いに売っている様子を見るにつけ骨董品に興味が深まった。

その頃、古いエジソンの蝋管蓄音機を探して新宿のジャズ喫茶を経営している人に買ってもらったのをきっかけに、古い万年筆やオイルライターなどを弟に言って集めさせそれを日本で売る事を始めた。そうしているうちにアンティークに引き込まれて行った。

そして絵画やデザインにも惹かれて行った。もともと家では父や母と芸術論を闘わすような家ではあったが、特に骨董品について詳しかったわけではないが、もののデザインや歴史を熱心に話す骨董品のお客さんから影響を受けた。

それから僕の興味は古い家具からインテリアデザイン、建築、ライフスタイルに移っていった。外国で自分の好きな家具やデザインされたものにに囲まれて、好きな音楽を聴いているのを、羨ましいと思った。

その頃、受験勉強をして競争社会で大きな企業に入り安全に暮らすことに疑問を持ち始めていた。また外国で自分の好きな家具とインテリアに囲まれて、趣味と仕事に包まれて暮らす人に会うと羨ましく思った。

一方、日本で偏差値の高い大学に行き一流企業といわれるところで働いている人に羨望の気持ちは湧かなかった。おじさんたちは皆一高、東大出て偉そうにしていたけど羨ましく無く、父親も開成から陸軍士官学校出て技術将校になって、戦争に負け数年してから結婚して、僕が生まれ、自分の科学技術を生かすべく陶器の釉薬を研究する技術者の道に進んだようだ。

父の兄も開成から東北大、日立中央研究所設立メンバーから大学教授になリ、また大叔父2人も一高、東大出て三菱重工で飛行機を開発したり軍需産業の会社をしたり、また祖母の父、僕の曾祖父は東大で教えてからフランスに留学してフランスの火薬や武器や研究して、帰国してから日本陸軍のフランス派の将軍になった。こ

うした経歴が僕は嫌だった。恥ずかしくはあれ自慢ではなかった。僕の高校時代は60sでブリテイシュロック全盛で、ビートルズ、ストーンズ、ツェッペリンを始めパンクまで没頭していた。

歌詞で英語を学び影響を受けた。そしてアメリカではサンフランシスコのヘイトアシュベリーに行ったり、ベトナム反戦運動やヒッピー文化に影響を受けて、ボブディランやPPMの歌詞にも影響を受けた。

僕がいった早稲田の理工学部の応用物理学科には当時コンピューターの研究に向かう方向と物性論、素粒子の研究に向かう方向があった。僕は今の様なコンピュター社会が来るとは思はないで、ものの存在とは?とかサルトルの存在と無などを読んだりして考えていた。

目先のお金のことなど考えるのはダサいという考え方だった。そこで始めた骨董屋で始めてお金儲けに集中した。アンテイークの照明器具や家具をコンテナで輸入する様になって、そのリプロダクションをつくろうと思い、当時アーチィスト崩れで鉄工所をやっていた友人の鉄工所でビクトリアンの照明を作った。

また同時にアンテイークの曲木の椅子を日本の木工所で作らせたりして、IDEEというブランドで売り始めた。

その頃フランスによく行き、フィリップスタークに会ったりして彼のデザインを日本の家具屋として始めて日本で発表して展示会をした。骨董屋の頃は3人ぐらいの社員がいたがその後リプロの家具を作る頃には30人くらいになった。

もともと社長になりたいわけではなかったけど、昔から親分気質で長男なので自然に社長をやっていたけど、人は皆平等という所はあり、天は人の上に人は作らず、人の下に人は作らずと行った考えや、真理の前にはみな平等という風に考えていた。

Do one good

April 20, 2022

犬に良くする
猫に良くする
他人に良くする
We do good to dogs.

僕らはラグビー選手だった髙橋イッソウと犬に良くすることを目的にした社団法人を作った。Do one good。

捨て犬や保健所にいる犬を救い、犬や猫の交換会を国連大学のファーマーズマーケットで行い、年間40万匹もいた殺される犬を2万匹に減らした。もう少しで保健所で殺される犬が全国でいなくなると思う。

My best friend is a dog.
僕の一番の友達は犬だった。

僕は小学生の頃から、むく、という柴犬を飼っていた。本当に親友だった。子犬の頃、犬を家に入れてはいけないと親に言われ、犬小屋で寝たこともあった。

大学生になってイギリスに行って、犬が電車やバスに乗っているのをみて、すごく感動した。本当に犬は人間と一緒に生活をすることができるんだ、ということを見て、社会はこうあるべきだと思った。

もしも僕に人類皆平等だという心が強いとしたら、それはこうした犬との関係から生まれたものだと思う。Do wan good. do him good , do her good. のoneをwanと、わんこと置き換えた。

ウクライナでは犬はどうしているのだろうか?ということを考える。子供や犬や老人を救おう。その為に活動を起こそうと思う。

宗教や正義のため戦争をしているとしたら、神道は、木々一本ずつに神が宿り、苔のむすのを見るにつけ、静かに平らけく和むことを願う。

ダイバーシテイーというけども、多様な人種、多様な生き方、多様な宗教や考え方を受け入れることをもっと進めたい。自然の苔庭を眺めながらそう考える。

ソ連の頃に友人のRodionに連れられてモスクワからサンクトぺトルスブルクからフィンランドまで旅した。彼は哲学とヨガと現代美術を愛し、合気道をやるために日本に来た。

その彼が去年、ウクライナの隣のモルドバに帰った後、戦争が起きた。彼とトルコ人の建築家のイルギンとzoomで話した。そして新しくモルドバに未来的な村ービレッジ作ろうということになった。

ひまわり畑と農業をやり、新しくシェルターを建てる。現代美術を置いて、デザインの良い家を建て、新しい仕事を進めるための村をモルドバに作る。

ウクライナからたくさん避難民が来ているので、国連大学で毎年僕らがやっているイベントFood to the peopleをRefugeeとやる。

建築家のイルギンはシェルターをデザインし、Rodionはヨガとメデイテーションを行い、現代美術をたくさん集める。そして新しい村のコミューンを作る。

https://www.bbc.com/news/av/world-europe-61099211

野良のススメ

April 12, 2022

野に良くする、と書いて野良。土に触れて耕して、野菜や米を育てる。また肥料をやり土を発酵させていい土をつくる。

冬は味噌を作ったり、藁仕事や大工仕事や農作業と云はれることをいろいろやる。百姓を100Worksと言い換えてみた。100の色々なことをやる仕事。それが百姓。

現代では自然に触れて作物を育て、自給自足の生活の基盤を持って生活を組み立てることが見直されて来たが、僕は土を耕すことが大切だと思う。

掘り下げてみて空気を土に入れて細菌を混ぜ土を発酵させることにより作物が生育されやすくする。それら全てを通して土に良くする、野に良くする、野良仕事。そこが重要な意味を持って来た。

学問のススメ

学問、問フヲ学ブ、と書いて学問。

本来学問とは学習や勉強とは違って、問い掛けの面白さや、質問の視点を学ぶというものだったと思う。世の中には下らない質問を解くのに躍起になっている。

そもそもそんな質問は意味ないじゃないか、特に現代においては携帯でググればあっという間に答えが出ることを知っていても意味ないかと思うことが多い。何を持ってその質問が生まれるのかが大切。

好奇心やヒラメキから生まれる問題設定、この問題設定こそが英知が必要ではないか?ウクライナ問題でも、民主主義や自由の獲得の大切さと大変さが、日本では闘つて勝ち取られたものではなく、敗戦により押し付けられたものとしてあり何がいけないかとか、どうあるべきかがあまり検証されづにあることが幸運でもあり不幸でもあると思う。

天は人の上に人をつくらづ、人の下に人をつくらづ。ということから、皆平等であり、民主主義があり、戦争反対が当たり前である。という幸運な状況が平和ボケと云はれる現代の日本の民主主義の現状であり衆愚主義と云はれてもしょうがない現実であると思う。

日本の食料自給率の低さ、貿易依存度の高さからして、大きな問題であるばかりか、物事をじっくり掘り下げづにできるだけ早く正解を得ていくという学習至上主義。面白い問いかけを楽しんだり、好奇心の先のイマジネーションを問いかけに反映させることが少ない。

これは野良仕事がなくなり、お金のための農業だけに注目されている現状の貧しさ、野良の良さをすっかり忘れている。これは学問の楽しさ、面白さを否定して、学習に走っているのと並行している。

Tech feudalism

March 28, 2022

ウクライナ問題は、一つには民主主義と、専制主義の対比から始まるように見える。

プーチンのロシアや習近平の中国のような、一人の専制君主の様な人間が頂点を極め、絶対的な権力を握るというやり方に対する世界中の反発のように思える。

プーチンがどんなに優秀で素晴らしい権力者だとしても、中央集権的な力を持ち、封建的な王国を作って行くようなやり方、封建主義に反発がある。

また一方、GoogleやFacebook(Meta)のようにテクノロジーのシステムでのプラットフォームによる中央集権的な機能に対する反発もある。

プーチンはお城のような宮殿を建てるし、マイクロソフトのビルゲイツは何十兆円もの個人資産を持つ。

現代においての民主的なやり方とはどんなものか?ギリシャ時代の民主主義もアテネとスパルタのように違った民主主義がある。

僕の小学校3−4年の愛読書のプルターク英雄伝に出てくるテミストクレスやペリクレスの様なヒーローとは違い、テクノロジーが発達した現代も封建的な思想がある。ただそれも一概に悪い事ばかりでもなく、仁や義や礼節など日本の古くからある良い所もあり、民主的なやり方は深いところで共通することがある。

それは互いに対し尊敬をもって接するということ。他者を尊重するということ。

資本主義の良くないところはお金がまずあり、それにより戦略とコミュニテイをたてると言うやり方から、最後はまたお金に戻ってくるというやり方な点だと思う。

ウクライナや現代の社会をじっと見てみるとまず行動や戦いがありそれからコミュニティーができてそれを支えるソフトウエアが生まれる。ということもある。

新しい形の戦争が今ウクライナでは生まれているようだ。一方アメリカの若者たちの中にはコンピューター社会に対する依存、モバイルに偏りすぎずに人と人との関係性の欠場に対する不安や反発などがある。

非中央集権、まず闘いや行為が先行してそれをソフトが追いかける。個人の思想や意思がついてくる。それはまさにブロックチェインのDiscentralizationとTracabilityとつながっているようだ。

人間は権力や独占に対してどれほどのエネルギーが注がれるのか?人の上に立つことに対する魅力は僕にはあまりないし、民主主義は皆を尊重して、たとえ時間がかかっても納得してもらってから一歩づつ前に進むというやり方をとる。

一方現代的テクノロジーの中で生まれた富の集中、権利の集中もありここにも矛盾がある。一部の個人が国家予算よりも巨額の富を持つ。これは現代のテクノロジーが生んだ封建君主的な立場を作ってしまった。

一方、日本の国内の思想や風習にも現代と合わないことがあり、僕は最近日本的な風習の中に潜む良さを発見して楽しんでいる。

だから現代のアメリカ社会で起きている価値観が全てではなく、歴史的に見て、日本的な価値も深いところで理解して、ユダヤやキリスト教的な発想もよく理解して世界で起きて行くことを見ていくといいと思う。

「ちょっと待てよ?何が問題か?」をもう一度考えてみよう。しかし、それにつけてもウクライナでは子供達が殺されていることは本当に見るに忍びないことだ。

IDEE UNIVERSAL

January 13, 2022

僕の仕事は、青山にCROAという、CROW(鴉)から名前をとった骨董屋を作ったことから始まっています。

当時のあの場所はまだ、骨董通りという名前もなく、渋谷から六本木まで走る都電が通る、都電通りと呼ばれていました。

その頃、弟のシンジがロンドンに留学していて、彼の骨董収集癖を伸ばしてやろうという考えもあり、エジソンの蝋管蓄音機や、ONOTOやWatermanの古い万年筆や、Dunhillのオイルライター、ガラス器などを送らせて、CROAで売り始めました。

CROAには、カラスはなんでも収集する癖があり、カラスの巣はそうして集めたもので作られていることが多いことから、カラスの巣のような骨董屋を作ろうという意味合いで始めました。

ちょうどその頃は骨董ブームで、青山では、西洋骨董は僕らが中心になって始め、和骨董は中嶋誠之助さんが古伊万里染付の専門店「からくさ」というお店をやってらっしゃいました。そうしてこの通りは、骨董通りという名前になりました。

ちなみに去年作った会社も偶然カラスにちなんだ、WATARIGARASU(ワタリガラス)という名前です。

しばらくお店を続けている内に、骨董のランプやガラス器などのインテリアが好きになり、また興味が家具など、大きなものに移っていきました。そこで建築やインテリア、アートやデザインを自分で学びました。この時も先生は骨董屋さんでした。そしてイギリス、フランス、アメリカを回り、世界一周をして家具を買い付けしました。

50年代や60年代のデザインに興味が移り、パリの蚤の市で見つけたセルジュ・ムーユのランプから、当時デザイン学校で教えていたセルジュの家に行き、そこで鴨をご馳走になったりして、彼を日本に招待してオリジナルの型を分けていただき、FORMというブランドを作り売り出しました。

そうしているうちに、当時まだ若手だったPhilipp Starkを日本に招待して、当時始めたIDEEという家具のオリジナルデザインの会社から発売しました。また、Marie-Christine Dornerという若いフランス人のデザイナーの家具を発表したり、Marc Newsonという才能を発掘して世界中で展覧会をやったり、まさにデザインの中心で活動をすることになりました。

そしてSputnikという活動を始め、世界の新しいデザイナーと組み、家具を中心に様々なデザインを発表しました。Tokyo Designers Blockというデザインイベントには世界中のデザイナーが集まり40万人が参加しました。一瞬かもしれませんが2001-2003年は東京がデザイン界の中心になりました。

その後は、R-projectというRethink、Reset 、Recreateをする会社やムーブメントを作りました。そして良品計画にIDEEという会社を買っていただき、僕はスクーリングパッドという学校法人ではない 「学びの発射台」を中村悌二さんと始め、その後たくさんの会社を設立してきました。

IDEEを買ってもらった後、IDEE UNIVERSALという会社を設立して、いつかまたデザインや建築に戻って来れたら良いと思っていました。2009年頃から国連大学前でFarmers Market @UNUを始めました。その後、石川県小松市の苔庭に魅了され、北陸の古民家や工芸を再生すべく、地方再生をやり始めました。

次第に農的な働き方にも興味を持ち、それまで海外の文化に向かっていた興味が日本に向かいました。そして、小松市の滝ヶ原に古民家を購入して、カフェに改装したり、一方、IDEEの頃始めたR projectの流れで、古い都心のビルを借りて自分たちで改装して、働く場所としてMidori.soを始めました。

また去年から新しい働き方のメディアを作るべく、WATARIGARASUを設立しました。

つまり、色々な活動を通して、社会を変えて行く事を目指して来たという訳です。思えば、IDEEの頃からa house as a furnitureなどという企画をしていて、家具からインテリアデザインや建築、アートにも関心が向いていました。

そして今回のコロナウイルス禍がやってきました。働き方から資本主義の未来まで、根本の考え方を考え直さないといけないのではないか?と考えるようになり、良い大学を出て大企業のサラリーマンになり安全な生き方をして一生を終わるという、日本の人生のパターンを考え直すべく、最近は自分の身の回りから働き方を考え直したいと思います。そこでこの度、IDEE UNIVERSALをスタートさせるべく準備を始めました。

新しい気持ち

January 5, 2022

2022年のお正月にあたり、色々考えてやり始めます。

新年といっても、別に何も変わらないじゃないかと考えることもあるけれども、折角だから、新しい気持ちを思い切り引っ張って、素直に新しくやることを書いてみようと思います。

「明けましておめでとう」という言葉自体をどう捉えるかはありますが、ここは素直に新しい気持ちを発揮して、去年までのことは水に流して、「新年明けましておめでとう」と言いたいと思います。

昨年は、いやこの年は人類の歴史にとって初めての経験が沢山ありました。まずは、世界中で初めて、今までの歴史上になかった、コロナウイルスのために旅行が制約されました。今までも疫病はありましたが、飛行機やすべての交通機関を通して、より早くより遠くに旅をすることを真っ向から否定された経験は初めてだと思います。

僕もここ10年以上、毎年20回以上世界に旅をしながら生活してきました。しかし、去年は初めて海外に行く事もなく、国内にいると、それはそれで良いものだと思えるようになります。これはこれでそういうものと思えば、それでいいというようなものです。

大震災の時も津波で流された海沿いの街に真っ先に行き、今までの我々の文明の発展の方向を考え直す時と思ったのですが、また元に戻るような価値観で、僕の考え方と逆の方向に世の中が向かうのを見るにつけ、ガッカリしたり残念だったり、自分の歴史観に対して、真っ向から否定されたように思ったものでした。

今回のコロナウイルスのために旅行が制約されたことは 人類が移動を制約される経験を受け止め、ちょっと待てよ、今までのままではいけないのではないか?と考えてしまうのが僕の思考方法です。この事をどう受け止めて解釈して次につなげるか?そこが僕にとっては肝になってきます。

ちょっと待てよ、現在地球上は人類が増え過ぎて、人間の欲望のままに酸素を使い、二酸化炭素を排出して、自然を破壊して、あまり賢いとはいえない行動のために、気温が上がり、汚染され人類が生存する事もままならないようになって来ている。ここは賢明にも、欲望を抑えるところは抑えて、文明の発展の方向も考え直して、人類存続を目指して、もしも人類が賢明な生物だとしたら、色々考えてやっていかなければいけないのでは無いか?という考えが現実のものとなってきたと思います。

また現在も続く世界中での争いの事もある。もし本来幸せを我々にもたらすはずの宗教が機能しなくなっているとしたら、日本の神道のように緩く自然崇拝を入れ、すべての木々に神が宿るといった、一神教では無い神様の概念を交えながら宗教を考え直してみることが必要かとも思う。

ギリシャ神話でいたずらな神様も登場するように、日本の神様も常に正しいとは限らないといった大きな緩さが大切だと思う。ここで「水に流して」という日本の文化が生かされて来ると思う。日本人の持つ自然観、宗教観、人生観が必要になって来る。

僕の一族は、明治の時代にフランスに留学して陸軍のシステムを学んだり、火薬を開発したり、航空力学を学んで飛行機を作ったり、大叔父などは東大を出てからドイツやスタンフォードなどに行ったりと、まあ風変わりな武士の末裔だったようだが、僕はというとロックに影響され、物理と哲学をかじったヒッピー少年のようなもので、60年代から世界中を旅してきた。

その人生観からして、今回の世界の状況を見るにつけ、人間の歩みを考え直すいい機会だと思う。そこで資本主義経済を考え直し、宗教観を考え直し、文明を考え直し、文化を作っていくことをやっていきたい。

今までは、大学出てから骨董やったり、家具やデザインに凝ったり、アートや生活の探求を考えたり、学びや生き方や働き方を考えたりしてきた。そして農的な働き方や生き方を考えた。僕が高校生の頃は世界の人口は30億人くらいだったのが、今は70億になり、もうじき100億人に届くと言う状況で、高齢化も進んでいます。

そこで日本人は今までの貧しい生活を、大多数の人が生活に困らないくらいに豊かになり、皆、中産階級に所属して、自分の家を持ち、より安全に生活するという方向の価値観に向かった来た。

しかしその次に来るものに目的や努力目標が見つからずにいるのが現状では無いか?僕はより美しく生きたり、美を求めたり、趣味性を追求したり、音楽や植物に興味があります。

しかし高みを求めないで、現状に満足するという方向の価値観になり、行き詰まり感が出てきているのが現状と、僕は感じています。

経済的な目標や大きな欲望や目的を見つけることが難しく、教育もすべて満足して小市民的に暮らしていく様に仕向けているようです。

そこで今後は、欲望というより希望を求めたり、対立することや競争することではなく、一緒に協力していうことに喜びを見つけたり、戦争するより仲良くすることを目的にして、量的な増加より質的な上昇に目的を向けていくことに転換して行くことが大切です。


その役割を今までは宗教が担って来ましたが、これからは自然にも学ぶことも大切になって来ると思います。宗教から転じて大自然の叡智から学んでいく。というように文化人類学的にも、アマゾンやアフリカやアジアの人々から学んでいくことが大切です。

それも素早く学び、手際よく修正していかないと間に合わないというところに来ています。新年こうして考えると、前途洋洋、大活躍していかないといけませんね。大きく胸いっぱい息をしてやらないといけません。

内部告発

September 6, 2021

最近、ブロックチェーンの中央集権的でなく、事実の認識を追いかけていく方法について考えている。これは、企業の目的やテーマに惹かれて就職したら、実際にはその会社は嘘ついてたり事実に反していて、それを内部告発すると会社に不利益になり兼ねず、また会社を裏切ることになる場合に内部告発するかどうか?にも関係している。

内部告発を米国語ではwhislebrowersというらしい。「ちょっとそれずるいです」よと笛を吹いて警告する役。イギリス英語ではpublic interest disclosure.があり、公共の立場で真実を明らかにする人を守る法律がある。

最近でも、日本の大企業が会社として嘘をついていたことが内部告発により発覚する事件が起きた。

会社の大きな目的は、社会的に良いことをやり、その結果利益が得られる所。しかし目的が利益になり、それも株主の利益の為にはなんでもするという事になると、創業者が始めた企業が社会的にpurpose driven なものではなくなる。

だからお金儲けは嘘が付き物、汚いこととなると、社会が悪い方向に行く。野菜の話でも、有機野菜と嘘をつき高く売る人は多いけど、基準を守ることだけになってしまうのもまたおかしなことになる。

真実は何処に在るか?利害を超えたところで考える生き方をする為には、幾つかの違う仕事をして、自由に生きないといけない。

結局、真の自由人として生きていける人は少なく、組織や人間関係に縛られて、真実を言って生きるのは難しい。

有機野菜一つとっても嘘やお金が絡む。法律だけではなく、自然に生きることを普通に実践して生きている農家の方は、健康で良い笑顔かな?と思っていたら、日焼けした、良い顔した農家の人が農薬や除草剤を平気でバンバン使うのを見て、ガッカリしたことがあります。

社会的に良いことをするのが大きな喜びであり、お金儲けにも繋がっていく社会のシステムにするのは、簡単では無いけど、やり甲斐があると思う。

If we are wise enough. もしも、人類に叡智があるのなら。

August 17, 2021

最近の大雨や台風の話題は、「何故起きるのか」ということはほとんど語られず、「何年ぶりの大雨で、災害は大変で、どうしたら生き延びることができるか?」という観点に集中している。

もちろん、目先の事が先ずは緊急なのだが、地球温暖化をストップさせない事には、こうした大雨はまた来年も起きる。

人口が爆発的が増え、経済優先の動きから足元の地球の危機が生じてしまっていること、人間社会の存続の危機が直ぐそこに来ていること、地球の自然が急激に損なわれて来ていること、などの本質的な認識から離れて、この災害からどう逃れたら良いのか?に観点が集中している、

どうしたら地球温暖化をストップさせることが出来るか?に注意が集中してこない。人類は地球上で最も賢い生物だとしたら、もしも叡智があるのなら、さまざまな方向から対応して行き、切り抜けることが出来るようにやらなければならない。

FOOD EXPERIENCE

July 27, 2021

今度、食べる体験をプロデュースする会社を作る。

今までファーマーズマーケットをはじめとして、滝ケ原ファームなど色々な方向から農的生活を探求してきた。
NORAHという雑誌を発行して、野良仕事の良さを基本に、野良をField Goodと直訳して、Feel Good(良い感じ)といってみたり、今までの価値観に揺さぶりをかけたりした。その流れの中で、農業をやっている人たちの、豊かさ余裕さなどから影響も受けた。

また飲食業が今回のコロナウイルスの件で打撃を受けて、今までのままではやっていけなくなってきている。そこで次の型として、食材を作りそれを料理し、サービスを考え、空間を持ち、生き方を考え、社会との関係や社会貢献も考えて、食べる体験を核に総合的にプロデュースすることをやって行きたい。

レシピ通り料理して、決められたサービスをして、人気の飲食店を作るだけでは物足りないし、これからはそれだけではうまくいかないと思う。空間や音楽や匂いやその場のもっている文化性も含めたやり方を考えてみたい。

滝ケ原では若い人たちや外国人の人達がNature schoolやFarm schoolなどを始めた。顔を出してみると農家の人や発酵家や醸造家や色々な人に素直な質問をして、講義を成り立たせていた。

一方的に教えるというのではなく、食を軸にどう組み立てていくか?を興味の中心にしているのが分かる。自給自足も視野に入れた、オーガニックで自然な食べ物を食べて、過不足なく生活していく。たくさんできたらおすそ分けしたり、美味しい食べ物ときちんとした食器や家具に包まれた生活。

滝ケ原ではそんなにお金はかけないけれど、心豊かに暮らすことができる。豊かな生活、きれいな空気と水、余裕のある、良い人間関係。
それをそのままファーマーズマーケットに表現してみたい。そして美味しく食べて、良い関係性の人間関係を築く事。

社会に良くしてみんなで美しく生きる。しかし現代の社会で思想やビジョンをもって生きていくことはとても難しい。その時の基本は晴耕雨読かなと思う。滝ケ原ではそれができる。体を動かして、土を耕して、作物を育てる。同時に都市でも働くし社会とも関わっていく。僕は野草が好きだから、ここで野草の花屋もやりたい。

ブロックチェーン

July 21, 2021

Satoshi Nakamotoという謎の人物が発明したとされる、ブロックチェーン。
あるいは日本人を含むグループが考えて、その人たちがナカモトサトシという日本名を使っているというのが通説で実際はアメリカ人のグループかと思われる。

お金を、中央銀行の発行する貨幣から、取引記録をオープンにした価値変換の技術をクリプトカレンシーで変換する技術の基礎理論になっているかと思われる。

そもそもお金の歴史は、弥生時代は石の貨幣、それから青銅の貨幣、それから金貨、そしてお米が何万石といったように、富の中心になってきたり、その後、貨幣も紙幣になり、それがプラスチックのクレジットカードになり、最近ではPayPayやLinePayなど様々な支払い方が出てきが、基本、中央銀行の発行した通貨ベースに地域通貨やクリプトカレンシーが加わって、価値変換のメデイアとして存在するものになってきた。

クリプトカレンシーは、ビットコインやイーセリアムなどが代表的で、送金も簡単になった。中央集権的な価値から、分散する価値を誰もが見れるようになり、ネット社会の進歩により取引記録を白日のもとにさらすほうがかえって悪いこともできなくなり、フェアな社会になっていくのかと思われるし、情報の共有が、秘密主義を排していくことになるのでと思われる。

トレサビリティーとディセントラリゼーションが大切になってきている。そこで最近考えるのは、資本主義がいきずまり感が出てきたこと、世界の人口が爆発的に増えて、食料と水が限界になってきたこと。

バッタのように人類が増殖して、地球上を覆いつくさんばかりになり、その食料も人口的な農薬に犯され健康にもよくなく、人間の活動もこのままではいけないという事で、サステナブルという、持続可能というよくわからない言葉が頻繁に使われるようになってきた。

持続可能な開発とは一体どういう事か?何を目的にして、何をもってして持続可能性と言えるのだろうか。とにかくこのままでは人類社会は終わってしまう、食の安全はどうなっていくのか?今のままで社会は良い方向にいくのだろうか?世界は一体どうなるのだろうか?

特にコロナウイルスによって世界は一体どうなっていくのだろうか?人類は賢くてスマートなはずではなかったのではなかったのか?一体人類の叡智はどこにいってしまったのだろう。

今必要なのは思想であり処世訓では無い。金儲けに賢い知恵より、賢明な叡智だ。そこでお金の本質を考えていくことにする。

和して同ぜず

January 12, 2021

世界的に異常気象やコロナウイルスが拡がり、今までにない状況が広がっている。アメリカはドナルド・トランプが大統領であり、社会的に混乱している状況だ。また中国は香港弾圧、ウイグルやチベットでの統治など、まともな社会とはいえない。世界中がクレイジーな状況だと思う。

その昔は日本は大和、大きな和む場所であった。人々が温和で、ギスギスしていないで、和やかな場所。平けく和む、平和な場所、フラットで和やかな人々の居る場所。これが理想的な場所だった。

この和ごむとはどの様なことなのかを考えてみたい。
元来日本は「木々一本づつに神が宿り、人々はお互いに尊重して穏やかで温和で和を持って尊いとする。」と言う社会であった。

また、我が家の家訓に「和して同ぜず。」という言葉がある。これは「和むけれど決して同化しない、群れを作り同化してグループ化しない。」という意味である。これは、自主的な独立した人間性を守りながら和やかに暮らす事だと思う。

これを世界中の民主主義の新しい視点として、もっと日本人として、主張しても良いのではないか?と思う。それぞれが尊重して和むが、同化しない。

ここが、現在の世界に欠けている。むしろ、学校、故郷、会社など、同じことを、無理矢理見つけて群れる。そこは和して同ぜずが日本的な民主主義の基本姿勢になるようだ。

静かに、和を持って本質的に違いを問い直すのはいい。そうすることから進歩が生まれる。世界がもっと和やかになるといい。国と国が対立している場合では無い。国の利害や権力を競うより、共通の目的を設定して、それに協力しながら向かうようにすると良い。

新年早々、大きな目標を持ち世界を考えて行かないと、人類の未来は危ういと感じた。それには、大きく和やかに、和気藹々と議論し、和して同ぜず変化し続けていくことだと思う。

ワタリガラス

November 5, 2020

建築家のル・コルビュジェは本名ではない。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリ。

コルビジェとはワタリガラスの意味で、自分のことをカラス君と呼んでほしいということで、自らそう名乗っていた。

ワタリガラスは、歌舞伎町でゴミを漁ってる様なカラス=Crowではなく、Ravenと呼ばれている、エドガー・アラン・ポーの「大鴉」に出ているワタリガラスの事。

つまり渡り鳥で大陸間を渡り歩く、カラスの事だ。街にいるのとは違なり、綺麗で悠々と空を飛び賢いカラス。

ここからインスピレーションを得たこの建築家は、色々な建築家に付いて助手として学び、その後、独立して、自分の事務所を開いた。

この渡りガラス的な働き方は、デザイナーやアーティストなどクリエイティブな仕事をしている人や、いわゆるフリーランスという働き方に近い。

戦後の日本の大企業に勤めて一生安全な仕事に従事しするのとは違い、仕事を渡り歩いて行く生き方だ。

今の時代だからこそ、仕事を渡り歩いて色々な仕事をしていくこと、そして人生を自分のものにしていく生き方に注目したい。

あとは、昔から百姓と呼ばれる働き方がある。つまり、お米や野菜などの作物や、味噌や醤油やお酒、はたまた藁細工や工芸品、漆器や陶器を作ったり、大工仕事をする働き方。

百姓:100works.
100の仕事をしてそれらからの収入で、いわゆる生業(なりわい)を立てていく。

多様な働き方の集合、その総体としての仕事に、今回のCOVID-19の後に注目が集まってきた。

自宅で仕事をしていると、友人からちょっと手伝ってくれないかという話が入ってきたり、また企業も兼業を認めたりと、実際に仕事が多様化してきている。

これらの仕事観の変化についていけない現在の企業はどんどん遅れていく。
それに僕の周りでは、外国人が日本で働くことが多く、彼らは東京も地方も関係ない。地方での働き方がどんどん増えてきている。すると農的働き方が自然に入ってきて、我々が主張してきた新しい働き方が形成されてきている。

今回の事から、大きく社会が変わっていくのが見て取れる。
そこで我々がやっているMidori.soというシェア・オフィスに“Worktogather Media”とでもいう、みんなで協力して仕事を作っていく情報群を作って行こうと思う。

それをワタリガラスという名の下にやっていきたい。

元々、“Independent Think tank”としての機関Mirai Institutesの下にシェア・オフィスMidori.soがあり、それに今度始めるワタリガラスという、様々な働き方の可能性を探る情報Mediaを作っていく。

例えば新しく仕事をしていくのにパートナーを探したり、外国人と組んだりすることは、今までなかなか情報を得ることが難しかった。

そこで我々は、「ワタリガラス的な働き方、多様な仕事から生業を立てていく生き方、地方での働き方、外国人と一緒に働く事。」、などをテーマに働いていくためのメディアを作っていこうと思う。

ワタリガラス的働き方

July 18, 2020

先日、TAKIGAHARA CRAFT&STAYに吉村さんという建築家と彼の早稲田大学のゼミの学生10人ぐらいがきて泊まった。

学生のうち7人は女性の建築家、6人は外国からの留学生だった。そこで話したのは、最近の建築科の学生は大企業の建築事務所に就職することを中心に考えている様だということ。

昔は色々の建築事務所で幾つか働いてみてから、自分の建築事務所を作り、そこで仕事を受けるという流れがあった。
たとえ大手の建築事務所で働くにしろ、アトリエ建築事務所で苦労することは役に立つものとされてきた。

そこで今まで、有名になった建築家は、どんな事務所を渡り歩いたか?調べてみようと思った。デザイナーやアーティストも、独立する前には幾つかのアトリエやスタジオで働いてから自分の事務所なり会社を立ち上げるものだ。

コルビジェについて調べてみると、コルビジェは本名ではなくてカラスという意味だということが分かった。自分のことカラス君という彼なりのユーモア。

建築家はどこかワタリガラス的だと思う。色々な土地や建物、はたまた建築事務所を渡り歩いて自分の人生の経験を積み、自分の表現を磨いていく。そう考えると、デザイナーやアーティストも同じだと思う。ワタリガラスのように旅をして、経歴を重ねていく。

この時のワタリガラスはRAVENであって、CROWではない。日本のカラスは都市に定住していて、あまり良い意味がないが、ワタリガラスは自由に旅して良い意味がある。

エドガー・アランポーの小説でも、「大鴉」というのがあるし、NFLのレイブンズもそこからとったらしい。ただ日本の封建時代からの忠誠心からすると、お世話になった会社の先生やお師匠さんからうまく独立するというのには少し抵抗がある。辞め方を少し考えて、うまくしないといけない。

最近はこの壁もだいぶ低くなってきて、一生一つの会社や事務所に務めることはなくなってきた。会社の方も、忠誠心も大切だけど、その人の能力や創造性、才能が大切だと分かってきた。

その為にはかえって、色々なところで働く経験をした方が良い。良い組織を作る為にはワタリガラス的性格の人と、定着する人をうまく合わせて、チームを組み立てていくことが大切になって来る。

今回のウイルスのあとで浮かび上がってきたことの一つに、働き方の色々な可能性が見えてきた。場所を変えて働いてみること。多様な働き方を組み合わせてみること。一社で一生働くことだけではないこと、大都市で働くことが最高の働き方でもなく、他の可能性もあることが分かってきた。

そして農業や食に関係する働きを混ぜたり、自給自足的な働き方を考えたり、それらを組み合わせて生業を作っていく事が大切だということに気づいてきた。

巨大企業に入ったら一生安全に働くことができるという幻想も崩れ、そのための受験や就活も意味が問い直されてきた。自分の人生を自分のものとして作っていくということに気がついてきたようだ。僕はこの状況を見てシメシメと思っている。僕の考えてきた時代が来つつあると。世界中をみてもカオスでパンクになって来た。

自給自足で一体いくらあれば生活できるのか

June 19, 2020

さて、今我々のIndependent think tankのMirai Institute,ではこうした時期に、何を問題視して問題設定をどの様にするか?をいろいろな人に聞いています。

What is the question?is the question.
何が問題か?が問題で、いかに働くか?が問題です。こうした時代には、早く答えを求めるよりも、問題を掘り下げてみることが大切だと思います。

まずは仕事も全て無くなって、最低限、何から始めるか?を問うとしたら、自分の田畑に自分の家を持ち、自給自足をして、出来るだけ自立する生活の基盤を持っているか?
から始めるのではないか、その為にはどの様なことができるかと常日頃考えてきました。

限界集落で生活するとしたら、一体どの様にしたらいいか?という問題設定をして、かつ世界の最新の状況から取り残されることなく、新しい働き方、本来のあるべき生き方
を実践するにはどの様にすればいいか。

まず滝ケ原では、生活費がほとんどかからない。食べ物は周りの農家の人から分けてもらうし、魚は安い。食材はとにかく安い。自分達で野菜やお米を育てる。またキッチンは綺麗に作ってあるし、食器や家具もいいものをデザインから初めて、ライフスタイルは良いものを目指しているのである。

木村ガラスのワイングラスやグラス類、フィンランドのアラビアの食器や九谷焼やアンテイークの食器を集めている。趣味がいいものを安くで集めているし、音楽や照明や空間も全て上質のものにしている。ライフスタイルが上品に考えられている。デザインやアートや本や音楽好きが集まっている。食にもこだわっている人が集まっている。そしてウェブの環境が整備されWiFiが繋がっているし、環境が揃っている。そこに有能な、刺激的な若者が集まってくる。こうした状況を作り上げてきた。

漆器の工房も作っている。今後は九谷焼の新しいブランドを作り、世界中のデザイナーと新しい陶器を作っていく。また陶器の釉薬に注目し、陶器の釉薬の研究をしていた僕の父親の遺志を継いで、新しくColor Laboをつくろうと思う。

さてこうした状況を小松市の滝ケ原に集めてみたい。するとエネルギーの輪ができて、才能が集まってくる。まず生活の基本的な要素が安定して、良い人のコミュニティーができてくる。受験勉強では、隣の人ができないのを助けることはないが、ここでは隣の人が困っていたら助けてあげるのが当たり前、自分だけ分かっていても嬉しくないし、自分だけ食べ物がたくさんあって、隣の人がなかったら自然に分かち合い、助け合うのが当たり前だという価値観で動いている。

14世紀ペストが流行って、たくさんの人が死んだ時から、いろいろなことが変わった様に、現在のパンデミックの状態を通して色々変わっていく。ルネッサンスが起きた様に、文明を再考し問い直すこと、また最低賃金を設けて、生活に安心を考えることなども始まった様だ。精神的に安心できる様に、まず生活の安定を考えると、お金だけではなく、周りとの関係が安定していて、精神的に豊かである状態に持っていけているか?

滝ケ原では、15人ぐらいの人が今、生活いていて、これからますますたくさんの人が生活すると思うが、みんな地元や東京やはたまた世界中と毎日、連絡している。外国からもたくさん来ている。会議も普通にZOOMなどでしているのをみるにつけ、これからの働き方、仕事の仕方を考えさせられる。それに若い子たちがどんどん結婚して子供を作っている。世間では、なぜ子供を作らないかというと、収入がないからということがいちばんのようだが、収入の先にある安定や安心感があるかというと、この限界集落の滝ケ原には安心が溢れているようだ。

だから子どもを作ってみんなで育てている。こうして見てみると、我々が今やっていることは、大きな実験のようだ。文化的な意識がまずあるか?それが必要で、美しい物や事柄、美味しいもの、綺麗なものをみんなで作っていく感覚がある。

現実的に、大きなテーブルでみんなで食事をするのに食材を買ったり、地元や自分の畑や周りの農家の方から、貰ったりして、みんなで料理するとしたら、すごく安くで食べられ、それも世界中の料理人の料理を食べて、満足して、そんなにお金がかからない。

そして宿泊は僕らのデザインのクラフト&ステイに泊まればまた安い割に良い。こうした地方再生をしつつ新しく文化を作っていく。みんな仲良くやっていく。この実験をし始めようと思う。

パンデミック以降

May 29, 2020

現在、コロナウイルスの全世界的なパンデミックにより世界経済、そして今までの文明の進化に対してストップがかけられている様です。

元に戻る様に期待している人もいる様ですが、僕はもう戻らないと思います。むしろ次に来る世の中はどうなるか?これも何かの警告ではないか?と考えて、この状態を捉えたらいいのではないかとも思います。

東北大震災で津波により大きな被害が起きた時も、海岸が流されて元の自然が現れた時、ある種、人類の文明の無力さを見た気がしました。

それを元に戻して、堤防で囲ってまた津波が来てもいい様にすると言う価値観には、正直僕はなれず、海岸沿いにできた町並みをこれから戻したり、また津波が来ても大丈夫な様に堤防を作ること自体ナンセンスではないか?と思いました。
新しく町並みを考えて次の時代の都市計画を作るといいと思いました。

今回のパンデミックでも、環境問題や地球温暖化がストップし空気が綺麗になったように、人類に新しい働き方、農的生活の大切さ、強欲でお金中心の経済から自然環境や人々の幸せに気を使った社会、病的な価値観と病んだ人々に健康的な意識と新しい価値基準を植えつけることになると思います。

特に健康な食に対する希求、自然環境の中で、新しいデザインの住環境を作って、オーガニックな食事をして健康な生活を自然の中でする様にしたら良いと思います。またそうすることが可能です。

自然の苔庭がある小松市日用の古民家再生から僕は苔庭にたたずんで考えると、日本の思想、日本の家が違って見えました。Moss Philosophy,苔の思想とでも呼べる考えが生まれました。そこで、すぐ隣の滝ケ原に農園を作って、今度はTakigahara Craft & Stayというホステルの様な、デザイナーやアーティストが泊まれる場所を作りました。

人類が80億人くらいに増えて自然環境も悪くなり、美味しい食べ物や綺麗な水も不足し、地球温暖化が進み、これからの人類はどうなっていくのか?不安が募ります。

しかし人類の歴史上、何回も起きてきたペストやコレラやスペイン風邪などのパンデミックの時に人類の歴史が変わり、ルネッサンスが起き、文明の方向が変わりました。

その辺を考えると、今回は人類に対する警告で、大きく変わる様にしている様です。そこで何が問題か?を考えてシリーズで何回か書いていこうと思います。

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自給自足のユートピアを目指して

April 22, 2020

今、石川県小松市の滝ケ原に24ベッドのホステルを、リノベーションで作っている。滝ケ原には羽田空港から小松空港まで50分、空港から車で20分で着く。

Takigahara Farm、Takigahara Cafe、Takigahara HouseというAirbnbで使える場所。漆器のスタジオに続いて、Takigahara Craft&Stay。みんなが泊まれる場所としてのホステル。

これから自然の中に僕が考えるユートピアを作っていきたい。できれば電気もソーラーエネルギーで,コンピューターを動かすのと照明だけは自給したい。また将来はライブラリーを作って、最高の学校を持ってきたいし、音楽のスタジオやスイミングプールも作り、石切場をギャラリーにする。また食料もできるだけ自給できるようにしたい。

母屋には、世界中から誰かが食事をして泊まっている。食費はほとんどかけないけれど、とても美味しくてきちんと
食器やグラスなども良く、周りの農家の人から分けてもらったものなどがうまく料理されていた。

これ以上の贅沢と安心感はないぐらいだ。そして東京とZoomでミーティングしたりして、今の時期、新しい働き方と価値観が体験できる場所になって来た。周りに住んでいらしゃる人たちは皆、お年寄りだけど、いい人たちで、良くしてくれる。今回のウイルスが変える社会、働き方、価値観などの実験場として大切にしていきたい。

そして家具好きでデザインにこだわる僕らのコレクションの家具。

ザッハ・ハデイトのソファーやサーリネンのWomb chair、カステリオー二の椅子。Knolのソファー、ロス・メネズのミルクドロップテーブル、ジョージ・ネルソンのランプ、ブルレック兄弟のデスクランプ、ジャスパー・モリソンの椅子、セルジュムーユのランプ。60’sのアンティークやマークニューソンのデザインのポットや椅子など、みんな知り合いか、知ってるデザイナーのコレクションを集めてみた。

家具好きで、現代のデザインを良く知っている人には、たまらなく贅沢な空間。グレーやブルーの色にもこだわって、微妙な色合いでコンテンポラリーな空間を作ってみた。楽しんで作ったのが伝わる様なデザイン。

全てが値段ではなく、好きなものを集めて、自分たちが信じる今一番の空間。2階はバンクベッドの部屋と2つの独立した部屋。音楽のバンドのメンバーが泊まれる様な4人部屋とスイトルーム。それに別棟の土蔵を変えたナチュラルワインバー。ネオンのサインが可愛い。

そして外は畑と山々。ここにこれから小さな木の家を建てる。自給自足に近い生活ができて、美味しいものを食べ綺麗な水と空気をとって、自由な生活をする。都市を否定する訳ではなく、都市にも行きながらも生活していく。

北陸には陶器や漆器や和紙や色々な工芸がある。ただ今までは古民家再生というと、民芸調になってスキッとしていなかった。そこで今度は思い切り新しいデザインと古い家の骨格を対比させてみた。

そして美味しいものにもこだわり、ヨーグルトなども自分たちで作ってみる。朝は散歩してから野良仕事して、静かに思索したり、じっくり会議をしてみたり、これからの生き方を作っていきたい。

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Food Experiece

May 28, 2019

僕は食べることが好きだ。食べることだけでなく、人と一緒に何をどこでどのように食べるか?を考えそれを体験することが好きだ。

ファーマーズマーケットをやっていることもあり、誰が作ったどんな野菜を、誰がどう料理して、どこでどんなお皿にどう盛り付けて、どんな風に食べるか、お酒は何を合わせるか?はたまた音楽は?家具は?椅子は?空間は?どんな会話するか?など全てが合わさって、うまくいけば、素晴らしい体験になり、最高な気分になるということが分かってきた。

これを単純に飲食・外食・会食・接待などということで済ませてしまうのでは余りにももったいない。

人生の一場面として、食べる体験をして、かけがえのない時間を過ごすことによって、良い人生を過ごす。「よく食べ、よく生きる。」ということは当たっているとに思う。先日、Natural Wineを中心にしたイベント、One Love,Wine Love.をFarmers Marketで開催した。

そして、Natural Wine as counter culture.の視点から、zineも作った。

最近ナチュラルワインを飲むことが多い。今までの「どのシャトーの何年もののワイン」というメインストリームから外れ、「誰が作ったどんな葡萄を、その土地の酵母でどんな風に作ったか?どんな性格か?などまるで友達が作ったように、話して扱う若者が増えてきた。カルチャーとして飲む事。

また、料理も友人や家族の為に料理をする、新しいタイプの料理人がいる。そして大騒ぎして飲む。まるで新しい体験。Natural Wine Experiece!

これらはつながっていて、一つの社会現象になりつつある。その一方で、外食産業の発展に寄与するような、マニュアル化したサービスとシステムを持つ巨大な飲食企業が勃興した。これらが入り混じり、今の社会が移り変わってきた。僕らはその流れの中にいる。

経済性やカテゴリー分けでは無く、食べる体験を探求することを考えてやっていく。農業、発酵、料理、空間、体験をFood Experieceとして考えていこうと思う。

Good News

January 16, 2019

以前、Good News Projectを始めようと思って、いろいろ動いたことがありました。ひとことでいうと、世の中には悲しいことや悪いことと同じくらい、良い話しや楽しいことがあるということに注目して、Good Newsを集めてみたら良いのではないか?

他人を恨んだり憎んだりするよりも、仲良く認めあった方が遥かに良いのに決まっている。しかしながら、事件や戦争や殺人は記事になるけど、思わずにっこり笑ってしまうことはニュースにならない。

去年の年末に、恵比寿の路上で野良猫と思われるネコが自動車に轢かれるということがありました。そこに居合わせた、ファーマーズマーケットの拝原君が思わずその猫を抱き上げて、動物病院に連れて行くと、顎が折れたその猫を助ける手術をするのには50万くらいのお金がかかると言われ、どうしようかと僕に電話してきました。

とにかく可哀想だから、クラウドファンディングででも集めようと思い、最後は僕が救おうということになりました。

ファーマーズマーケットで捨て犬の譲渡会をやっているDo one Goodという組織の高橋一聡さんに連絡したら病院に直接交渉して少し安くなるようにしてくれました。

動物病院の医師が偶然、拝原君の高校の同級生であったこともあり可愛そうな猫を助けようと皆んな心が一つになって、手術になりました。すると手術は成功して、この猫も無事も命を取り留めました。

猫がひき逃げにあったということは、人間ならば事件ですが、器物破損ということで誰も咎められることもなく、普通はそのまま放置されて猫は死んでしまいます。そしてゴミの様に破棄されてしまいます。

僕は小学生の時の親友が犬しかいないという経験から、犬が人間の様に感じられています。猫も同じような感覚で、自己を確立した存在として尊敬しています。

幾つかの偶然が重なって、COMMUNE 2ndの中に猫の小屋を作って、元気になるまでは面倒みています。でも野良猫の親分だったこの猫はなかなか懐かないで存在を主張しています。

これを機に、可哀想な犬や猫を救う基金の創設や、コミュニケーション障害の人や独居老人に捨て犬や捨て猫を紹介する事を考えてみたい。

動物を友人として認めて愛情を注ぐことがどれほど生き甲斐になるか、そして自分自身も豊かになることが出来るか。

ちなみに手術代は30万にしてもらって払いましたが、これも経費で落ちることなど考えられないし、またクラウドファンディングを組み立てる迄にはまだまだ時間がかかります。

張り紙をみて10万円を包んでくれた人が現れたりもしました。この猫が元気になって、またイタズラ猫になって活躍することを見守っている人が何人もいるという事です。

世の中は捨てたものではなく、嫌なことがあると同時に微笑ましいこともあるのです。大切なのは、善意や好意を集めて行動を組み立て計画を実行することです。

Do One Good活動は一般社団法人として、毎年4000匹の捨て犬や、事故に合ったびっこの犬などの里親探しをしています。

みんな、周りに良くしたいという心はあるけど、行動して実践することで更に愛情が大きくなるものです。
それを考えてGood Newsを集めていくことを今年はまた始めます。

未来の仕事、新しい起業

March 21, 2017

今、日本中、いや世界で、働き方が問われている。

日本では、労働時間の問題と過酷な労働条件で働くことにより、自殺する人まで現れ、もっと人間らしい働き方は無いものかと問われている。

そこで残業時間は何時間までならいいか?と言うことが法律で定められ、もう過労から自殺する人がいないようにと色々議論している。しかし、楽に、労働条件を緩くすると、会社のパワーが落ち、競争に負けてしまい、給料も高くは出来ない。と言うことになってしまう。

そこで企業の経営者は会社をどう生産性を下げること無く、労働効率を上げていくか?どのような場所でどのように働くか?どう言う方向に会社をもっていくか?が問われている。

しかし生産性を上げて何をするか?決められていることを如何に効率良く、生産性をあげるか?とはまた別の、そもそも何をするか?いままでにない仕事をどのように作っていくか?未来の仕事はどのような仕事なのか?などは、日本ではとかく忘れてしまい、お金があれば自由が得られると漠然と考えているが、その自由ということに縛られている。

自由な働き方にこだわるのでは無く囚われて縛られている。そこで、労働は束縛で苦痛である。となってくる。

しかし、僕は今まで、仕事が苦痛だと思ったことがない。いつも新しいことを考えついてそれを作っている。

仕事が遊びとほとんど同じ、掘り下げて考えて、ライフスタイルの仕事をしていることから居住と滞在の意味が変わってきていることに注目して、そこでいろいろな仕事を考えたり。過去からの仕事を新しく考えて未来の仕事に繋げていく。

規則や法律ではない、夢のある未来を求めて、それをどのように作っていくか?に集中して生きていこうと思います。

Ready Study Go

September 27, 2016

位置について、ヨーイ、ドンをReady,Steady,Go.というが、リオのオリンピックをテレビで見ていて、この、競技のスタートからゴールまでの設定、新しい競技や競技そのものが、色々な設定から行われていることがふと気になった。

例えば、短距離の花100メートル、もしもあと10メートルだけ有ったら、結果は全く違ったドラマに成っていた。ということが見て取れる。

110メートル競争にしたらまた違った結果が待っているかもしれない。だけど障害は110メートル障害。これは障害の間の歩数から、100メートルでなく110メートルに決まっている様だ。マラソンはギリシャの故事から42.195キロ。

競歩には50キロ競歩がある。これらの、先ず競技の初期設定はいろいろなことで決まっているが、その設定で精一杯戦ってみて、そこで結果にこだわるが
全体に所詮スポーツ、戦争ではなくそこを大きな意味で楽しもう、というコトではないのか?

そこに国単位で幾つメダルを取ったか?などを余りうるさく言わない方がスマートな様に思える。国家の為に戦うことさえも楽しんでしまい、ドラマがあることもスポーツの一部。という風に近代オリンピックを囲む情況は変わって来ている。むしろ国によって、人気競技が違い、スポーツを楽しむ情況と、健康管理としてのスポーツ環境がどのように出来ているか?によって全体に運動能力が伸びて行く。

アメリカはスポーツ放送がバーやメデイアで常に流され、社会の意識がスポーツに向っている。スポーツに関係ない様なおじさんでも、何年のシーズンはバスケットは誰が活躍して、何処のチームが勝ったという様に、自分の人生経験に結びつけて、スポーツと共に生きている。

また、この野球やバスケットや、サッカーの様なチーム競技は、そのチームマネージメントや、全体の流れの作り方が時代によって違う様に、時代の流行や、国によってのスタイル、がある様だ。

個人が強いだけではダメだけど、チームが一人の人間の様にうまく意思をまとめて戦って行くのはその国のスポーツ文化の華だ。諸橋さんはフェンシング部のキャプテンだった頃、この個人競技の団体戦で、誰に誰を当てるかが勝敗の鍵を握って居たということをどう演出するか?ここが勝敗を分けたと言っていた。

色々なスタイルがある。ルールさえも毎年変わって行く。そこでは時代の価値観に密接に関係する。ルールや初期設定の流動性、そこの設定さえも仮に決めたもの、で毎年変わって行くものではないか?

自由大学でいつも問題にしているのは、この問題設定が、従来のカリキュラムでは古くて、情報のデータベース、頭の中の記録容量依存型の學びから、変化する外部環境にどう対処するかの、問題設定を色々かえてみることにより、実際の社会にどう対応するかの能力獲得型とでも言った、より本質的なことを掘り下げて、それにどう立ち向かうか、どのように解釈して、問題設定を従来の価値から換えて行くか?を問題視している。

そうして考えてみると、色々な所に問題が隠れている。學びはいろいろなことをどお問いに換え、學びを設定するかによって全く違って来る。ここで學びのキューレイションということがある。この多様な問題設定から、色々なスポーツが、遊び心と表裏一体として生まれて来た様に、色々な學びを見つけることを面白い、をキーに設定することができる。

人生全てスポーツと言い切ってしまうかのように、人生全て學びである、と言えるか?また學び、考え、初期設定、スタートポイントが決まれば、後は実行して、結果を見る。そこに偶然や進化がある。

社会で新しい仕事を考えて、それを実行してみる。新しく起業してみるということがある。新しくスポーツのルールと競技を作ることは、子供がなんでも遊びにしてしまう様に、面白いコトを考えることが先ずあり、そこでも最近の習い事が多すぎる子供が増えて、いわゆる都会の上流階級の子弟の習い事ブームから、自然の中で何でも遊びにしてしまうワイルドな子供の方が社会を変える可能性がある。

遊ぶ様に學び、何もない所にルールを決めてスポーツにしてしまう。Ready, Study, Goという訳だ。好奇心や、面白いことをまず問いにして、そして學び、それを実行してみよう。そうすることが本当の叡智を獲得することに繋がるとよいと思う。

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Heartquake

May 17, 2016

東北の震災が起きたとき真っ先に行ってみた。津波による破壊と原子力発電所の崩壊による大気汚染。目を覆う様な情況を前に、仙台郊外で海に出来るだけ近くの荒浜の壊れた家を借りて、崩壊していた農家を皆で修理して、この震災をキッカケにEarthquakeのH-エイチ-叡智を一番前に持って行きHeartquake、ハートを震わせることをしよう。ということでHeartquake projectを始めた。

そして、此の5年間、100回以上もその荒浜の改修した家に行き、ガレキを片付け農地を耕し、以前にも増して農業が出来る様にしたが、海の側は何もされないままに、残されている。東北の自然は、こうして海岸から安普請で建てられた住宅が無くなると、驚くほど美しく大自然に対して、如何に近代文明の開発は汚らしかったのかが対比されてよく分かった。

そこで、この場所を世界で一番好い場所にしよう、奇麗な開発をし直そうと言う考えはほとんど無く、元の様に復興するのにはどうするか。お金がかかって、どのようにするか?に議論が集中し、しまいには防波堤を海岸沿いに作って、今度また津波が来ても好い高台の人工地盤を作るという、自然に対する冒涜と虚しい行為まですることになった。

そこで僕らは海岸に残されたガレキを使ってガレキミュージアムを作ろうとか、過疎になった里山を新しく再生することを考えた。しかし行政は許可を僕らには与えること無く。僕らも世界中の建築家に声をかけたが、何も建築出来ずにいる。

そしてそろそろHeartquake Houseを引き上げようとしていた矢先に、熊本で地震が起きた。東北の津波の時に、海に居た漁船は、津波に向かい、沖に進路を取った船は助かり、陸に逃げたり、横に逃げた船は皆、津波に呑み込まれてしまったり、陸で災害に有ったりしたことから、困難に立ち向かうことこそが一番いい方法だと言うことを学んだ。

そこでこのタイミングで、熊本地震が来た時、まさに地震を機会に、新しくHeartquake projectを始めるべく、熊本に行って来た。津波や原子力汚染がないこともあり、みんな明るく何事もなかった様にキャンプで暮らしていた。しかし局地的には家々は崩壊し、ガレキの様になっていた。

また最近テレビで見たシリアの市街地300万人の難民が出ている情況は悲惨だと思った。そもそも地球は自然や戦争で家が壊れ、生活が脅かされることの方が多く起き、恐れているよりも、そこに立ち向かって行くことこそが唯一生き残る道ではないのか?

何があっても英知を集めてそれに向かって行くことこそがよいのではないか?そこで、東北ではなし得なかった、$1000 Shelterを開発して新しくベンチャーを立ち上げることは自分たちで始めることができるのではないかと思った。

スウェーデンで$1000の建材をキットで売り、4人で4時間で組立てることができるシェルターを開発した若者達がいるそうだ。日本でも間伐材や土を使えば材料代は安くできるし、10平米以内なら建築基準法も関係ないので、$1000の材料費で2年間ぐらい保つデザインの良いよく考えられた住む機械としてのシェルターを作って、その組立て方をyoutubeでまとめ、売り出そう。

またちゃんと建築基準法の強度等をクリアして10平米以上のシェルターにチャレンジする若者がいてもいい。クラウドファンディングでも何個かは注文を取っていこう。という訳でHeartquake Shelterを作り始めます。

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R-Food project

November 30, 2015

国連大学の前に、ファーマーズマーケットを始めて久しい。

この頃は食の多様性に注目して、パン祭りや、コーヒーフェスティバルや、お酒のイベントやカレーフェスや、果物の食べ比べ等色々なイベントもやってきた。そして最近いやしばらく前から注目している、フードロス、廃棄野菜や廃棄食料の問題がある。

世界の小学生の7分の1くらいは給食で食べるのがやっとで、日常的に食べるものに困っている子供がたくさんいるそうだ。我々のコミュニティーから考えると、食べ物がない子供が増えているということは、まず驚くだけでなく世の中がおかしい方向に向っているのではないかと思う。

その一方で、ファーマーズマーケットでも問題になっている、農家の人が生産した野菜の中で、形がいびつだったり、間引いたり、ちょっと傷がついたり、沢山出来すぎたり、まだ食べられるものを捨てたり無駄もある様だ。そして今度は、流通でのロス、市場での廃棄野菜も毎日トラッく数台分有るそうだし、また料理でも無駄が有る。

またお店で売れ残ったり、賞味期限切れで廃棄するものも沢山ある。こうしたこと全てを合計すると25%くらいが無駄になっていると言う統計がある様だ。そこでこうした無駄や、流通でのロスから出た食料を食べ物に困っている人やFood Bankに流すことを始めようと思う。

NPO法人ファーマーズマーケットアソシエイションの中にR-Food projectを立ち上げてみよう。Rethink food。昔、僕が始めたRprojectは不動産や住宅を再考し、再生する話だったが、今必要なことは水や食料を考え直してみることではないかと思う。

それを如何にやって行くかが大切だ。そこで今年の年末までには、各農家に段ボールを配って、食べるのに問題ないが余剰の野菜や、廃棄する野菜を送ってもらい、それを一流シェフに料理してもらう食事会をしてみることで先ず、問題意識を喚起する。

それから来年は定期的に不揃いの野菜達や何らかの廃棄野菜を送ってもらい、シェフに料理してもらうイベントを何回かやってみる。また市場で廃棄されるまだ充分に食べられる野菜も廃棄寸前に救う方法を考える。

またデパートやその他の食品流通でのロスも集める。こうしたことは全て商売ではない、NOT FOR SALEなものをどう生かすかにかかっている。

しかしそれらを動かす人は労働をするのでボランチィアだけで始めはスタートするが、クラウドファンヂィングやドネーションで最低限の給料は保証しないと行けない。こうしたこと全体をうまく、きれいにやれたらよいなと考えている。

今だからこそ、出版社を立ち上げよう。

May 19, 2015

現在、ネットのお陰で、新聞を読まない若者が増えて、自由大学に通って来る受講者の半分くらいは新聞の換わりに、ネットでニュースを見ている。

アメリカでも新聞社がつぶれている。また大手の雑誌はタイアップや、スポンサー探しに苦労している。おまけのグッズを付けたり、色々な特典を付けたりしている。

そもそも、戦後の文字に飢えた時代に、印刷すればどんな雑誌も飛ぶ様に売れた事から、出版社は発展した。

70年から80年代は、若者文化をそれぞれの雑誌が引っ張って、丁度音楽の世界で、レコードがどんどん売れたと同じ様に、色々な雑誌が出版された。そして出版不況。出版社が大きくなってしまったので、沢山売れないと経費がまかなえない様になってしまった。

日本のメーカーが、面白い商品であればどんどんチャレンジしていた時代から何十万台売れないと、会社に取っては意味がないと、新商品を躊躇しているようになった。

全て時代の流れで誰がいけない訳でもない。一方、流通の方では、どんなに小ロットでも扱うプラットフォーム、アマゾンなどが出来て来た。

大手の出版流通は、出版社から買い取り、売れ残ったら返品すると言う体制で、出版社は、次から次へと出版して返本に勝るだけ出版をしさえすれば、売上げ自体は確保できる体制で、実際、売れなくても名目上はやって行ける。しかし、実体は自転車操業と言う状態が続いている。

また、新本と古書は流通が違うし、洋書も違う流通がしきる。一方、若者は手作り本のzineや自分たちの独特な出版や選書に優れた、本屋が人気だったり、本をメディアにした空間作りが流行ったり、音楽業界と出版業界は今後どう発展して行くか、過渡期の様相だ。

僕らがよく行くサンフランシスコやポートランドはマイクロパブリシングという、小出版社が沢山有り、また本屋が沢山ある。古レコード屋や、テープもまだたくさんある。古本屋は新本やzinや自費出版を扱い、各国の本も置いている。中には日本語や中国語もあり、全米一大きなインディペンデントな本屋のPowell'sも出店している。

city of booksとして、各国の新刊本、古書、洋書、自費出版、zinなどありとあらゆる印刷物にコーヒーやが付いている。サブカルを引っ張る出版社やレコード会社、ミュージックテープ専門のレーベル等がやそれらを支える小さい印刷屋。こうした情況の上に、ネットやウェッブでアートやデザインや色々な食のビジネスやコーヒーやビールがある。

これから日本の出版界はどのように変わって行くか?そこを自由大学での講座にまとめてみようと思う。

以前スクーリングパッドのブックコンシェルジュコースとして、本のコンシェルジュと選書と本の販売を考えてみたが、その後、また大きく変化して来た。

この時期に敢えて、出版=パブリケイションを始めるとしたらどうすればよいかを考える。オープンな編集会議や著者との打ち合わせ、印刷代をクラウドファンディングで集めたり、出版イベントや本のコミュニティー作りを行う。そして本の編集もウェブで行えるように。こうしたことを通して、本を出版すると言う経済活動を成り立たせて行く。

情報や文章や文字を通しての発信を深めると、編集の概念が少し違って見える。情報をキュレイションして、それを文章や写真や映像の編集で表現する。それらの印刷された形として本や雑誌を考える。

印刷された文字は、コンピューター画面上の文字とは違って、電気が切れても残る。より深く頭に残る。印刷して文章の校正をするのと、コンピューター画面上で校正するのでは全然違うそうだ。リアルに存在する印刷された文章からの印象は強く、頭の中に入ってくる。存在する思想とでもいうか、文学や詩の芸術性はここにある。

一方電子画面上での映像や文字はまた別の印象や感傷がある。思うに、これからは、本も読むし、映画やレコードを愛するが、ネットの情報で全体をつかみ、じっくり読んだりする文章は印刷された本として持っておく、と言う様になるのではないか。

自分の好きな音楽のレコードは、存在として取っておく。何時でもかけることができるものとして大切にしておく。レコージャケットのデザインも含めてその音の記念碑的な意味も込めて大切にしておく。自分の影響を受けた本は印刷された文字として取っておく。こう考えると、出版される本の部数は減るが、意味性や影響力は増す。

それらをうまく使い分け、それぞれの選書のライブラリーを持つ。書斎には、ノートやペンやインクや硯や筆等もおいておき、色々な表現を使い分けた自己表現をして行く知識人が現れて来るかもしれない。メールやlineやfacebookやmessage等も情況に応じて使い分けている様に、良い本を大切におく本棚が有る書斎を持てるとよい。近い将来こうした未来の粋なインテリが現れるとよいね。

Bridge over Troubled Waterr -明日に架ける橋

April 21, 2015

僕は、1970年代初頭、大学では学生運動が盛んで、東大の安田講堂では高校の友人が機動隊に捕まり、また内ゲバでは同じ様に高校の同級生が殺されたりした時代に青春時代を過ごした。多くの大学はロックアウトされ、そのバリケードの中でロックコンサート等を僕らはやったりしたものだった。

その時代、大学の在り方が問われ、また科学の発展が人間の為に果たしてなっているのかが問われたりした。1968年はパリの五月革命から世界中で色々なことが起き、アメリカではベトナム反戦運動からヒッピームーブメントが起きた。

またチェコでは民主化運動が起き、キューバではカストロやゲバラが活躍した。その頃サイモンとガーファンクルが、こうした世界中に起きている紛争を、どのように乗り越えるかと言う問題意識でこのBridge over Troubled Waterという曲を歌った。

この曲がヒットしている中で、僕は新宿で山手線が学生の争乱により止められたりしたのをテレビで見ていたりした。僕は71年に初めてアジアからエジプト、ギリシャを通ってヨーロッパに行きそれこそヒッピーの様に世界中を旅し始めた。

一体人類の進化はどのようになっているのか?社会はどのように動き、何を基軸に動いているのか?という事でまず、エジプトからローマ、それにフランスから、当時の音楽の中心地のロンドンに辿り着いた。

哲学ではサルトルやボーボワールが活躍し、弁証法が素粒子論に応用され、存在とは何か?が大きな問題であった。科学と哲学の根源的な事を語り合いながら、当時盛んに成り始めたフリージャズやロックを聴いていたものだった。

そこでは根本的に相反する事象をどう乗り越えるか?が常に意識されていた。そこにツェッペリンの虚空を裂く様な音がからみ、ピンクフロイドの音が心をとらえた。その頃、ロシアの人工衛星スプートニクから見られる事を避け、アメリカは世界中の情報のネットワークを作る事に躍起になった。

はじめは国家権力の情報システムであったが、その後ヒッピー文化の個人の自由を極限まで追求するアップルのシステムが完成し、その後それらの互換性がそれこそブリッジの様に出来上がった。そこで、情報のシステムの革命があった。

大学の物理学科ではこうした情報科学と、物性論から発展した、それこ物質の本質とは?時間とは?宇宙とは?と行った事を議論して居た。経済では資本主義とは、社会主義とは?と言う事から、価値とは?資本とは?と言った事が問題にされた。これら全ての問いかけは、追求こそすれ、答えが一つではなく、これでおしまいと言う問題ではない。

ただ、ここで問題なのは何を問題とするかの視点の自由さと多様さを持ち、それに対してあくまでも挑んで行くと言う姿勢こそが評価されるのではないかという事だと思った。

そう考えてまた世界中を旅をすると、時代の問題意識、都市の匂い、そのときの世界の気運と行ったものが感じられる事に気がついた。僕のご先祖さんは、各地の士族がお見合い結婚で結婚し、明治以降、フランスやドイツ等に留学し、堅苦しく、古くから富国強兵の為に作られた大学に行って、多くは軍人や、大学の教授を務めた。

それら全てをぼくのロック魂が否定して来た。最近ではこうした大和魂と言ったものにも理解をして、伊勢神社等にも行く様になった。そこも全て橋を渡してくれる人が居て、全く違った事の橋を架けてくれる人が居たものだ。対岸に橋を架ける、と言う行為は益々意味が出て来た。

そう考えると、全く異なった土地を橋を架ける事で繋ぎ、新しい文化ができる事が出来る。相反する事柄を結びつけて、次の時代を見ることができる。橋を架けると言う事が、今まで僕がやって来た事だと思う。デザインとクラフトの橋渡し。農業と都市生活に橋を架けるファーマーズマーケット、現在と未来に橋を架ける事。ポートランドと東京に橋渡しする、Bridge Lab、や学校から社会への架け橋を造ったり。

フリーランスな働き方と企業を繋いだり、Bridgingこそが我々が今熱中している事な様な気がして来た。現在の世界に横たわる、想像を絶する苦難や難題。これらを乗り越える橋を造る事こそやりがいがある事といえる。  

コミューン Kommun Commune

August 15, 2014

先日、建築家の中山英之氏と話していて、都市と建築を繋ぐ長さは3キロだという意見を聞いた。

これはバックミンスターフラーのあのマンハッタンを覆う透明なドームの直径が3キロだと言う事に起因しているようだ。Your Private Skyという題が素晴らしいその写真を元に作られたドームのデザイン画は忘れられない。それは、都市のビルを包みながら、巨大な建築空間が出来ている。人間の感覚ではここが建築と都市、プライベイト空間の最大だと言う訳だ。

建築家は不思議な視点でモノを考える。そういえばコミュニティーFMを作ろうと思って調べてみたら3キロ四方までなら電波法で縛られずに独自の放送局を作れそうだった。きっと勝手に作ることのできるコミュニティーにとっての情報が届く限界なのだろう。

一方、先日行ったスウェーデンではKommunという、市よりも大きく、市を包む廻りの町を含む地域の単位がある。コミュニティーを形成する最大の単位の様だ。

パリコミューンをふと思い浮かべてみる。1871年、パリ中が理想社会を目指して短期間だけ起きた情況を想起する。行政の単位としてのパリ市が、真の民主制を求めた運動体の様に一瞬まとまったことがあった。これをパリコミューンという。

マルクスは共産主義ーコミュニズムの始めの出現だといった様だけど、僕はもっとプリミティブな、理想社会を求める運動体の始まりの要素があると思う。

現在ポートランドで起きている独特の流れが思い浮かぶ。1968年ぐらいからのアメリカのヒッピー達の理想社会を目指して、山の中にコミューンと言う独自の村を作って生活した。武者小路実篤も理想主義的な平等社会を実現する、「新しき村」を作った。「君は君、我は我、然れど仲よき」などとみんな仲良く暮らす一種のコミューンを目指した様だ。

そういえばパリコミューンでは初めて女性参政権を実現し、教育改革や行政の民主化や信教の自由等を実現した政府を確立した。そしてプロシア軍に囲まれた重圧の中で、みんな挨拶を交わして、和気あいあいの社会を形作った様だ。

ここは夏フェスの時にみんながハイな状態になって、挨拶をしあったりする感じだった様だ。そうすると考えるに、コミューンというのは短期間だけに実現した、運動体。未来社会の理想を歴史上初めて実現したコミュニティーだった様だ。

ここには、現代の社会の行き詰まりを突破するエネルギーを持つ運動体の様な要素がある様に思える。現代のネット社会、情報や知識が欲しいだけ手に入る様な社会を、シリコンバレーを中心に、デジタル革命として実現した様だけど、決して人類の叡智が集まった世界が出現した訳ではなく、愚かな戦争や悲惨な行為が繰り返されている世界を見るにつけ、理想を持ち、社会に対するビジョンを持つ事が如何に大切かが良くわかる。

そこにはリスクを冒しても自由を得ようと言う人類の限りない理想主義の発露を見ることができる。コミューンから色々と考えてみた。

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筆記具と文字

November 1, 2013

僕の初めての仕事らしい仕事は、エジソンの蝋管蓄音機をロンドンのアンティークマーケットで見つけて、それを買って来たこと。

そこから聴く音楽は本当に貴重なものだった。そしてついでにtalking machineという本を見つけて更に興味を持ち、また違った種類の蓄音機を買ってそれを集めteデパートで展示会をやったこと。

それ以来、まず自分の好きなものと興味を持ったものを集めて、それを楽しみながら追求するというのが僕のやり方になった。同時にマーケットリサーチではないが、市場性はどうなっているのだろうかとか、相場の違いや可能性も少しずつ調べてみる。それからまた自分の好きなものを集めてみることを始める。

次に興味を持ち、自分の好きになったものに、古い万年筆が有る。ONOTO 、De la rue London ロンドン通り?と書かれた黒くて筆の様なその万年筆をカムデンパッセージで見つけて、それを洗ってみると、見違えるようになった。

ONOTOの万年筆は夏目漱石が使っていたということを後で知った。羽根のような書き心地と書かれた宣伝の文章も見つけた。そこでインクを付けてみて書いてみたら、思いのほか書きやすく、今まで書いたことがない書き心地。しばらくその万年筆で、試し書きをしてみる。そこで万年筆とインク瓶を集め始めた。

Waterman やParkerの古いものや、Conklinという変わった形をした万年筆も見つけた。それから万年筆マニアに知り合いが出来、いろいろ話すと、そのコレクターズ精神に触発されて、更に集めることができるようになった。それから僕が扱った万年筆は数千本にもなった。

それから僕の興味は、銀の懐中時計や、筆記具として、ペンやペン立てや、銀の小物等をロンドンやパリの骨董コレクターや、蚤の市で探してそれを集めて、自分の店を作って売ってみた。それが思いのほか売れて利益がでた。こうして自分で好きなものを勝手に買って集めてそれが仕事になるという、今から考えると不思議な仕事を始めた。

そこで考えたのが、万年筆の種類と書き心地。同時に、古い手紙や、便せんに書かれた奇麗な文字も集めて、昔の手紙を読んでみる、そしてそれを書いた人がどんな人であるかを想像してみる。

筆記体で、粋な文面で書かれた手紙。そこに書かれた、ちょっとした挿絵や、サイン。比べてみると、意思を伝えるべく書かれた文字が、こんなにも違うものかと思われる。説得力が違う。またよく見比べてみると、品のいい字や、下手かもしれないが味が有る文字が有る様に感じられる。人間性や個性もその文字から何となく読み取れる。夏目漱石がいい文章を書いたのはいい万年筆で書いたからかとも思う。

最近、筆や硯にも興味が出て来た。震災以降、日本の硯の90%を生産して居た宮城県の雄勝の硯工場がすっかり流されてしまい、職人さんも沢山亡くなった。そこでなんとか硯の生産を絶やさないで、雄勝の硯を復活しようと考える。青山の骨董屋で古くて形のいい硯を買って来た。また雄勝の硯工場に残されている、いくつかの硯も買わせていただいた。それから硯を集め始めた。

硯のコレクターや中国製の端渓の硯をたくさん持っている人にもお会いして、いろいろ教えていただく。硯に関しての本も集めてみる。一体いい硯ってどこが違うのか?何を持っていい硯という基準が出来たのか?などを調べてみる。すると、万年筆がいいといい文字が書けるというのよりももっと深く、書道にまで高めている文字文化に想いを馳せる。

英語は発音をそのまま文字に定着させる表音文字。奇麗な筆記体はそれを読んで、発声することを想像させる。また漢字は表意文字。文字そのものに意味が有る。だから文字の書き方そのものから、意味を感じさせる。書道が発達したのにはこうしたバックグラウンドが有り、その文字を書くのには、良い硯と良い墨、そして良い筆が有ってこそだと思う。

文字を書く前に、墨を硯ですって、心を清めて、書く文字に対する意味や想いを深くする。それから書をしたためる。僕らの時代は、万年筆から文房具にふれて、それから硯や墨や筆にいくという興味の移り方があると思う。若い人は、電子文字から、印刷された文字に興味が移り、デジタル印刷からオフセット印刷、活版印刷で刷られた文字の感触にふれ、それからペン文字や書道に興味が膨らんで行くことになる人もこれから出て来るかもしれない。

筆記具や写植、印刷方法や筆文字に興味が行く人もいるかもしれない。こうした文字に興味を持つことは、その文字が表している意味を伝えることに興味がでて、そこに表現されている、意味性そのものを考えることになるかもしれない。でも何よりも僕が気にするのは、自分のデスクに、お気に入りの筆記具と、硯の入った漆器の箱と、いい筆と紙、それらとコンピューターを何処においてどういう書斎にするか。

そこで一人で気に入った紙にどんな文字を書くか。丁度、コックさんが自分の気に入ったキッチンを作り上げる様なことがまず、いい料理を発展させた様に、いい文房具と空間を作ることそのものに向う。

粋とは?

September 8, 2013

今年の夏は暑かった。禅の研究で有名な鈴木大拙が亡くなったとき、アナウンサーが休み明けで、ぼけていて、蝉の研究と間違って読んでしまって、進退伺いを出したということを記事で読んだ。

元々、英文で、禅と日本文化についての著作を沢山書き禅とは何か?などの解釈は、外国人に説明する様に、日本人に書いていてある。僕はずっと鈴木大拙に対する畏敬の念を持っていた。もし僕がアナウンサーだったらどうしただろうか?

でもそこを蝉と禅とは共通項があると、もしアナウンサーがすぐ気がつき、(蝉の鳴き声を暑さの中で聞きながら、霊性の自覚を悟った禅の研究者鈴木大拙氏が亡くなりました。)と言ったとしたら、これは粋だっただろうな。などと暑さの中で考えた。

武士道を書いた新渡戸稲造も奥さんがアメリカ人で、英文で武士道を書くということは、外国人にも解る様に、論理的に武士道を説明したということだ。僕はこの武士道を読んで、日本人の心を理解する。一度外国語に直して、それから日本文化を考えてみることがこれからの日本人にも必要ではないだろうか。

日本人であることに安住してしまい、自分たちしか理解できない感覚や概念だと決め込んでしまっていないだろうか。イギリス文化もフランス文化も、自国の言葉以外にきちんと話して、説明することをさぼらない。

あの九鬼周造でさえも粋の構造を祇園の芸者の奥さんとの関係の中で、自己を見つめる様に、書き上げた。何回読んでも、完全には理解できないけれど、粋とは何か?をきちんと英文で書いておく必要があるとふと思った。

英語のCOOLクールという感覚は、1960年代にジャズが音楽として認知され始めた頃、黒人のジャズプレーヤーが汗をかきながら演奏しているが、曲や目線が涼しく、かっこいい。その感覚がクール。ここから始まって最近では何でもかっこいいというのがクールといわれる。

日本人もクールという様になった。でも日本人は<粋>じゃないかと思う。粋な行為。粋な着こなし。粋な言葉。粋な振る舞い。粋とは日本人の美意識の琴線にふれている。デザインやアートや生き方や行動の基準になる日本人的な美意識。

粋を外国人に英語で説明できるかどうか。僕はふとこれをこれからの課題としてやって行こうと思う。まず粋だなと思う場面を集めてみよう。善悪や正しいか間違いかを超えて存在する概念、粋。粋だったら間違っていてもいい位に思う。

粋にタバコを吸うのなら、体に悪くたって別にいい。格好悪い善人より格好よい悪人の方がいい。粋でありさえすれば。これから、そうした例を書き留めてみようと思う。

For The Times They are A-Changing

June 24, 2013

いつの時代も変わり続けているのは、何となく感じてきた。しかし同時にいつの時代も変わらない真実が有ると求めている自分がいるのも事実。

最近、また世界を廻ってきてみると、今までにもまして、時代が変わり続けている実感が湧く。このままあと1000年、人類が生き続けていられる様には思えなかった。このまま行くと、異常に増殖したバッタの大群が自滅して行く様に、人類もその文明も破滅に向う様な恐怖を拭うことは難しい様に思う。

一方、先日帰ってきた旅行から感じたことはまだまだ、人類も捨てたものではないし、色々な試みが行われていて、未来を感じることも有るなと思える瞬間が有る。まずそこはどんなものかと言うことをちょっと考えてみたい。

Twitterの創業者のジャックドーシー氏が僕らがやっているみどり荘に来てくれたので、サンフランシスコのオフィースに行った。そこはSQUAREと言う、四角なカード決裁をi-phoneやi-padにつけて簡単にすることを通して、個人事業主や新しく仕事を始める人に、経理やお金の専門の役割から解放すると言う、簡単なシステムを提供している会社だった。

現在の社会は全てお金を中心に回っているかの様に思われている。勉強をする目的も、良い学校に行き、大きい会社に就職し、安全に人生を過ごせる様なお金を稼ぐことができる様に、まだ日本では考えられている。そこがまず諸悪の根源ではないかとボクは思う。

さてお金そのものは価値変換の機能を持つメディアに過ぎず、それ自身を目的にすることが如何にばからしく格好わるいかと言うことを、その会社の空気から感じた。まず入り口ではセキュリティーが厳密にチェックして、何故来たのかと聞かれたので、いろいろ話していたら、今回僕らをアテンドしてくれることになっているKTが朝のボランティア活動から帰ってきて入り口で、僕らを見つけて、すぐに入って行くことが出来た。

まずカフェがあって、何を飲むかと聞かれたので、お水を頼むと、きちんとグラスとデカンタを持ってきてくれた。会社内にはいくつかこうしたカフェが在って、いつでも自由に飲んだり食べたり出来る様になっている。

社員が550人ほどいるオフィースの入り口には会社名は目立たなく、マークが簡単にサイン代わりに有るだけ。社員はカードや金融の仕事なのに誰一人スーツを着ていない。しかしオフィスというより働く環境は、ジャックドーシー氏の思想を具現化している空間になっていて、セキュリティーはしっかりしているけれど、自由でクリエイティブな空気が溢れている。

そこでビデオを作っている部屋に連れて行ってもらったら、大声でターザンの様に部屋の中に入るなりに現れた人がアートディレクターだった。そこで見せてくれた最近作った映像には新しくカフェを始めた人が、どこが大変でどのように売り上げを分析して事業を組立てるかを、簡単に説明したものだった。

お金を簡単に扱い、数字を分析してくれる。そして何よりその事業の目的が世の中に好いこと。そう感じさせてくれる、オプティミズムにもとずく仕事の仕方。安全性や確認を簡単にやって
落ち度がない様なことが基本にあり、事業を如何にクリエイティブに美しく組立てて行くかが問われている。

事業も失敗をそれほど恐れづに、やって行くことが普通だ。こうしたある種の理想を基準にした社会観を肌で感じた。これは一体なんなのか?世界は金融危機や国家の経済破綻がいっぱいおきているのに、其れを乗り越える動きがこうしたお金そのもののポジションと意味性さえも考えさせられる企業活動が出現している。

そう感じることができたことが僕にとっての喜びだった。そして、ジャックとカフェで会って簡単な会話を交わした。今度日本から若者を連れて来るからこの空気を体験させてくれるかなと聞いてみた。簡単にオーケーと言ってくれた。

システムや機能は真似することができてもこうした理想主義は真似できない。今度、こうした新しい企業活動や、個人の試みを廻ってみる。シリコンバレーやポートランドで起きている色々な動き。それらは時代が、自然の浄化作用を求めている様に、変わり続けていることを示している様に感じた。

人類も捨てたものではないなと思った。きっと日本の小さな町にもこうした理想主義が隠されているはずだ。時代の波をどのように捉えて行くかだけでなく、どう解釈してその根源を探る旅をしてみたいなと思う。なぜなら時代は変わり続けているのだから。

現代デザインの潮流とそのキュレイション

October 18, 2012

また秋のデザインウイークが今年もやってきた。

ボクは家具のデザインを中心に仕事を始め、それがオリジナルのデザインからライフスタイルや生き方にも考えが及んだ。そして生活の探究を掲げて、家具のメーカーを引っ張ってきて、ミラノやロンドンやニューヨークで新しいデザインの展示をやった。

これは売るというより、現代のデザインを世の中に問いかけるという意味合いが強く、ボクがバックアップしたデザイナーが大きく育ったり有名になったり、何よりも自分の目の付け方が良く、うまくいくという快感がたまらなかった。

個人個人の才能はバラバラだけれど、自分が選びプロデュースしたものを集めてみると、不思議と時代が見えるし、自分の趣味も見えるものだ。ここがデザインをキュレイションする醍醐味。

現代を切り取り、今の美意識を集めて行く。すると現代という時代が見えて来る。デザイナーの創造性も時代によってフォーカスされ方が違う。今年はスウェーデンのデザイナー10人とキュレイター2人、それにスウェーデンのデザインをずっと引っ張ってSwedish Styleをやり続けてきたEwa Kumlinさんも来日して、みどり荘IKI-BAで展覧会やパーティーやイベントをやる。

何故北欧のデザインが今、日本で評価される様になったのか?近年、2月のストックホルムの家具展がミラノよりも乗りがいいのはなぜか?デザインの潮目は完全に変わり、派手できらびやかな所謂デザインらしいデザインに変わって、手の感触のあるクラフトとしてのデザインなどが評価されてきているのは、時代とどういう風に関係しているのか?と言ったことに興味がいく。

キュレイターのKatrinはContemporary Collected.をテーマにしてキュレーションしてきた。日本人のデザイナーも、建築家もアーチィストも参加して、これからじっくりムーブメントを作って行こうと思う。今はそういう時代だと感じる。この動きはデザインを決して見捨てないで、暖かく見守り、サポートしながら自分も参加して作って行くものだと思う。

ボクがささやかながらこの世界でやってきたことが、こうしたムーブメントに役立てばよいなと思う。目の付け方、デザインキュレイターのまとめ方、ビジョンのもって行き方。情報と事業化、などを彼等に聞いてみようと思う。それをまた参考にして再構成していく。KatrinやEvaさんにも大いに話してもらおう。スウェーデン大使もこの為に考えを述べてもらう。

彼は京都大学で俳句や日本文学も勉強してるそうで、日本の文化に対しても造詣が深い。ストックホルム郊外の廃校になった学校を別荘にしているそうだ。益々、身近に思える。クリエイティビティーに対する姿勢を語ってもらう。ばたついている日本のデザイン界にいい刺激になることを願っている。

現代をどのように切り取ってそれを集めて行くかを。そして時代を作って行くか。

粋な紳士

October 12, 2012

昔はよく粋な紳士ってのがいたものだった。お昼過ぎ2時ころから4時頃、中途半端な時間に銀座か目黒のそば屋で、一人でつまみを軽く食べて、お酒を飲んでいる紳士がいる。

そしてさらっとそばを食べて立ち去ったとする。あれは一体なんなのだろうか?粋だな!と感じる。その紳士はどんな服をどの様に着こなして何をしているのだろうか?粋な東京の紳士。明治時代だったら、和服の着流しか、英国風のスーツを、夏なら麻のスーツ冬だったら、ハリスツイードかなんかで、チーフとメモを几帳面に持ってさりげなくメモをしている。

どんな本を読んでいるのだろうか?趣味は何かな?きっとマニアックで変なものを集めているに違いない。例えば葉巻のケースやオイルライターをたくさん持っている。万年筆のコレクション。古いレコードなどは普通だけれど、今だったら昔のキャラクターのセル画とか、デイランやグレートフルデッドの海賊版を集めていたり、初期の音源を様々な形でコレクションしていたりするのかな?

ウイスキーを飲むにしてもどのウイスキーをどのように飲むか?どんなグラスで飲むのが粋なのか。ひとたびその道に行くときりがない。しかしひとたびスポーツをさせると勇猛に戦う。こういった武士道にも通じて、潔く、勇気を持って、人生を生きていき、それでいてかっこいい人。

現代ではむしろ女の人にそうした人が多い様に思う。現在の様に国際間で色々問題がある時、毅然として、かつユーモアを持って、余裕がある人。こうした紳士を僕らで作り上げて行かないといけない。

むしろ現代の紳士とはどういう人なのかを探して行きたい。きっとカッコだけ復古趣味な服装をしてやたらに高い腕時計をしている人という訳ではない。イザという時に、きちんとした態度が取れて丁寧で趣味が良い。こうした粋な紳士を育てて行きたいなと思う。

それには先人に学びつつ、現代の世情を理解して、オリジナルな独自の紳士像を自分で作って行く。そこが大切だし、それには好奇心と知識欲だけでなく実践が大切だと思う。

人に良くして、異性に優しい。決断力のある粋な紳士。しっかりした思想を持ち、いざとなったらきちんとした筋を通せる紳士。ボクもそうした紳士として死にたいと思う。紳士は一日にしては成らず。

学びのキュレイションの始め

April 16, 2012

家具やインテリアデザインに熱中してから、最近、震災などで捨てられた古い漆器の再生や古民家の再生に動き回ってきた。

陶器をチャイナと言う様に、英語では漆器をジャパンという。それほど日本の漆器は工芸としても、日本の文化を代表するものと海外では見なされてきた。

古い漆器は意識を集中し、魂をこめて作られてきたものが多い。その製作の過程は、祈りにも似た精神の集中によってしかえられないエネルギーが感じられる。古い漆器を直したりきれいにして、ならべて見ると、緊張感と力が感じられるから不思議だ。そこに蒔絵や螺鈿などがおかれていると芸術品の様に思う。

そこでデザインのあとに僕はContemporary Art & Caraftに興味が移ってきた。アートと工芸の現代がデザインの様にも思えるが、実は最近のデザインの流れは如何にアートや建築的視点も取り入れて、手仕事の技巧と意識の集中があるかが大切になってきている。生活の中の美意識としての工芸がデザインになってきた。Design as Contemporary Craft.

そこでアートの世界に飛ぶと、日本では本当の意味でのキュレイション、すなわち、社会と美術を橋渡しして、きちんと思想とテーマを持って作家の表現をキュレイションしていける人が少ないように思える。

美術館の学芸員になって美術と知識を担当するのではなく、自己の視点で美をまとめあげて行く人。それを美術展などの出来事として展開できる人。この概念のアートのキュレイターが最も求められている。事業家的な力強さを持ったキュレイター。工芸でも職人の技術に応じて、誉めたり、励ましたり、怒ったりする親方。それにモノが分かっているお店と、目利きの客。それらを意識しながら、その道の世界を引っ張って行くような工芸のキュレイターが必要になってきているのが実感される。

デザインの世界でも余りにも世俗的な商業にもてはやされたデザインプロデューサーの終焉を迎えて、キュレイターが求められてきている様に思う。ファツションデザインも、生き方のかっこよさを感じさせる服。その服を着ると中途半端なことは言えないな、というような服は最近はなくなり、現代の時代の空気をいっぱい吸い込んだモデルは出てきたけど、かっこいい生き方は感じさせない。

僕はこの8年ほどは、これはやっぱり意識を変えて行かなければホントに好いデザインはないなと思い、スクーリングパッドや自由大学をやってきた。デザインを突き詰めると、建築やアートの理解が必要になり、ファションを良く見ると服をどのように着て、どう生きるか、所作を考える事。そして自分でも最初から全てを学び直したいといつも思う。そこでその疑問と課題と社会の架け橋としての学びをキュレイションをする機能が何処にもないことが解った。

そもそも大学の起源は何処にあるのか?学ぶのは自由人しか出来なかった。しかし今はお金を得る職業に就く為に大学卒業資格を得る為に学ぶ。自由とは反対の視点で学び、試験を受ける為に学ぶ。この世界もキュレイターが必要になってきた。ついでにウェブの世界でも情報過多になり、何も整理されずに何でも知ってるという、データベイス型知識人が重宝される時代も終わりつつある。検索機能が発達しても疑問が構築されないと話にならない。

一体どうすれば好いんだ。何が大切なのか?

いつもそこを意識して生きていく。宗教でないとしたら、美しかそれに変わるものはない。少なくともいろいろな領域で美を感じることを追求して行く。それを橋渡しするのが学びのキュレイターなんだ。そこでそもそも学ぶということはどんなことなんだろうかと徒然、考える。そして骨董屋で古い漆器を見たり、古本屋で一服する。

未来のスミカ

October 22, 2011

戦争のあとには必ず平和が来るとは限らない様に、破壊のあとには創造があるとは限らないのが世界の現実。今回の震災にあたっても、仮設住宅が立ち並び、公共の体育館などにも人がいまだに避難している。

僕は、今回の震災後はすぐに東北に出かけて行った。その時、大自然の神様がお怒りになったんだなと感じ、同時に戦後の日本の社会は必ずしも、良い方向には来ていなかったことに対する反省をするときが来たと感じた。そこから乗り越える為に叡智が結集されてくるのだなと思った。

しかしそうはいかずに、何処がお金を出すか幾ら貰えるかはたまた建築資材の買い占めと行った様に、目先の利害と目先の住処を探すのに右往左往。政治や正義はうまく機能しない。日本では独特の民主主義が発達してきたかと思っていたが、そもそも民主主義がうまく機能していない。

これらも含めてここは未来を本質的に考えてみるときが来たと思う。そこで、3月11日以降、すぐに作った一般社団法人ハートクエイクは仙台の若林区の拠点から出発して、雄勝硯や工芸の再生や古民家の復興から始め、農業の再生なども考えて行動をしてきた。

こうして荒涼とした津波に破壊された人間の営みを悲しいとか辛いというだけでなく、こうしたことは戦後にも起きたし過去の歴史で繰り返し起こってきた事と捉えて、きちんと地鎮祭をした上で、どう創造的に良い街を作るかが大事ではないだろうか。

今までの、電信柱や都市計画の美観を損なう行政の弱い所をを認めて、再生すべき東北の街町は電線を地下に埋め、緑が溢れる良い街を作るなど、ビジョンを持って行きたいものだ。

このビジョンを作るべく、10月29日(土)には先ず基本的な思想と情熱の方向を決めるシンポジウムを開催する。国連大学の学長Konrad Osterwalder氏には、現在世界の置かれている情況と日本の震災以降何がアカデミズムや人類の英知にとっては何ができるか、70億人を超えた世界の人の生き方などについて語っていただく。

その延長には未来の住処は如何なるものか?という疑問をきちんと持ち続けて、それを求めて話をする。香港からAlan Chanというマルチデザイナーを呼び、中国で起きているデザインブームはどのように推移していて未来のアジアのデザインはどうなるかの発表をしてもらう。

またイギリス人で台湾、香港とオーストラリアを拠点に、時の流れるままに、デザイン活動をしているアジアのデザインスターのMichael Youngにも話をしてもらう。彼は、Irresponsible Design(無責任なデザイン)というテーマでエッジをきかせた話をしてくれるだろう。

そして日本からは建築家の隈研吾氏がガレキミュージアム、今回の震災以降、建築が何をすることができるかなどを話してくれるだろう。

世界中の建築家は、この日本の大震災を契機に、いろいろな創造的なプランやアイディアを送ってきているし、日本の若いデザイナーや建築家も、立ち上がってきた。今までの様に、拡大し消費する続ける社会をどのように変えて行くか、真の叡智が求められるときが来た様だ。

天災や破壊のあとにどのような人類の創造性が発揮され、どのように乗り越えられるかが大きなテーマだと思う。このような事は今回の様な事がないと、なかなか考えてもみないことだった。こうした我々の運命を感じて身が引き締まる。しかし何時の世も捨てたものではない。有能な若者が現れてくれることを期待したい。

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10月29日(土)国連大学にて開催するシンポジウムは、未来のスミカ Projectのウェブサイトからお申し込み頂けます。
未来のスミカ Project


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キュレーションに未来があるか?

August 12, 2011

最近、新聞を読みながら、ああ世の中おかしいなあ。変な方向に行ってるなと言うことが良くある。

親が子供を平気でいじめたり、殺したり、子供が親にひどいことしたり、常識が破壊されている。また、夜中にNHKで日本が戦争に向ったいきさつや、歴史の裏話についての番組を見るにつけ、日本人の集団としての意思の決め方などにも弱さが感じられる。また、大企業が何か問題を起こした時の釈明にも、びっくりするぐらいよそよそしさが感じられ、モラルやコモンセンスは何処に行ってしまったのかと思う。

そこには、基本的に、体面やお金での損失を避けることが経営であり、善悪の基準は見つけにくい世の中に成ってきたことが良くわかる。そこで、宗教や、神様が見ていると言う、自然崇拝にも繋がるような、善悪の基準が以前はあったが、最近は拝金主義が先ずあり、金融中心の資本主義が大きく社会を牛耳っている様だ。

すると僕の好きな犬はモノであり、犬を殺すのは器物損傷になってしまっていると言う、まさに世も末の資本主義末期の価値感を呈している様だ。その延長に親が自分の子供にご飯をあげないで殺しちゃうなどと言うことをする、今まで聞いたことも無い犯罪以前の罪というものが報道される。自然に生きていて、善悪やモラルや常識について考える事ができないかと言うことを疑ってみると、明治以降の輸入した概念としての、コモンセンスと常識のズレ、日本の善悪の基準とモラルの元が違っていること。

議論をして物事を決めると言う民主主義の前提条件の欠如などがあるけれど、ボクは先ず、奇麗か汚いか、美を基準にすることがもう一度求められるのではないかと思う。そんな汚い言い訳はいけないとか、見苦しい言い訳をする人を見るにつけ、美を基準におく事の延長にこそ、現在忘れ去られている、そもそも何が基本かの問題意識を掘り下げることができるのではないだろうか。

プロデュースや編集と行った組み立てだけでなく、ともするとこうしたことは、とかく会社が上手くいくー損失が少ない様にーという目的の為に全てが動いていくことになってしまい、そもそもどうすべきかなどまるで考えずに動いてしまう。

そこで美意識を持って全体を考えて動かしていくと言う視点、すなわちキュレーションが必要に成ってきているのではないかと思う。これをアート理論や画商達だけの概念ではなく、社会のリーダーシップに対しても必要な要素と考えて、僕らの自由大学でキュレイション学として、やり始めて来ると、同じような考えを持った若い人達が集ってきた。

教育の改革など言わなくても学びの視点を変えて、違った方向からも学ぶことを考えたみようという、数字と合理性だけが真理であるかのような教育からの脱皮が自然に起きてきているのだと思って嬉しくなる。キュレーションという美意識と理念を基準に物事を組立てることはもしかして未来を再生することに大いに役立つかもしれないと思う。

宗教にかわる役割を、きれいに生きよう、奇麗に物事を組立てようと言う欲求が担ってくることができるか?と考えてみる。それにはもっと深く考えて、もっとスキルも磨き、此の道を掘り下げてみなければいけないと思う。

3月11日以降、何が変わるのか、何が普遍なのか。

August 5, 2011

毎日、モノを考えて、歩いている僕らにとっては、今年の3月11日は一つのきっかけに成ったのは確かだ。

キリスト教徒でもないボクは、ボランティアだとかチャリティーと言うことを口にしないでも、普通に、大自然の災害、大雨や、地震や津波などで被災して、運悪くなくなった人などに対して、それもさも自然に振る舞いできるだけのことを静かにやるものだと思っている。

そのあとの原子力発電所の放射能汚染の話は、日本の会社組織や、公的機関のガバナンスと意思決定の流れのことを考えさせてくれる。とにかく一体全体どうなってんだと考えざるをえない情況が出現したのは確かだ。

自分なりに把握して解釈し納得してから動きたいボクとしても、震災以降みんなで頑張ろうと言うのも、何をするかの身近な身体に近いところでの行動までイメージできないと空回りしてしまう気がする。

そこで神戸の震災の時は建築でしかお手伝いできなかったので、今回はすぐに東北に出かけていった。破壊と創造は隣り合わせ、目を覆うばかりの情況に接して、不思議とボクはインスピレイションとエネルギーがわいてきた。

何故だろうと考えると、震災以前の日本の状況にどうも気持が悪く居心地が悪かったことがある。地方にいけば都市の町並みの汚さ、こんなところにこんなものを建てて奇麗じゃないなと思っていたし、このままでは未来は難しいなと思っていた。そこで大震災。本来、大きな、災害は歴史的にも常に起きてきた。

これをきっかけに、静かに、今までの文明の発展と思われることを、再考し、これを機会に再出発することを考えるべきではないかと思う。少なくともその考えの上にいろいろな創造力を生かしていくべきではないか、その方が未来をみることができる。

大切なことは未来社会に対するビジョンを持てるかであり、それは決められた問題を解決する能力と言うよりは、思想を持ち独自の創造力でありイメージ力ではないだろうか。次には、そこを育てる教育が大切になってくる。

ボクが考えた自由大学のシステムは、今までの教育システムを補完していける可能性がある。自発的に学ぼうという力は、社会の要求を自然に受け入れて学びを補充する。そうした普遍的に学び続けるシステムは、それ自体ソーシャルネットワーキングのように、未来の社会を善い方向にもっていく力になるかの試みになっている。

HEARTQUAKE project

May 26, 2011

天災はかならず訪れる。人類は歴史上、こうした悲劇に立ち向かい、それに対峙し、叡智を結集し、戦い、乗り越えてきました。その過程が人類の数少ない偉大さと、創造性を発揮する場所になってきました。HEARTQUAKE projectは日本人の文化性と精神性と人知を結束し、行動を持って、東北地方太平洋沖地震から復興に向う過程を、いかに心を震わせる、感動に満ちあふれる行為にしていくかのプロジェクトです。

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東京はCreativeのHubに成れるか?

March 7, 2011

最近、デザインのハブとか、ハブ空港とか良く聞く。ハブは自転車の車輪のHUBとSPOKEから来ていて、ぐるぐる回る中心に成るってことを意味しているらしい。

例えば香港の空港はアジアのハブ空港になっている。これは24時間いつでも発着して、着陸料も安く、便利で許容力が有る空港。それに対して成田は不便で夜は着陸できないばかりかいろいろ規則が有る。空港も運輸省や空港公団や幾つかの役所が管轄していて全体をまとめてみれない。

ハブに成ることの一方の必要条件は便利でキャパシティーがあり、何でも認めてしまうことができるところ。でもそれだけではハブ空港に成れない。一方はデザイン的に進んでいて、文化的に優れていて、現代のアイコンとなっていることが大切だ。各国の空港は、国の総力を挙げて、その国の建築と文化のレベルを競っている。別にその国の建築家である必要はなく、その国がこの程度、文化を理解して表現しているって言うことだと思う。

ハブを支える両方の軸は許容力が有ることと、もう一方は、アイコンとして夢があることかもしれない。そこを中心にしっかりとしたスポークが各方向に伸びていること。そしてそれが廻っている状態を出現させていること。こう考えると、もしある都市が文化のハブに成っているとしたら、それはどのような要素を満足しているのだろうか?

ふと今朝見たテレビの番組で、韓国の英才教育を特集していて、そこの校長先生が、ノーベル賞を取れる人を作るのが目的だと言っていた。ガリ勉の延長にはノーベル賞はないと言うのがぼくの持論だけどそれはさておき、ノーベル賞はスウェーデンの王立アカデミーが今年は各方面で一番意味が有る研究をして、成果を出した人やチィームに与えられるもの。

ここでスウェーデンはアカデミズムのハブに成っていると言うことに着目したい。別にスウェーデンの学術レベルが世界一と言うわけではないけれど、その姿勢が、最もアカデミズムや学問の成果を評価する基準として優れていると言うこと。そのポジションがスウェーデンと言う国家としても世界から認知していると言うことだと思う。

ぼくはスウェーデンに良く行き、友人も多いし、一緒にデザイン展などもよくやってきた。スウェーデンやフィンランドの教育レベルは世界で有数だといわれている。でも誰もガリ勉をしているようには見えない。塾に通ってるようには見えない。実際、若者は集ってよく話しているし、何にでも興味を持っている。

デザイナーも日本のことや世界中のことを好く知っている。気軽に外国に行く。日本でもスエーディシュスタイルのイベントをしたときは何百人もやってきた。別に天才デザイナーではない人達も、みんな混じってやってきた。フリーでカジュアル。リーダーシップを取ってビジョンを形にする人がいる。こういう点でスウェーデンは優れている。人口もGNPも大したことはないけれど、世界中の学者の目的になるノーベル賞を持っていると言う点ではアカデミズムのハブと言えるかもしれない。

日本がもし今後、文化と知性とデザインで世界の中で存在感を持って行くことができるとしたら大いに此のハブに成ることをきちんと仕組むことが大切ではないかと思う。教育から始めるのは解っているとしても、ガリ勉英才教育ではないことは解っている。では何か?

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相撲とデザイン

February 14, 2011

大相撲がまたもや八百長問題で荒れているようだ。相撲はスポーツと言うより儀式。

相撲の勝負を楽しむ日本の文化だとしたら、当然、賭けも昔からあった。むしろ賭けない勝負なんかつまらない。ただ、それが裏社会で行われるので、八百長がある。むしろ国技ならば国がギャンブルをどこかの機関にやらせて、そこから税金を取ればいい。宝くじよりも面白そう。

こうした揉め事をどう捉えるかが大切、朝青龍のときも、仮に相撲をモンゴル人にやらせ、一番強くまで上り詰めた横綱が、生まれ故郷のモンゴルで英雄のようになって、無邪気にモンゴル人としての喜び方を表現したり、態度を取った。

それが日本の文化としての美意識や様式に合わないのなら、横綱を辞めさせてから朝青龍に大相撲の大使とでもしてあげて、仮にも一番強かった人を尊敬してあげる余裕が有れば、モンゴル人も日本を好きで、あり続けたはずだ。大相撲大使朝青龍がモンゴルに日本文化を広める。せっかく日本ファンなモンゴル人を敵にまわさなくても良いのではないか。と僕は思う。

これからインターナショナルな世界で生きて行く時、宗教も、風習も、価値観も違う世界の国々の中で、どう日本は生きて行くのかは、ヒッピーのようにだらだらとジーンズを履いて世界を歩きまわり、いろんな所で友だちを作ってきたぼくとしては気になる事柄。

去年、香港のデザイン展に参加して、展示が終わったら、プロダクトが盗まれた。また、送り返してきた物の梱包がひどかったのがあって壊れてもいた。ちなみに僕らの参加したDETOURを4万人以上来て、Pure Water Design としてまとまった、日本のデザイナーのレベルは高かった。それは香港側も良くわかっていた。

香港側の主催者が丁重に詫びを入れてくるわけでもなく、保険は展示する側で掛けるのが当たり前だと言い切るわけでもなく、どうして好いか解らないで、日本側の担当者は、オトシマエをつけてくれさえすれば僕らも、対処できるのにと困っている。怒りのやり場がない。

参加デザイナーにどういったら良いのかも解らず、辛い所だ。こうしたことが世界ではよくおこる。日本人は要するに真面目なんだ、世界で一番真面目な人種。そこで海外で怒って喧嘩する前に、じっと考える事を、此の短気な僕は気をつけてきた。

そのときに一番大切なのは個人的な人と人のつながり。一緒に話して、心をつなげたことがあるか。美味しい食べ物を食べて時間を共有したことがあるか。と言うことだと思う。それをもとに、ユーモアを持って、怒らずに、良い言葉を発して、相手に謝らせることがどれほど大切か。こうした、仲良く喧嘩すると言う感じは、日本人は下手だ。

また、香港のデザイン展に出店したデザイナーの坪井君の腕時計が、写真でデザインを発表したら、その腕時計の本物を製作する前にコピーされた。それもカラーバリエイションもあって、すごく安く。こうしたコピー物は最近では性能もあがってきて、メカなどは日本製のムーブメントなど使い、時間も狂わなくなってきている様だ。

そう来るならば、坪井君に言ったのは、ぼくがコピーメーカーに交渉してあげるから、どうせコピーするなら、こちらの指導を、ちゃんと受けて、オフィシャルコピーとしてやりなと言ったらどうか。どうせ真似したいと思うのは、それだけいち早くそのデザインを認めてくれていると言うことだから、きちんとディレクションを受けたら如何な物か。

ロイヤリティーはどうせ同じようなパーセントなんだからデザイナーには売り上げに応じて払われるから関係ない。そうすれば良い。すると、それをまたコピーするようなメーカが現れるだろう。今度は中国国内でオフィシャルコピーメイカーがコピー企業を訴えることに成ったりして。そこで坪井君がオリジナルを10倍の値段でも発表する。もう殆どオリジナルアートとして。

プロダクトデザインの世界ではもう、こんな戦いが始まっている。そのとき、始めてプライドを持ってオリジナルを作る企業とオフィシャルにコピーをする企業と、ただコピーする企業を僕らがどう受け止めるかだと思う。

そのときに、ちゃんとデザイナーの創造性を権利として守って行く。何か相撲とこの国際間でのデザイン戦争も似ているように思う。それは侵略戦争でない戦争なんてないと、地域を取ることが核心の、アメフトを見ながら言っているぼくの確信と重なってくる。こういう風に世界の状況を見て行くと面白い。そして最後は賢く、ちゃんと自分の位置を維持できる国が尊敬される。

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李鳳宇氏復活祭『梨花の会』

November 25, 2010

日本人は桜の花が好きです。中国人は桃の花が好きです。
朝鮮人は梨の花を愛しています。

李鳳宇氏は映画を通して人々を泣かせ、笑わせ、感動させてそしてビジネスにして来ました。それは他の誰にも出来ない領域に達しました。同時にメディアの転換により今後、映像を通してもっと広く人々を感動させる、感動ビジネスを展開することになるでしょう。しかし中心にいるのは人間です。国籍も人種もなく、日々を懸命に生きる人です。そしてそれを演じ、映像にする人々です。

李鳳宇氏にお世話になった人達を中心に、心のこもった会を催したいと思います。映画の感動を通じて心ではアジアは一つに成ることができることを夢見て。


日時:平成22年12月2日 木曜日 18時30分~21時
場所:『胡同 マンダリン』銀座コリドー街
http://www.kiwa-group.co.jp/restaurant/a100278.html
東京都中央区銀座8-3銀座コリドー街2F TEL:03-5537-2110                       
会費: 壱萬円(当日お持ちください)

◎梨花の会実行委員会事務局:木下 猿渡 北岸
sphc.com@gmail.com

主催:株式会社スクーリングパッド
発起人代表:黒崎輝男 中嶋武 中村悌二


NOT GUILTY - Pure Water Design

November 24, 2010

香港にてデザイン総合イベントBODW2010が開催されます。
期間中、香港市外の旧拘置所跡地で開催されるデザインイベントDETOURにて ,日本/香港の若手デザイナー達が展示イベントを繰り広げます。

日本サイドは 黒崎輝男(流石創造集団株式会社) がプロデューサーを務めます。
Detour全体テーマ「NOT GUILTY」 にそって招聘した香港と日本で注目を集める若手デザイナーそれぞれ10組、合計20組が、示唆に富む作品を展開します。日本チームからは特に「水」 をテーマとして加え「NOT GUILTY - Pure Water Design」として拘置所の独房をそのまま生かし、展示を行います。

---水の思考---

日本人の美意識は様式の完成度や、素材に対する繊細な視点、工芸の美と民芸の素朴さ、造形に対する調和の良さなどがよく取り上げられていますが、現代の時代の流れの中では環境、源、食料、水、エネルギーの問題が世界の最重要課題になってきています。

そこで、日本のデザインに潜在するバランス感覚と先進性を「水の流れ」として捉えていくこととしました。
若手デザイナーの叡智を結集させ、Detourは未来社会への近道をデザインで問いかけていきます。

■DETOUR(公式ウェブサイト:http://www.detour.hk/)

会期:11月22日(月) ~12月5日(日)
会場:Victoria Prison(16 Old Bailey Street)(セントラル地区)
主催:Hong Kong Ambassadors of Design (香港設計大使)

ディレクター:
黒崎輝男 Teruo Kurosaki / Design producer

出展者:
倉本 仁 Jin Kuramoto / Product design, Modern craft
鈴木康広 Yasuhiro Suzuki / Artist
坪井浩尚 Hironao Tsuboi / Product design, art
田川欣哉 Takuram design engineering / Design engineering
中山英之 Hideyuki Nakayama / Architect design
NOSIGNER NOSIGNER / Furniture design, Product design, Concept design
MILE 3 designers team / Product design, Space design, Concept design
Nick Rennie Nick Rennie / Product design
平野治朗 Jiro Hirano / Lighting art
高木正勝 Masakatsu Takagi / Visual artist


DETOUR 2010 OPENING CEREMONY.

日程: 2010年11月26日(金)
プログラム:
4:30 pm カクテル レセプション
5:00 pm オープニング セレモニー

場所:Upper Courtyard, Victoria Prison, Old Bailey Street, Central




Lost & Found

October 13, 2010

現代の日本が抱える問題は、産業化の過程で失われてしまったもの、置き忘れてしまったものがたくさんあるということです。

たとえば農業。海外に製品を輸出する工業生産とその効率ばかりを重視し、自国で食べ物をつくるという基本を忘れ、その多くを輸入に頼っている。しかし日本の昔からのものづくりは、農業と密接な関係を持った「工芸」にその原点があります。

自分たちの道具を生活にあわせて自分たちの手でつくる。機械生産に頼るようになって、そのことを忘れてきてしまった。私がデザイン・プロデューサーとして農業にスポットを当ててきたのは、こうした物事の根本を考えるためです。

たとえば今回のBODWの「Detour」では、香港の古い警察署を舞台とした展示を企画しています。ここはかつて不法移民や難民を収監した場所ですが、社会の体制が変われば罪とされたことも罪ではなくなる。ビジネスのためのデザインからちょっと離れて、罪とは何か、倫理(ethics)と美学(aesthetics)をデザイナーの視点から根本的に問い直したい。

また日本からは、日本の文化の原点ともいうべき「ピュア・ウォーター」をテーマとした作品を提示します。かつて日本の集落では、水の湧き出るところに神社を置き、鎮守の森としていました。それは宗教とも違う自然崇拝です。その原点にもう一度立ち返って、未来への流れをつくっていこうというものです。

急速な近代化とともに得たもの失ったもの、その良い面も悪い面も含めて、日本は「Lost & Found」のショーケースとなりえます。日本の問題は、そのまま世界が抱える問題だと思います。そしてそれは根本から考えないと解決しない時代になってきている。今、思想と美意識をもったコンセプト・デザイン、ソシアル・デザインが必要とされています。

文明の進化で忘れられたものを問い直し、あらためて日本から、進化ではなく深化を促すような、未来観や将来の夢といったヴィジョンを持ったデザインを提案していきたいと考えています。

DETOUR
期間:2010年11月27日(土)~12月5日(日) (予定)
会場:香港市街中心地
主催:香港アンバサダー・オブ・デザイン
   http://www.detour.hk/

自由の代償1

August 28, 2010

最近、若い人と会っていると、ちょっと前とは違って、どうしたら良いでしょうかね?何が正解なんですかね?社会はどうなるのでしょうかね?といったことを通りぬけて、こうした上昇をもとめるということすらからも離れているように思われる。

これを意欲がないとか、生命力が弱くなっているとか、はたまた真面目ではないとか、草食人間だと、大人は言う。

何も考えずに、ハキハキといつも素直に好く言うことを聞く、やる気のある人間を作ることが戦後の教育の目的であったように思われる。その為に塾に行き、受験勉強に勝ち抜き、やってきた。そう成ると、其の努力の代償に、有名大学に入学できて、大きな会社で働くことができる。

すると一生、少なくとも経済的不安に置かれなくなって、安全に平和な生活が獲得出来る。という夢と幻想。これは戦争で全てを失い、モノが溢れるほどあること、お金持ちに成りさえすればアメリカに追いつき、世界に其の存在を示すことができるかのように思った戦後の日本人の努力を否定するわけではないが、現在そこが疑われている。

大企業では社内でのコンセンサスを得て一枚板に成ってまっすぐ働く。もしこれをよしとするとしても、次はどうでるかが根本的に求められている。でも、貧乏だから、頑張って稼いでお金持ちに成った、それで何か悪いことでもあるのか?

もっとやる気をだして稼ぎまくったらどうなんだ。という声に対してまともに対抗することができなかったと言えるかもしれない。何事も好いか悪いか、2方向で考えるキリスト教的思考方法ではなく、曖昧といはれるかもしれないが、デザインや文化や人生の生き方の視点から考える。

すると経済的に数字で考える事から解放されて、急に開けてくることがある様だ。そこで大切になってくるのが自己、自己がないと、自由が何かの基準すらない。自由というのを自分の居場所なくして言うことはできない。

ネット社会で自分を隠して人の揚げ足を取ったり、暴露したりするのはこの辺がないからだ。自由とは自らが由るべき由りどころ。

新しい生き方をゼロから始める

August 22, 2010

スクーリングパッド、デザインコミュニケーション学部。
アートとデザインと人生の新しい関係を求めて。

ご存知のようにアートには”技術”という意味と”美術”という意味があります。
『Art of Life 』と言った場合”人生の技術”。どのように生き、どのように死んで行くか。美しく生きることを意味します。
『Life art』と言った時より美術に近く”人生の美術、”パフォーマンスのように人生そのものを美として捉えています。アートとは表現者と鑑賞者の関係の上に成り立つ美的な関係です。

今後、教育ということがよりアートの関係に近づいて、教え、教わるという関係が一体となって、両方から共通に知と技術を求めて行くという関係を創造することになるでしょう。真理の前には誰もが平等で、美は人々の意識の中に平等にあります。

デザインはインダストリーと美術の関係性の上に成り立って経済効果になってきました。”デザインが良いから売れる”から”デザインが好くないと話しに成らない”というように、産業界ではデザインは前提条件です。

そこで、新しくデザインと社会との関係と人々とのコミュニケーションが一体どう成るかが問われています。そこで現代のスクーリングが重要な意味を持ちます。教え學び、生きて行く原点を、ゼロから考える。デザインの原点をゼロから考えてゆき仕事にして行く。ここから新しい社会の仕事が始まります。

これから大きく変化する社会で、変わらない永遠なものをデザインとコミュニケーションとの関係から考えて行く。そこで確固たる認識と自信を持つことこそがこれからの人生にとって最大の技術に成って行くでしょう。Art of Life.


スクーリング・パッド
<デザインコミュニケーションコース第11期 募集要項>
開催期間:2010年10月2日~1月29日(予定)
毎週土曜日 14:00~16:30

受講回数:全12回 
募集人数:20名 
授業料 : ¥189,000(税込)※分割払いにも対応

応募方法:ご興味のある方はコチラから

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PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展

July 28, 2010

自転車を包む未来社会の方向について。

最近、自転車ブームといわれて久しい。世界のチャリ事情はどうだろうか。アジアでは搬送や運搬のバリバリ働いているリキシャがある。これは日本語が世界語になった例。

またアメリカではポートランドやサンフランシスコ郊外、スタンフォード大学やバークレーではみんな自転車にコンピューターを積んで大学に通う。オランダやデンマークでは人口の数よりも自転車が多い。ということは自転車を使い分けている。

世界のエネルギーはSmart Gridを社会のインフラにして、電気自動車と情報網をからませて、大きく社会を組立て直そうとしている。中国は此の為に50兆円のお金を出すことを決定したそうだ。

こうした中で日本の未来は自転車と電動アシスト自転車とのWise Wheelとでもいった、人力と能力の増幅としての機能を持たせる自転車とコンピューターの相性の良さを取り入れて、社会を回して行く動きを作って行こうとしている。

自転車の歴史から、自転車と情報の関係迄、今回の企画を通してPedal Lifeの未来を創造していきます。

Pedal Life Design コンセプト&プロデューサー
黒崎輝男

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◎東京ミッドタウン・デザインハブ第23回企画展
「PACIFIC PEDAL LIFE DESIGN 
アジアーパシフィックの自転車生活デザイン展」

日時:2010年7月29日(木)~8月27日(金)10:00~19:00 (無休・入場無料)
場所:東京ミッドタウン・デザインハブ 
   東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F
主催:東京ミッドタウン・デザインハブ、ペダルライフデザイン展実行委員会

クリーンでエコロジカルな移動手段として、注目されている自転車。本展では、自転車を「働く」「考える」「食べる」「走る」「遊ぶ」の5つの動詞から考え、実車と映像を交えて紹介することで、都市と自転車と生活のデザインの可能性を提示します。期間中、関連イベントも開催予定。

* 『働く自転車 』働くアジアの自転車、写真と実物の展示
* 『遊ぶ自転車』 BMX、マウンテンバイクほか楽しめる自転車
*『 走る自転車 』ラリーや自転車レースでのカットビ自転車の展示
* 『食べる自転車 』自転車で野菜や食べ物を運び販売している例の展示
* 『考える自転車』 知的生活者の自転車と共に暮らすライフスタイル

【公式HP】http://pedallife.com/
【Twitter】http://twitter.com/_pedallife

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◎7/30(金)OPENING PARTY開催!

【オープニングパーティ】 7月30日(金)19:00-21:00
【会 場】 東京ミッドタウン1F+5F
【入場料】 無料
詳細→ http://pedallife.com/

日本を代表するBMXライダーによるパフォーマンス
大型前面スクリーンを利用した自転車仮想レース、
DJイベントなど、多彩な企画で、みなさまをお待ちし
ております。東京からはじまるアジアーパシフィック
の新しい自転車生活の幕開けに立ち会おう。

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◎自由大学講座『自転車学~Pedal Lifeの未来像 』
http://www.freedom-univ.com/lecture/detail277.html

企画展開催中に東京ミッドタウンにて自由大学講座を開催!
都市・デザイン・カルチャーから自転車の未来を語ろう

日程 :8/6, 8/7, 8/15, 8/21, 8/22(全5回+オープニングレクチャー)
受講料:28,000円(*各回聴講制度あり)
会 場:東京ミッドタウン5Fデザインハブ


【講義内容】
*ボードメンバーによりオープニングレクチャーから(キュレーター 黒崎輝男)
・『自転車と都市デザイン』(NPO法人バイシクルエコロジージャパン 杉浦邦俊)
・『未来の自転車社会』(サンリン自転車生活社 三輪ノブヨシ/テクノロジーライター大谷和利)
・『日本の自転車史とデザイン』(シルクサイクルズ 荒井正)
・『世界の働く自転車事情』(早稲田大学社会科学総合学術院教授 佐藤洋一/ライター 蔭山真澄/メッセンジャー gogo)
・『地球環境と自転車』(自転車選手/俳優 マイケルライス)


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食と学びのデザイン

May 1, 2010

私たちは日常的に「デザイン」という言葉を使っていますが、かつての日本のデザインは意匠ともよばれ、独自の美意識や哲学と、手仕事を基調とする精緻な生産技術の両輪によって、調度やしつらいなど、生活の全体をかたちづくっていました。

しかし戦後の急速な工業化は、生産の技術としてのデザインばかりをクローズアップしてしまい、生活全体のバランスは大きく崩れ始めています。そこで今必要なのは、もう一度日本のデザインの原点に戻ってみる、ということだと考えました。

人の生活の根幹には、「食」と「学び」があります。「食」が栄養を口から摂取し、咀嚼し、自らの身体(自身)をつくることだとすれば、「学び」は情報を取り込み、頭で考え、自らの分別(自分)を獲得することです。

何を食べ、何を学ぶか、このふたつは全く違うようでいて、じつはどちらも自分自身をかたちづくることであり、ひいては社会をデザインする原点、すなわちデザインの素(もと)ということができます。それは元気の素であり、元素、要素、素材、素養、素手、素人、素数といった言葉へとつながります。

デザインは、常にこうした人間の存在の原点に立ち戻って考える行為と、それを高度な技術で美しく創造する行為、このふたつの循環から成り立つものではないでしょうか。

とりわけ日本料理は生の素材を大切にしてきたように、日本の文化の素には、非常に豊かなデザイン資源があります。そこから心づかいや気づかい、気配りといった、きめ細かなディテールや仕上げ方を考えていくことで、日本のデザインを再生させていきたい。

それが今、全世界が共通して直面する、価値の本質的な問い直しや、生活全体を包括する地球環境問題に寄与することになるのではないか。「これってデザイン?」、そんなふうに思われるほど、あたりまえなデザインの「原点=素」にもう一度出会うことで、日本のデザインが描く新たな世界観の可能性を探ります。


『日本のデザイン2010展』開催中
会期:2010年04月08日(木)~2010年05月09日(日)
時間:11:00-19:00
入場料:無料
会場:東京ミッドタウン・デザインハブ
   東京都港区赤坂9-7-1 ミッドタウン・タワー5F
   
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グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #3

March 23, 2010

グリーンの根本にあるのは葉緑素であり、これは光合成をつかさどる大切なもので、これがあるから光のエネルギー変換が可能になるというのは分かってはいるけれが、更にこの役割と機能を考えてみる。

汚い空気には二酸化炭素がたくさんあり、そこで太陽光線と植物と水があれば光合成により酸素とカーボンエネルギーに変換されそれを食べて動物が生きて行ける。簡単にいって僕が理解してるのはこうしたところ、植物が健全に成長するためには他の栄養素も必要だが、光と空気と水から葉緑素によってきれいな空気、酸素と緑に変換される。

このマジックのようなことを科学的に理解する前から、人間は太陽ときれいな水と空気を心から求めていた。排出ガスや二酸化炭素の取引などという前に、自然の中できれいに生活するのがいいと感じるように僕らは出来ていると思う。

僕がここで言いたいのはこの葉緑素のような働きを人間の中で見いだすとしたらそれはなんなのだろうかということだ。

自分自身という言葉を手がかりに考えてみると、自分、自らを他者と分つもの、自分が他人とどこが違うかという認識をどこから得るのか。ここはいろいろな情報を持って比較してみないとそもそも分からない。

頭と感覚と思想によって自己に繋がるもの。これは認識を得ること、すなわち学ぶといってもいいかもしれない。自然と自分/他の生物と自分/他人と自分/社会と自分/世界と自分と言ったように。対比し比較して学んで考えてこそ自分というものが分かってくる。

それともう一方にある、自身。自らの体、身体性、これは食べたり動いたり、動物としての人間、What you eat is what you are. ここには食べたものが自分を作るといったように、口から取ったものが消化されて血と成り肉と成り、髪の毛やツメにもなるという身体を作るということがある。

だから食と学びは繋がっている。本を読んだり、目で見て認識して学ぶし、口から食物としていいものを取って体が出来、それらが合わさって自分自身が出来るんだ。それから各々の個性と考えにより自己がある。

自己を本当に得る為には精神の浄化作用、宗教も実はそうした側面がある。心の葉緑素は僕にとっては精神の浄化作用、美とも言える、きれいに振るまい、きれいに生きたいという希望。

それを実感するのはアートやデザインで生活の実体がきれいであるという認識になると思う。簡単に言うときれいな仕事をしてきれいなものを食べて、きれいな人間関係で、きれいな空間と家具に囲まれて、緑に包まれて生きて行きたいということ。

そこで心の中の葉緑素は僕の生き方からすると、きれいなもの全体、デザイン感覚なのかとも思う。クリエイティブに生きるってことは、何時も心の中に葉緑素を持っているようなものだと思う。

デザインとコミュニケーションの未来

March 12, 2010

現在、日本のおかれている情況は、世界ではアジアでの中国、韓国、インドなどの経済発展に比べ元気がなく、スポーツでも遅れをとっているし、モノ作りでは量から質への転換がうまく進まず、デザインでもリーダーシップをどう取っていくか、文化戦略も政治情況の混乱を反映しているようです。

多様性を尊重して世界の情報のクラウドの中心になり、ハブになってゆく、デザインとアートの発信の中心になる。ここで遅れをとってしまいそうです。

これらのことは多様性を持ってそれをエネルギーに換え、デザインと文化と情報をどう解釈し扱ってゆくかをいろんな人とのセッションを通して学んでいく。

モノ作りを生産することだけではなく、プロバイダーになり創造的になる。クリエイティブインダストリーを作ってゆくかの延長で、仕事を作ってゆく姿勢を学ぶ場所が今の日本にはありません。

そこでスクーリングパッドのデザインコミュニケーション学部ではデザインとクリエイティビティー、情報とコミュニケーションを作って仕事をして行く為の要素をいろいろな視点から学んで行きます。仕事と学びを同時に考えて行きます。社会と個人のコミュニケーションを考えて行きます。

デザインコミュニケーション学部長 黒崎輝男

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スクーリング・パッド
< デザインコミュニケーションコース第10期 募集要項>

開催期間:2010年4月24日~7月10日
毎週土曜日 14:00~16:30

受講回数:全12回 
募集人数:20名 
授業料 : ¥189,000(税込)※分割払いにも対応

応募方法:ご興味のある方はコチラから

SCHOOLING PAD
http://www.schooling-pad.jp/

グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #2

February 10, 2010

ヘルシンキに一泊してからスウェーデンに来ている。これからレキサンドを廻ってトラックでマルメに行きそれからコペンハーゲン寄って、日本に帰る。

僕はいつも旅行する時、行きたいところの前か後に必ず他の都市を入れるようにしてる。例えば12月にオーストラリアにいくのに、わざとバリに寄ってから行ったり、ミラノに行くのにパリで2泊してからにして、帰りにロンドンに寄って帰ったりする。

昔は時間があって、ロンドンのフラットでぼーっとしていて、新聞でパリやアムスに行く安いチケットがあればそのまま出かけたりしたものだった、

その後、世界1周便で何回も廻ることで世界観を作ろうと自分で勝手に決めた時期が10年近くあった。これは僕にとって大切で、旅がしたいのであって、旅行をしたいわけではない。目的地に移動して仕事して帰ってくることだけがしたいのではない。それでかれこれ20周以上は世界を廻った。

今回はフィンエアーに始めて乗った。JALがこうなってみると、北欧の小さい航空会社で、ちゃんと飛んでるフィンランド航空はどこがいいのだろうかと思って乗っていると、満員の割に、サービスも普通によく、JALみたいにバカ丁寧じゃないことに気がつく。

空港もそんなにお金をかけてないけど文化的にきちんとデザインされてる。食事の後もリサイクルしやすいようにカップを丁寧に分けてしまうっていう感じ、アメリカの航空会社のようにガサって捨てて袋に放り込むことをしていない、こうしたことも気をつけてみると航空業界は其の国の文化と合理的に社会が廻っているかの縮図だと思う。

日本がこのまま行くと若者の現状からして骨抜きにされている今、危ない気がするが、ちょっとしたことで一気に変わるものでもあるのでこれからを期待したい。でもアメリカの航空会社にはパイロットも目的地に着いたら機内掃除をしてまた出発みたいなすごい航空会社もあるからそれはそれで良く、一時のアエロフロートの無愛想なサービスを見るにつけ資本主義の競争こそが社会の進歩をもたらすのかなと思ったこともあった。

そういうわけで家具やライフスタイルのフェアに行く前にいろんなことを社会的に見ることができるし、デザイナーは社会企業家でもあり、文化人類学者や歴史家でもあり、情報発信者でもあるので、ひたすら会社の営業の為に売れ筋の製品の開発に携わるだけではないことは確かだ。この認識さえも危ないようではつらい。

昨夜も80人ほどの会食で、デザイナーや建築家、家具会社の社長やフェアの事務局や政治家がみんな集まった。フィンランドやノルウェイやオランダやドイツからも来ていて副首相の前に座った。なぜ僕がアジアの代表でもないのに日本のデザインの現状や今後の展望を女政治家を相手に話すのかは判らないけど僕の人生はこんな変なことが多いので、ひねた冗談を言ってやろうと試みた。

スウェーディシュ・スタイル以降日本では北欧デザインが人気で、それはスウェーデンのイメージに寄与していて経済効果も絶大ではないかということを言ってみたらよく理解してると言ってくれた。グリーンなデザインに対する取り組みを進め、それに対する姿勢がいい。みんな緩く喋りながら名刺を交換するのでもなくいろんな人種が話し合っている。そして決めは、空間自体がお洒落でこうしたパーティーにふさわしいデザインがさりげなくなされていた。

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ストックホルムファーニチャーフェアの壁。とにかく寒い中植物を取り入れようとしている。

グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #1

February 3, 2010

先日NHKで見た日本のモノ作りの今後についての番組を思い出している。以前は世界の液晶テレビの大半を生産していた日本が中国や韓国のテレビに抜かれてしまった。そこで日本の科学者が集まり、最高の性能のテレビを作り、それを1台100万でも売っていこうという話を、モノ作りの原点を美化する訳ではなく、果たしてこれが生きる道かどうかという視点も入れて構成された番組だった。

最近NHKのこの手の番組は国営放送としての責任感が溢れ、実は僕は陰ながら応援している。僕も大人になってから骨董品収集に始まり、デザインやライフスタイルを軸に色々と考え、また各地への旅行を通して見聞きしてきたつもりなので、簡単には反応しないでおこうと思いながらも、これがこの2週間ほど頭から離れなかった。

まずモノ作りというのがモノを生産するということと短絡的に結びつけられなくなってきている現実がある。労働者といっても工場労働者の制服を着た姿とは結びつけられないのと同じだ。80年代日本がこうした電化製品や自動車を工場で大量生産して世界の工場かのように向ってきた時の栄光はそれはそれで凄いものがあった。

その頃アメリカではコンピューターやソフトの方向に向かい情報と金融で世界の中心に立とうと言う戦略に出た。それが90年代以降は成功した様だが、ここにきての破綻。一方ヨーロッパの国々は文化性と歴史を武器にブランドやデザインそれに総合的な力を大人の社会の底力を見せてしぶとくやってきた。

そこで日本はデザインや文化戦略の基本がなく、美しい日本を目指そうとした政権も短命に終ったし、一昔前の、生活が第一などと経済性と生産性の延長に夢の生活があるかのようなことをまだ言ってる。僕はこの俗っぽさがどうも苦手で、そんなら社会の端っこで静かに自分の好きなものに囲まれていきるからいいと思ってきた。

しかしその前に見たテレビでの明治維新の若者の生き生きした活躍や日本が開国するころの情況を見るにつけ岩崎弥太郎でさえも塾をやっていた、教えることと学習意欲は同じような活力なんだということに気がつき刺激を受けていた。

そこでこれから何回かに分けてこのブログでモノ作りとは生産性や効率だけでなくクリエイティビティーに根ざしたもうすこし大きな人間の能力に係るものであることを説明して行こうと思う。これから僕の料理の食べてもらう前ということで、まずはこの写真を。

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多様な文化状況の創造

January 28, 2010

先日サードプレイスコレクション(第三の場)と題したイベントで、新しい働き方を探そうとしている大学院生や社会人などの若者たちと話す機会があった。

数年前にマーク・ダイサムたちが自分たちの事務所をデラックスと名付けた。そこではクリエイターが20秒づつ20シーン発表するペチャクチャナイトというイベントが行われていたが、これは世界中に広がりちょっとしたブームになった。そして様々な人達が自分の意見や作品や今やっていることをプレゼンテーションを通して発表し新しい風を吹き込んだ。

その後スーパーデラックスっていう場が出来た。これは真面目でやる気があり、明るく元気でやってきたような今の賢い若者達が、ここにきて今の社会の状況はちょっと違うなと考えてき始めた時期と重なると思う。

こういう人達は昔だったら革命だとばかりに騒ぐところだったけど、そんなことしても何も変わらないとばかりに、もっと大人に現在の状況を捉えている様だ。

家と学校、家と会社以外にどこか行く場所、居心地のいい場所を作ろうということをコンセプトにスターバックスなんかが10年前から流行り始めたが、こういう居心地のいいカフェに集まって話すということは昔からあった。パリなどではカフェクーポールやドームやいろんなカフェに哲学者や芸術家、時代を引っ張る若者達が夜な夜な集まったものだ。

これは平和な時代が続き、世の中が普通に流れて行き、20年くらい経つとどんなに良いものでも古くなり、疲労がでてくるもので、一度壊して建て直さなければ行けないという気持ちになる事と関係がある思う。

毎日、昼があって夜があり、そして必ずまた朝が来るものだから。朝起きると、枕元には犬のシュガーがいる。そして和代ちゃんから頂いた人形は僕の心を束縛からすこし離してくれる。その後、今日の野草などといいながら植物図鑑を毎日めくり、代々木公園を歩いて原宿の事務所に来る。

先日、僕が話したのはサードプレイスなんて言ってることが古くさくって、第三の場所なんて言って、結局スタバじゃあ寂しい。カフェで話そうなんてのも悪くはないけど嘘っぽい。もっと多様な状況がそこら中にあるんじゃないかと言うこと。

だいたいこんな場所で真面目な顔して成功者に話を聞こうなんて言うのがずるい。とパンクな態度で話をふった。僕は失敗ばっかしてるし、だいたい失敗したやつの話の方が役に立つんだし、自分もそこを変えればいいんだって判る。大失敗してみたり、ヒエーという気分を味わってこそ勉強になる。

まっすぐ行ったり来たりするんではなく、刺激に満ちた状況を周りに作り、20年に一度は壊してみようと言うこと。式年遷宮のようにはなかなか様式としては完成できないけど、きちんと時間をおいて変わり続けることこそが普遍的ということだと思う。波の押し寄せる海の表面を見ていて永遠を感じ取るというものだと思う。

そして最近こうした変化に対する期待感が強くなってきた気運を感じる。今年はこういう僕らの方向をブロッグしてみようと思う。問題を見つけ出すことこそが面白いんだということ。そう思えるにはあれもあり、これもありという多様な状況をいつも周りに作っておくことが大切だと思う。

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検索エンジンと知の上昇

January 18, 2010

最近よく考えるのだけど、ヤフーやグーグルやウイキペディアを使えばもっと人類は賢くなって、どんどん世界の問題を解決して行ってるはずなのに、なぜか今でも人類が相変わらず愚かなことや、汚いものを生み続けているように思える。

人類も本来は他の生物の種と同じで、ひたすら種の保存の本能に従い、生きるために何でもするのだから仕方ないとは思うが、それでも真実に生きようとか、良くしたいとか、美しさを追求したいと考えるのが当然だと思うと、現在の世界で起きていることは不本意だし心配になってしまう。

そこでコンピューター文化は本当に人類に役立ってるのだろうかと思う。ふと疑問が起きて検索してみて、簡単に結果ができ百科事典や辞書も自由に使えてあっという間に調べることができるのになぜか知性が上昇しない。

知識は増大するけど見識や良識は育たない。これはやはり知性は実社会の行動や人と会って話したり試行錯誤をすることなくしては、なかなか育たないものなのだからなのかと思う。

それに検索エンジンとは、色々な道をたどってどこでも行くことができるということは判るが、実際にリアルな行動ではない、するとやはり人間は生身の動物であるから思考が深まらないのだろうか。

ネットで何でも興味の赴くままに検索するが、その為には実際の経験や、人との会話から知を引っ張ることに長けてなければいけないし、そのようなコミュニティーがないと思考が身体化しない。

それは本ばかり読んでいても何も始らないのと似ているが、ネットの知識は本よりも文字の存在が保存されない分、危うさが漂う。それは人間の頭の中に浮いては消えて行く思考の様でもある。

だから若い友人がtwitterって古文みたいに思えるって言うのを聞いて、最近、僕はブログで考えを作文の形にするのさえも少し面倒になり、徒然成るままにつぶやきを書き連ねている。

それは若い子が「何を今、してる」と言うことをつぶやいてるのとは違った使い方だけど僕の自分の中の心情と思考を自分自身知ることのヒントになる。軽い柔軟体操の意味を持つ。

今年は新年からこれらの自分のメディアとしてyoutubeの制作も加えようと思う。するとたまに呼ばれてする講演やスピーチも楽しめるし、twitterblogや人と会っておしゃべりや僕の一見メチャクチャな様々な活動も自分の中ではかえって整理されてくるように思える。

生物多様性(biodiversity)が今年は注目されてるけれが、表現の多様性と自在さ、自由は僕らをとても上昇させてくれる。そこで実際の行動と生活を学び実践することがひと際重要になってくる。

これからこうした循環が育ってくるといいなと思う。フィールドワークや実験や議論がうまくかみ合えば本来の検索エンジンの効果が出てくると思う。

なぜ農業が大切になってきたのだろう?

January 14, 2010

昨年の9月から青山の国連大学前でのファーマーズマーケットを陰ながらお手伝いしている。

世界中で普通に行われている週末のファーマーズマーケットがなぜか東京ではないように思え、数年前から機会があるたびに話してきた。池尻の学校でもずっとその話をしていた。そしてこのマーケットを始めるにあたり、僕は全体の流れや空気や雰囲気について、その底流に流れる世界の現状に対する認識などについて話し、関わることになった。

すると場所がよかったせいか、時代が求めているせいか、不思議な盛り上がりが生まれた。まず僕にとっては実行してる人のタイプをうまくキャスティングする事や、テントや什器や木のテーブルのデザインやオリーブの木の選定、グラフィックや小冊子の内容や音楽やアートディレクションをどうするか、そしてどう流れを作るかかがとても大切だったので、これをうるさく言った。そして今回メインに立ってやって下さった川畑さん達の会社の方々が上手く仕切ってやってくれた。

こうしたことの後ろには現在の世界の現状に対する認識がある。地球が無限に大きくはないことに気がつき、食料とか水とか自然に関して、自分の所属する社会さえ考えれば良いという訳にはいかなくなったことがある。

企業社会は成長イコール拡大を続けてきた。人口の爆発により100億の人が地球に住むような未来を前に、数字の上での増大こそが進歩とは信じられなくなり、ほころびてきたのだと思う。

そして農業や農的生き方が注目された。僕は「cultureはcultivateすることから」と考えてきた事もあり、食物を育てて食すことが文化そのものだと実感している。そういう訳で今年は新年から晴耕雨読している訳だ。

タダの自由

November 24, 2009

最近、ウェブ社会の未来はどうなるのだろうかということを考えている。

果たしてこの巨大なウェブ(蜘蛛の巣のように張り巡らされた情報のネット)は人々を守りそして自由にしたのだろうか?あるいは人類を賢明にも良い方向に導いたのだろうか?と疑問に思うように成った。

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悲しき熱帯

November 12, 2009

10月30日にレヴィ=ストロースが100歳で亡くなったそうだ。僕等の世代ではサルトルやフランスの哲学者と共にとても影響力のあった構造主義の中心人物が1世紀生きて天国に往った。

特に彼のことで記憶に残ったのに、彼の若い時にブラジルのアマゾンに社会学の調査に行き、ムルンギン族という種族の婚姻形態を研究して、それをまとめた論文の名前が、悲しき熱帯っていう題だった事がある。

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デザインの行方

November 3, 2009

デザインのイベントが様々な所で行われている。

僕たちはSwedish Love Storiesというテーマで行われる、Swedish Style10周年の展示会の会場構成や様々な事を手伝っている。

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豊かなはずがそうでない今、の考察

October 21, 2009

最近のスクーリングパッドのクルーを見ていると、今迄は就職で人気企業であった大企業に働きながらなぜか悩み、今後は自分で何か始めたいという人が多いようだ。

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条件反射の教育

October 15, 2009

昔、パブロフの犬というのがはやったけど、例えば青い色を見せてから水を飲ませることを習慣としておき、青い色を見せると犬は水が飲める準備をする。

また、赤を見せてお手をさせ、えさを与えることを続けると、赤い色を見るだけでよだれが出るようになったり、お手をしたりするようになる。

これが教育だとしたら、戦後の教育は毎日どんなことがあっても朝早くおきて、決められたことを覚えて、実践する。なにがあっても会社に行き、一生懸命に働くか、働く振りをする。

そして如何に営業成績を上げるか、利益を上げるということに全力を挙げるように教育されてる。結果、餌ではなくて、お金をもらえる。そこでお金が見えないとよだれも出なくなり、お手もしなくなるように教育されている。

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Swedish Style 2009

October 5, 2009

スウェーデンに今度行ったのは、この10年間以上僕が生活の中心にしてきたデザインというものの社会でのその広がりということを、自分なりに納得したかったからだ。

10年前Tokyo Designers Block というのを僕が言い出してイデーの若いスタッフやボランチィアの人達と始めた。丁度その年にエバさんがSwedish Styleというのを始めた。

都市を包むデザインの状況を創造するなんて言って僕は家具を中心にいろいろな方向からデザインを考え、イベントや展示やシンポジウムやパーティーをした。その後11月にはDesign Weekが定着し、東京の秋はデザインで盛り上がる様になった。

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リオのオリンピック

コペンハーゲンから帰国して、目が覚めていたこともあり、2016年のオリンピックの開催都市の投票を見ながら考えた。

そういえば僕が出発した2日マルメからコペンハーゲンに向う道路は、シカゴでオリンピックをするべくオバマが乗り込んでくるからということで封鎖されていた。

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2020年の食卓をスエーデンで考える

September 29, 2009

エアフラの夜便はパリにいくのには良い。22時頃出て4時ころパリに着く。夜に成田にいくのはハワイぐらいだけど、空いているし夜寝れて朝から動けて良い。

お昼頃出て夕方着くヨーロッパ便よりも、同じ時間が得する感じならこの方が僕には良い様に感じられる。

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e-mail,blogとtwitter

September 22, 2009

最近、twitterなどやり始め、何人かの人のつぶやきを見ていると、メールよりも考え方の推移というか、息をしている感じが解る。

人は公式見解のブログさえも何かよそよそしく思え初め、思考の推移、ものの見方と経験の瞬間を切り取ってのぞきそて其の人間に親近感や愛着やふとした感慨を感じるものなんだということが解った。

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和紙の里

September 19, 2009

なぜかこの数年間は金沢/富山/福井と、北陸に来ることが多い。

この5年でもう30回以上来てると思う。始めはデザインコンペの審査などで、そのうちに地場産業をどうにかしようという事で、地元の企業家と話したりするのに呼ばれている。

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フェアーでタフな議論

September 15, 2009

最近ラグビー選手とよく会っている。

早稲田のラグビー部のキャプテンだったシブヤ大学の左京君と先日雑誌で対談した。彼はおとなしい感じの好青年。

そして明治のラグビー部の高橋イッソウ氏、彼はスクーリングパット自由大学のクルーでもある。中々の人物で犬のトリミングやドッグホテルやレストランもやっている。

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デザインコミュニケーション概論

September 3, 2009

廃校となった中学校を「IID世田谷ものづくり学校」として再生し、”学び”という行為自体を再定義するべく学校内に新たに設立した社会人のための他にはない学びの場『スクーリング・パッド』。9月開講のデザインコミュニケーション学部第9期生を募集中です。

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LAST THURSDAY 08.27

August 27, 2009

今月のLAST THURSDAYのテーマは「Surfing & Farming」。今回は『TOKYO DESIGN FLOW paper』最新号にもご登場いただいた海洋写真家、そしてホクレア号クルーの内野加奈子さんをお迎えしてトークショウを行ないます。

そして、ライブペインティングではスペシャルなユニット「THE BLUE LOVE」が登場。正体はあの二人です……。もちろんDJ陣も充実のラインナップ! Night PedalCruisingは祝1周年「夜のパレスサイクリング」。皆様、是非お越しください。


日時:2009年8月27日(木) 19:00ー23:30
場所:SMOKE BAR & GRILL @GYRE4F
Charge:1,500-(1Drink + TDFpaperN14)

Talk show : 内野加奈子×松原広美(20:00~21:00)
Live Painting:THE BLUE LOVE (sense, kaz)
DJs:大貫憲章, DJ Kel Worthy, DJ shiba


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創造性と編集力

August 19, 2009

株の世界での言葉は面白い。風説の流布、上げ気配で場が引ける。という様に流れを読むことが中心に言葉が成立している。

情報、噂、風説。それらを意図的に利用して株価を操作してはいけない。しかし景気や未来予測で将来性があると見込まれるような産業は株価が上がる。それが毎日の株価の上昇の勢いに影響する。

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リーダーシップ、フレンドシップ、スポーツマンシップ

August 11, 2009

毎朝代々木公園を散歩して原宿のオフィスに行くのだが、きれいなバラ園などもある一見奇麗な代々木公園の中には、ホームレスもいるし、カラスやネズミや蛇も住んでいる。

そんな公園を歩きながら、リーダーシップについて考えた。日本はとかく肩書きでその人を見るし、それも社員1万人いる株式会社の社長、というどこの誰と言うことがとても大切でその肩書きの人がリーダーシップがあるように思われている。しかし大企業のサラリーマン社長はむしろ社長でありリーダーであるかもしれないが、リーダーシップはあまりなく、慎重で恐がりで、下手すると狡いやつがいる。

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もしもイデーを新しくやり直したらどうするか

August 6, 2009

もしもソニーが今の時代に創業したらどうだろうか?愉快工場を造るのだろうか?もしもHONDAがこれから起業するとしたらまたオートバイから始めるのだろうか?

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未来社会での生き方

July 21, 2009

小学生の頃、少年雑誌のグラビアにイラストで未来の社会の絵が描かれていたのを思い出した。

高速道路が都市の中を走り、空にはロケットのような宇宙船が飛び、誰でも宇宙旅行ができるような未来の社会。食べ物などは宇宙食の様なチューブから採る。

これらはほとんど現実のものになったようだが、食べ物は高級になればなるほど昔からの土の匂いのついた野菜や、自然素材を陶器やガラスの食器で食べるのがより尊重されるし、人々は昔からのリアルな生活と心の通った関係を求める。

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True again

July 15, 2009

政治の世界では現在、日本は遅れをとっている。

民主主義というのがある種、日本的民主主義に機能していた時期は終わり、本当の意味で自由/平等でみんなで相談して考えた方が、一人の権力者の判断で動く社会よりも間違えが少なく長い目では良いのではないかという民主主義の基本的姿勢。

それが民主主義=多数決という風に性急に結果を出したがる傾向から、多い方につく付和雷同型の多数になってしまった。

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編集力、キューレイション

July 2, 2009

現在、ウェブとリアル社会の遊離が叫ばれ、もうウェブデザイナーというだけでは簡単には仕事が来なくなりつつあるし、ただコンピュータに慣れ親しんでいるというだけで企業パンフをホームページに変えるという仕事も一巡してきた。

そこでで本当に情報やメディアを考えてプロデュースして編集し尽くすことが要求されてきた。

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解なしという正解、無限解という答え

June 28, 2009

昨日、スクーリングパッドの8期の卒業式を行った。また自由大学(フリユニ)の申し込みが増え、多くの人がこれからの社会に有効な情報と学びの組み立てに参加して行くだろう。

そこで僕はスクーリングパッドのデザインコミュニケーション学部をより少数の、クリエイティブリーダーシップを育てるものにしたいと考えている。こういう人材を僕の目の黒いうちは責任を持って育てていきたいと強く思う様になった。

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クリエイティブリーダーシップ

June 26, 2009

4年間、スクーリングパッドをやって来て、オリンピックではないが、次の東京オリンピックからオリンピックとスポーツの概念を変える様に、デザインコニュニケーションの未来も考えて見たいと思った。

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日本の心意気

June 16, 2009

最近スクーリングパッドで、世界一周をしてサッカーを見てこよう と考えていたり、石川直樹さんの様にエベレストなど世界の山々を登ったりしている若者とで話す機会があった。世界中を廻ってみようという気概を持っている事と、サッカーで日本を応援する人達は、同じ心意気。

自由大学でも、林篤志君が世界一周旅行を目指す「旅学」の講座をやろうとしている。世界一周は僕の原点でもあるので応援している。

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教え教わることと学費

June 12, 2009

「スポーツをするのに、見せ物でもないのにお金をもらうなんてどうかと思う。純粋にスポーツをするのが美しいのに、お金が絡むといやらしい。」という意見は一理ある。

しかしプロ野球や、大リーグでイチロウがバットを振る時、お金のことを考えるかというと、きっとお金のことなど忘れて一生懸命球に向っているのだろう。打ち込むことは直接お金には関係ない。

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原宿スポーツ文化

June 8, 2009

原宿に拠点を移して生活していると南青山とは違ったものが見えてきた。

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元と源。元素と源流

昨日ノルウェイ人のクリスと、そのお父さんと御飯を食べている時、日本の教育の話になった。彼らは顔は外人だが完璧なアクセントで日本語を話す。クリスは幼稚舎出て大学はアメリカというパターンで、ほとんど日本人の基礎教育を受けてきたといえる。

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未来に対する情報の集まり方

June 3, 2009

GMが潰れTOYOTAも赤字、世界一の会社が難しくなってきている。これは正社員であるとか大企業が安全だとか資本家がどうだという話を超えて、世界が脱皮するような時期に来ているのでは無いかと思わざるを得ない。

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Freedom wisdom and life,my life,your life

June 1, 2009

スクーリング・パッドの度にGROUNDの高松さんや風とロックの箭内さん達と話すと、少しずつお互いに理解が深まってくる。

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品格と金銭

May 28, 2009

先日エスクァイア日本版の復刊の件で、スクーリングパッドに副編集長の小谷さんをお呼びした時に話題になったのは、この雑誌が常に求めてきたものはNYの粋な男の生き方だったということ。

そして教養を持ち合わせ、文化人でお洒落で経済的にもある程度豊かでダンディーな男の生き方とはどんなものだろうかと考えていると、日本人の武士道的な生き方とこうした金銭感覚との解釈が、今まで上手く整理されてなかったのではないかということに気づいた。

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愉快、装飾、能力

新渡戸稲造の武士道に、「イギリスの哲学者ベーコンは学問の効用は愉快、装飾、そして能力にあると言った」と書いてある。

僕は毎朝、起きるとふと植物図鑑を見て、それにより朝のインスピレーションとでもいうものが、沸々と湧いてくる。

学問の目的は学習と同じ様に鍛錬だとか資格だとか、MBAのようにすぐに結果が出ることを期待してしまう傾向がある。

しかしまず学問は面白くて愉快、そして装飾とはデザインや知識の沢山集まったこと、そして学問で鍛えた思考力と対応能力が生きて行く上でも社会にも役に立つということかと思う。

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オバマのいる時代

May 25, 2009

僕は今年は黒人の年だと思う。これはなんといってもオバマが大統領になった事により、黒人に対する新しい尊敬が生まれたのが大きい。

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フリユニモデルで働く、学ぶこと。

僕のこの3年間が充実しているのは、ある意味スクーリングパッドで毎週セッションをしているからだと思う。

ゲストスピーカーが全員職業人であることも刺激だ。セッシオンでは彼らがどうやって事業を伸ばしているかの興味が後ろにある。だから話を聞き、考え、質問をする。そしてその答えを参考に自分の仕事に当てはめてみる。すると教えるよりも学ぶことが多い。

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日本の若者は何かが違うのか。

May 20, 2009

最近、周りの若者達が生き生きしているようだ。不況だからか、次の時代の予感を感じているのか、ここで動かない訳にはいかないからか、何か本気で日本を変えないと、いや自分を変えないといけないという機運が感じられる。

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世界一周の旅

May 18, 2009

僕は夏になると未だにうずうずしてくることがある。飛行機で飛びたくて仕方がなくなる。それは大学生の頃からこの30年以上、夏はほとんど毎年の様に世界一周の旅をしてきたからだ。

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Freedom University #3

May 14, 2009

今日、自由大学のホームページが立ち上がった。

これから僕らがやろうとしていることは、先ず意識を変えること。自由観。世界観。歴史観。自然観。仕事観。これら全てをまず現実の社会で新しく変えて行くことをするには、いや変えるというより、本来の姿に戻すには先ず頭を正常に機能させる様に持っていかなければいけないと思う。

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原宿を歩いていると

May 9, 2009

毎朝、代々木公園を廻ってから駅前の僕らの事務所に行く。そうしている内に公園のホームレス(公園のブルーテントのキャンパー達)の数人とも友達になった。

週末、絵の教室をやってる若いカップルや、最近白テントで花生けてるアーチィストのおじさんやアルミ缶を毎日つぶしてアルミ地金屋に売って生計を立ててるまじめなおじさんや、それぞれ新緑の木々の下で暮らしている。

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Freedom University #2

April 30, 2009

今度立ち上げるプロジェクト「自由大学」では新しい自己責任型労働分配システムをやろうと思う。

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Freedom University

僕は4年前に、池尻の廃校になった中学校を改装し、そこでスクーリング・パッドという学校を始めた。ここはいってみれば現代の寺子屋のようなもので僕はデザインコミュニケーション学部をやっている。

クルーと呼ばれる生徒は4学部で今までで1500人ぐらいになった。終わった後も卒業というよりコミュニティーに入る感じで面白くて有能な人が集まっている。

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敗者復活がある自由な社会

April 27, 2009

弟がポートランドから帰って来たので、一緒にスポーツジムに行った。その時、ポートランドの今の市長は、若い時にお金をつぎこんで自己破産した経験があると言っていた。自らそれを公言した事と、苦労を乗り越えてきた経験が美談になっているようだ。

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自由からの解放

April 24, 2009

何故、人はそんなにお金が欲しいのだろうか。

通貨が発明され、人々はまず物々交換の難題から解放された。僕の魚3匹と君のトマトは何個が適切なのだろうか?僕のレモン5個とおばさんの作った布は何枚くらいが良いのか?

モノだけを見ても、その価値の答えはいくら考えても決められない。そこで値段がついていれば自由に決められるのにと考えた。欲しいものが欲しい。これが市場経済。

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還暦 extra life

April 20, 2009

4月16日は僕の誕生日でした。それも還暦。ここ数年は誕生日にはミラノいたこともあり、今まで家族や仲間で静かに食事でもするのが精一杯だった。

しかしこのところ毎年誰かの還暦のお祝いを企画していたので、うちの諸橋君と堀之内君と安岡さんが中心になって、スモークでパーティーをしてくれるらしいという事だった。彼らが昔からのリストに留まらない、様々な友人達にメールで声をかけてくれていたようで200人くらいが来てくれるという話だった。

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今の時代の自由とは

April 13, 2009

最近、自由について考えている。まず明治時代にLibertyを自由という言葉で日本語にしたのは流石だと思う。

Libertyはラテン語Libertasから、Freedomは古代英語Freoからきていて、奴隷の様に労働の義務から離れ解放されている貴族の状態がフリーであるそうだ。その後社会が進み、社会契約説や、個人の権利としての自由が確立された。

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理科系アーティステイック

April 7, 2009

最近スクーリング・パッドでインスピレーションを得たが、学校まではいわゆる理科系でその後仕事に就くとき、ボクの様に骨董屋や古本屋や、古着屋や、カフェなど、全く理系と関係ないといわれる職に就く人が面白い。

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インスピレーションは贈り物

April 4, 2009

最近、僕が国連大学でやってきた事がやっと少しづつみんなに理解されてきたように思えてうれしい。

我々人類は賢明な動物だと言われてきたが、実は目先の事ばかり考えて、それも欲にかられ本当に賢く事を運んできてはいないのではないか。それは僕も含め、みんなつい目の前の事に集中して、残念ながら見苦しくも、きれいには物事を進めて来れてなかった気がする。

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現在の教育の教えていないところ

March 27, 2009

先日、友人のギャラリーオーナーが、講師として美大に教えに行ったら、ヤバかったという事を言っていた。何がどうヤバいのかと聞くと、生徒も先生もヤバいそうだ。

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理性の危機、知性のピンチ、叡智の不在。

March 24, 2009

日本中にシンクタンクが38個くらいあるそうだ。それは全て大企業グループか政府系で、インディペンデントなものはないそうだ。

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未来社会の価値基準について思う

March 19, 2009

目が覚めた時や歩いている時、また色々な人と話している時などに、よく価値の基準の原点はどこにあるかということを考えている。

とかく人は一件落着するとそれが答えかと思い、そこで終わってしまう傾向にあるが、例えば遊び人や道楽者を突き詰めると、寄り道してはもう一度戻り、思い出しては考え直すような生き方になる。世の中には僕の様にそれが好きな人がいるものだ。

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新しい価値の後ろの新しいストーリー

March 9, 2009

今、未来の価値観がどこにあるかを考える事を核にMIRAI SOCIETY というインディーズのシンクタンクを作っている。しかし、資本主義が間違っているとかアメリカはおかしいとか、銀行は悪だとかいう事は言わないでおこうと思っている。

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都市のユートピア

March 8, 2009

現在の壊滅的な経済の崩壊が何を物語るのか。

まず多くの企業や組織がどうにかしてこの状況を元に戻そうとしている。それと同時に今を捨てて、次はどうなるのだろうかという議論がある。それから何が原因で本来どうだったのかが考えられている。

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大不況といわれる今に学べること

March 4, 2009

朝、代々木公園を歩いていると、ホームレスもいるが、公園を掃除しているおじさんたちが30人ほどいる。多分仕事を高齢者たちに与えるべく掃除の仕事を振っているのだろうけれど、あまり生き生きとはしていない。もし仮に、公園を掃除してきれいすることでみんなに喜こんでもらう良い仕事をしているんだという気概や誇りや喜びもなく、ただお金の為に仕事をしているのだったら寂しい。

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農業とクリエイター

February 23, 2009

先週末にデザイナーと福井県の産業振興課とに呼ばれて、北陸に行った。彼らは古いビルを再生して古木とコンクリートをうまく使ったオフィスを作っていた。ボクが来るというので会議の場所になった部屋を夜遅くまでかかって仕上げたという。彼らは僕が昔からやってきたプロジェクトの事も知っていてくれて、それも嬉しかった。

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いつも何かを問題として持っている事

February 19, 2009

友人のアメリカ人がGlobal Livesというプロジェクトをやっている。

これは世界中の同年齢の若者が時間軸に応じて何をやっているかをドキュメンタリー映像として撮り、ブラジルやタイや日本など様々な国でどのような生活と行動をしているかを比べてみようという趣旨で、映像を五角型のスクリーンに映して同時に見て比べるというものだ。

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イスラエルの春、ガザの冬

February 18, 2009

村上春樹氏がイスラエルで文学賞をもらったときのスピーチで壁と卵の例えを使って、イスラエル軍がガザでパレスチナの難民を攻撃しているのをやんわり非難したそうだ。

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ミツバチの役割

February 16, 2009

僕は子供の頃、植物少年だったので、よく深大寺や高尾山や武蔵野などで野草を探していた。そういう時にはよくアシナガバチやミツバチにも遭遇する。それで散々刺されたけど、それほど嫌な記憶はなくミツバチマーヤの冒険などと言って愛情を注いできた。

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日本の情報

February 10, 2009

現在の世界で日本の存在感がへこんでいる。一時は経済大国と言われ、アメリカの次にGNPが大きい事などが日本の自信だったようだ。

僕はその頃からどうせ人口が13億以上ある中国がその道では超えて行くだろうし、むしろ美意識や文化そして心の豊かな国として存在感を示すべきだと思い、イデーをやってきた。

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Mirai Think Tank -未来の価値基準は?

February 9, 2009

人間の文化の歴史は新しい価値観の創出の連続だった。

絵画にしても、正確に写実して写真のように書くペインターが大画家だったあと景色や見たことの印象を表現し評価された印象派、その後、時代の進化と共にありとあらゆる視点で美を追求し表現してきた。便器という汚いと思われている物で美を提示したマルセルデュシャンからの現代美術を僕が良いなと思うのは、ただ美術の歴史を勉強していても解かってこないという所。

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Swedish Love Storyー現在の出版界

February 8, 2009

デザインフェアに行くと雑誌の編集長に良く会う。今日はエヴァさんと再生したリドマーホテルで僕らのSwedish Style TVの内容を詰めた後、一人で道を歩いていると、向こうから知り合いの女編集長が歩いてきた。

懐かしい人と久しぶりにこんな所で会うとは、彼女はPenという雑誌で最高の売り上げを記録したときの名編集長で、現在はElle Decoの編集長。でもこういう風に書くこと自体エヴァさん的じゃないか。

というのも丁度この前の打ち合わせで、日本人はポジションで人を言うという話になった。例えばカーサブルータスの編集長の○○さん。という感じで。でも僕らは○○さんが○○の編集をしている。と名詞で終わらせないで、○○をしていると動詞で終わらせる。これをエバさんと話してきたばかりだ。

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全ては話し合うことから始まるのか?

February 6, 2009

スウェーデンでもオバマの話で持ち切りだった。オバマを1つのキーワードに環境とデザイン、グリーンなデザインと形などについて話している。

実は世界最古のデザイン協会SVENSK FORMの会長をしているEWA KUMLINさんは日本で僕らがTOKYO DESIGNERS BLOCKをやり始めたのと同じ時期にSWEDISH STYLEを東京で始め、日本のデザイナーをスウェーデンに連れてくるTokyo Style in Stockholm.などもやり、僕と同じように個人のお金も注ぎ込み損をしたこともあるいわば同志。

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アルヴァ・アアルトとアルテック

February 4, 2009

ヘルシンキにあるアルテックのギャラリーと田舎の工場、そしてアアルトの有名なサナトリウムに行ってきた。最近ここ4年ほど北欧とアメリカ西海岸(ポートランド/ロスのノイトラとシンドラーの家/ベニスビーチの骨董家具屋など)を良く回る。

これらはまるで関係ないようだが一本の糸でつながっている。それにオバマ。まるで謎ときのようだけどボクの中では完全に一つのこと。自然なことだ。

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問題検索エンジン

January 30, 2009

朝の新聞ではソニーが2500億円の大赤字、トヨタやパナソニックも赤字、しかし任天堂はwiiが当たり最高益と報じていた。また机の上にあった週刊文春の特集ではソニーのエレクトロニクスを軸としたモノづくりが外人経営者によって駄目になっていると書かれていた。

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グアンタナモ基地

January 26, 2009

キューバにアメリカの基地があることはあまり知られていなかった。キューバとアメリカは戦争状態じゃなかったのか。しかしそもそもカストロ首相と国交断絶した頃は米ソ冷戦状態、いつ原爆を落としても不思議でなかったからキューバも既存の米軍基地をそのまま残したのではないかと。これは政治に疎いボクの解釈ではあるが。

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inaugurationという単語

January 22, 2009

ボクは単語を知らないとボクの奥方からいつも言われている。彼女は本とクイズとトイレではパズルの人なので僕とは全く反対側にいる。ともすれば歴史の先生になるはずだった人だが、inauguration(就任式)という単語は彼女も知らなかった。

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デザインコミュニケーション学部 第8期に向けて

January 21, 2009

スクーリングパッドのデザインコミュニケーション学部は、デザインはコミュニケーションの重要なメディアであり、未来を切り開く大きな力になるということを中心にいろいろなゲストスピーカーとのセッションを通じて柔軟な思考を身につけるべく開催し、今まで7期で400人近くの人々が来てくれた。

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オバマ大統領就任式ライブ

January 19, 2009


1月20日(火)、オバマ大統領就任式ライブ開催!

イベント詳細
http://www.mediasurf.co.jp/goodday/000221.html

WEB中継(1月20日 23:00-28:00)
http://www.we-obama.com/

日本の現在の空気

成田から日本に着いてから24時間ぐらいが、一番日本の空気に敏感でいられる。

アメリカでは銀行や自動車会社がつぶれそうな大変な状況だが、オバマと共にアメリカは変わる変わる、Yes,we can.という空気が強い。このような状況で何故そんな風に考えることができるのか考えていたら、オバマがスポーツマンだったのに関係があることに気がついた。

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アメリカでのオバマの熱気

夜中にポートランドのホテルでテレビのニュースをつけて、日本を出るときにもらったi-know! の記憶術の本を見ながらこれを書いている。ボクがオバマを囲む状況に興味があるのは次の社会がどのような形になって行くかが少しずつ見えてきているからだ。オバマの言ってることはアメリカの為だが、日本そして世界に当てはめても通じる所がある。

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オバマチャンネルのGood News-良い話

January 18, 2009

オバマの大統領就任式のライブ放映するべくアメリカ西海岸をうろうろとしてる。

2年前ほどから、GOOD NEWSという事を考えていた。世界には戦争や環境問題や悲惨で残酷な話だけでなく、たくさんの良い話、きれいな話、思わず微笑むような話もたくさんある。しかし実際報道されているのは怖いことだけ。そこでGOOD NEWSを集めるメディアを世界中からの投稿で集めて、新聞やウェブで出していけないだろうかと考えていた。

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新しい時代の広告

僕らが作ろうとしているウェブテレビ会社we-tvは広告の取り方として、オバマの選挙運動を参考にしている。

日本では政治家の後援会とはお金を持っている大企業か個人のお金持ちが自分の利害を考えて、この政治家を押さえておけばいいという事であり、純粋にその政治家の思想をや政策を支持しているかどうかとはかけ離れてしまっている。

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Institute for the future

January 16, 2009

サンフランシスコ空港からスタンフォード大学の前にある独立系シンクタンクInstitute for the futureに直行した。

1968年に設立されたこのシンクタンクは、未来を予測し探求し働きかけることを基本に、この地域の周辺の企業に対するコンサルタント業務や、会議、イベントなどを仕組んでいる他、出版も手掛けている。

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何が良いのか分からない

January 15, 2009

今回のオバマの大統領選挙で思うのだが、もしも得票数では勝っていたゴアが前回の大統領選で勝ち、もしもアル中だったのがキリスト教原理主義に救われ、知力が非常に低いのではないかと疑われていたブッシュがあんなに失政ばかりしなかったり、マケインが馬鹿なサラペイリンを副大統領に指名しなかったら、どうなっていたか判らない。

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新しい働き方

January 12, 2009

オバマがGreen Jobsという新しい仕事で300万人の雇用を創出しようとしている。社会が変わるので新しい環境系を意識した仕事を中心になるらしいが、今度取材してこようと思う。

一方日本では非正規雇用などと言ってる。僕は今まで雇われたことがない。自分の会社の社員にはなったことがあるが雇用されたという意識は持ったことが一度もないため分からないが、今まで100種類ぐらいの仕事をしてきたと思う。

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日本の本来ある思想とオバマの演説

東洋の医学では、病気と仲良くして折り合いをつけながら、長生きをするという考えがある。漢方などで病気の箇所を悪化しないように抑えつつ、同時に他の箇所を健康に保ち全体的なバランスをとる。

すなわち矛盾を含みながらも、自然(=自らの然るべき在り様)に任せるというもの。これに対し西洋医学の基本は悪い箇所を取り除き全体を良くするものらしい。

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オバマ大統領就任式、僕らのライブ。

January 11, 2009

正月の夜中にオバマの本当にやろうとしていることは何かと思い探してみた。テレビなどではほとんどやらないので演説集を買ってきたり、ネットで調べているうちに、実際に大統領就任式に取材チームを送り込むことを思いついた。

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スウェーデンデザインツアー / North Wind 北からの風

January 8, 2009

去年は経済界や金融の世界で大きな動きがあったが、デザイン界も大きく変わった。

かつてデザイン界ではフィリップ・スタークやマーク・ニューソンのようなデザインのスターが出て、デザイナーの存在が大きく認められた。ちょうどファションデザイナーが文化人になりモデルが女優と同じような位置を得るように、デザイナーが成功者になった。

しかし社会的に成功することとお金持ちになることが等しくなる中、スタルクもブルジョア趣味の生活に捻りこそきかせたが限界が見え、マークもセレブになると同時に家具が異常に高くなった。近頃、こうした有名化、及び拡大する成功モデルが急激にしぼんできた。そして人々からはむしろピュアで質素な豊かさ、素な感じで奥深さが求められてきた。

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今年みる夢

January 5, 2009

僕の好きなバックミンスターフラーやヴィトゲンシュタインがもし現代に生きていたら、今の世界の現状を見てなんと言うだろうか。彼らは独学というか自分で問題を設定し、学び続けて来た。彼らは規則を守り先生の言うことを聞くだけの良い子ではなかった。

そして日本には南方熊楠がいた。彼も独学で何でも切り開いてきた。しかし考えてみるとモノを学ぶというのは一人で会得して理解すること以外には、ただ覚えたり、教わったことをなぞることでしかない。

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Public Wisdom 2009

December 31, 2008

数年前に、公共交通と運送は別にして近未来の世界では車がそんなに必要かと思い、No Car Day=一日中車に乗らない日を作ろうというのを考えた。近頃では高級車でデートするなんていうのは古く、むしろ自転車でもよいからゆっくりデザインや音楽や食べ物など楽しむ人が増えた。また美味しいもの作れるシェフの方がモテたりしてきていた。

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Think hard,Go hard

December 24, 2008

最近、スクーリングパッドの卒業生たちがやってるTokyo Design Flowのフリーペーパーが面白くなってきた。

これと同時にウェブも充実させて新しいメディアを作ろうと思っている。来年1月はHARDがテーマで、オバマの大統領就任式に突撃取材してくる準備もしてるようだ。そもそも今回の大統領選挙は新しい時代を予感させる要素がたくさんある。

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正規社員と非正規社員、フリーター

December 20, 2008

正規社員でない人が仕事をカットされているらしい。非正規社員や派遣社員はこの時期真っ先にクビになる。そして次は正規社員もカットされるだろう。最近こういったトヨタやホンダの下請けの話が良く取り上げられている。

一方、アメリカでは3大自動車会社は社長が20億ぐらいの年収をもらい、自家用ジェットで飛び回り、一方労働者も全米自動車労組は強く首を切りにくい。そこで公的資金を投入するのを議会が拒み、このままいくと、一度破綻して、みな解雇され新しい組織で再出発せざるをえない。

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不必要な欲望と不自然なやる気

December 19, 2008

昨日も新聞やテレビでマンションの販売が落ち込んでいて今迄なかった不況だと報道していた。全盛を誇り産業の柱になっていた日本の大企業が赤字に転落したり、社員をカットしている。来年中には300万人ぐらいが首になるのではないかといわれている。

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革命かクーデターか

December 15, 2008

現在世界中で起きている金融危機から発した不況を、人々は現象的には1930年代のウォール街からの大恐慌と比べてみているようだが、これは根本的に違うと思う。

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ドリャー親父と条件反射的直感

December 13, 2008

スクーリングパッド水曜日のブックコンシェルジュコース都築響一氏をお呼びした。

彼の事は20年以上注目してきたし、一緒にミャンマーの友人の結婚式なども行ったりしたこともある。日本のこの20年のデザインの流れも、ポパイやブルータスの編集者以降、彼が批判的に作ってきた部分があると思う。

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都市の中にある資源

December 12, 2008

冒険は都市にある、と思ってからは世界中の街を周り続けてきた。また都市にはジャングルのように危ないものが満ちあふれている。猛獣や毒蛇のような人間も生息している、と同時に奇麗な花も咲いている。ここに生きる我々は新しい社会の到来を目の前にしている。世界がますます面白くなってきた。

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I win but you win. You win and I win.

December 5, 2008

最近、よくWin-Winと言うが、この言葉は、まず音の響きが気持ち悪いし、何か嘘くさくて嫌だ。

I win but you win. つまり「僕はやるよそして勝つからね、だけど君も勝ってもいいよ」という姿勢ではなく、本当は「勝ちも負けもなく両方が上手いき満足できるフィールドに居たいので、君がうまく行けば良いし、そのやり方だと僕も成功といえるよね」という考え方ができたら一番良いと思う。

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人生の初期設定

December 1, 2008

昨日ポートランドのかつさんが池尻まで僕に会いにきてくれた。彼の話しではアメリカは大不況で消費意欲は落ちているけれど、オバマに賭けたりなど新しい動きが起きているので、未来に立ち向かう意欲のある若者は多いようだ。

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Fail harderからKick it hardへ

November 28, 2008

「Fail harder=もっと激しく失敗しろよ。」という言葉がポートランドのワイデンアンドケネディーのバーに書いてある。これが奇麗なロゴで印象が強く、日本から連れて来たスクーリングパッドの若者たちもこれに大受けしていた。

ワイデンアンドケネディーのジョン・ジェイのセッションでも、自分で勇気を持って新しいことに挑戦するのが大切で、みんな大いに失敗しろと話してくれた。それ以来、Cry hard とか Run hard、 Walk hardなどHardネタで盛り上がっていたら、スクーリングパッドのクルーの中で靴屋に修業に行って、木型から靴を作ることをマスターした名倉君という若者がいた。

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クライアントとユーザー

前から言ってきたことだが、今度のアメリカの大統領選挙では選挙の後援会と選挙の投票者が重なってきたということがある。今までは選挙の後援会長はお金持ちの企業か組織の長などであり、彼らが投票者に働きかけるという流れがあった。

依然日本では色々な組合や利権に絡む組織が多いようだが、オバマの選挙参謀は支援者から$30とか$50くらいの金額を寄付してもらい易いような情報とウェブの流れを作り、それらの合計が600億円にもなった。これは投票者=後援者という図式ができつつあるということ。

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情報のフローと情報のストックとしての本

November 27, 2008

原宿の僕の事務所の下で選挙のスピーチをしている。不況で正規雇用者以外は過酷な労働条件で皆貧乏になっていることを言っている。

アメリカやフランスも自動車産業の労働者が職を失いそうな危機だ。急激に車社会に嫌気がさしてきたのは、オイル価格が上がり中東石油成金がさらに儲けオイルメジャーが儲け、中東戦争も結局この利権のためであることがわかってきた。こうした流れが本当に人類のためでもなく、嘘が当たり前で情報が信じられず、食べ物も生活も何か実体のない空虚なものに思われてくる。

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人間はあまりにも愚かだったのか?

November 19, 2008

最近、国連大学といろいろなことをやっていると世界65億の人の話をすることが多い。今日話題になったことで、地球上の10億人は一日1ドル以下で生活しているしあと10億の人は1日2ドルで生活してる。もしもボクがアフリカやアジアのこうした人々が住む地域に生まれ落ちたら、きっと今頃おなかをすかしながら音楽ともデザインとも、スポーツとも文化とも無縁の生活をして死んで行くのかな思った。

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論理と理論、LogicとTheory

November 16, 2008

論理とは、論があるから理がある、色々と議論をして、違う考えと触れて、揉んで、考えてみる。そして異なった意見の中から共通項や両方を包む理を抽出する。問題を解くロジックを獲得する。それから完成された理論を作る。問題意識を持つこと、問題設定をすること。問うこと。その解決から理論を導く。

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出版流通再生について

November 8, 2008

Always changing is like flowing.いつもChangeとアメリカの大統領選挙のたびに聴くが、日本の文化では時代を、行く川の流れに例えて、社会を読み世の無常を感じ入るもの。いつも変わり続けるのは流れて行くようなものだと思う。

最近スクーリングパッドのブックコンシェルジュコースで出版業界の人と話していると、あまり売れなくなってきた本の業界も、新刊本を出さなければ売り上げがたたないということで、ますます多くの本が出版されるという。本や雑誌が消費材になり次々に消費され、売れ残りは裁断されて行く。

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アイスランドで何が起きたか?

November 5, 2008

100% Designでアイスランド人のデザイナー、Katrin Olinaと話すことになった。

当初は、アイスランドで生まれパリの学校に行き、スタークやロスラブグローブの所で働き、マイケルヤングと結婚して一緒に仕事してそれから離婚してという彼女の経歴を話しつつ、デザインブームの真ん中で生きてきた一人の女性デザイナーがよりフェミニンにアートに生きて行くのを、現在の金融危機とアイスランドの状況とダブらせて、世界の変化を浮き上がらせてみようという腹づもりだった。

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和魂洋才

November 1, 2008

最近よく感じることに、現代の若者で昔の日本人の格好と違う洋風の格好をした人と話していると、彼らも実は日本に本来ある、昔からの精神を求めているというのがよく分かる。

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LOOKING FOR URBAN UTOPIA 都市のユートピアを探して

October 31, 2008

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現在のデザインの潮流はどこに流れて行くのか。-流体力学からサーフインシェイプへ

October 24, 2008

デザイナーがスターになったのはアンドレ・プットマンが初めだ。80年代にニューヨークの編集者スーザン・スレジーンと組んでFrench Styleというデザインの写真本を出し、イアン・シュレガーとMorgans Hotelというデザインホテルを作り、ここでファッションとインテリアと家具デザインが一体となり情報化された。

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お洒落、こじゃれ,オサレ。

October 17, 2008

最近、情報のシステム開発を仕組んでいて、秋葉原の天才少年たちにあって話していると、彼らはオサレな場所が嫌いだということを話していた。六本木ヒルズやミッドタウンや青山や資本主義とお金の後押しで作られたブランド地域、漠然と作られた価値観の押しによって作られたオサレなところから離れ、秋葉原や中野ブロードウェーみたいなところに、逃げ場というか親近感を持つのだということが察せられた。

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潤いのある思考

October 13, 2008

最近、新聞を見ると金融危機により世界的な大不況が訪れるということを言っている。六本木や銀座でお金使ってる人は外資系金融か不動産かそれにかかわる仕事をしている人だった。

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持続可能-サステナブルについて

October 6, 2008

僕にとって夜中は大抵ミュージックビデオや映画を見ながら、毎週のようにもらったり買ったりした本や雑誌に目を通す時間だ。

今日はパルプフィクションの後にリアーナのDisturbiaのPVなどを見て、ユマ・サーマンとリアーナが凄く似てるということを発見した。そうだ今度やるイベントに都市の中に理想郷を求めるという意味でurban utopia--URBABIAなんて造語がいいなと思ったりしながら、1998年にNICK DINEとやったNYのイベントもこのコンセプトだったなあと思い出したりした。そういえば夜中によっているNHKのイギリスの庭園の番組もなかなか良い。など想いを巡らせていると、ふと今はっきりさせておかないといけない事に気がついた。

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自転車操業、BMX的発展

ブックコンシェルジュコースで出版界のことを聞いていると、最近の大手出版社は毎年どんどんと新しく本を出版しなければいけないシステムになっていて、次から次へと新刊本を出す。さもなければつぶれてしまうシステムに落ち込み、それにより出版物全体の売り上げは減っているのに新刊書の数は増えているという状態になってしまった。すると昔のように丁寧にいい本を作るということができなくなり、かつ儲かりもしなくなった。

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土地は預かりもの、時間は共有するもの、そして知恵は?

September 22, 2008

先日、ドイツ人の友人と話していて、ふとインスピレーションを得たことに、そもそも地球上の土地すべては神様からの預かりもので、我々が所有を主張しているのは、ほんの2-300年間で、イギリスやフランスでも1000年所有している家は少ないというのがある。

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それでいいのだ

September 17, 2008

天才バカボンでは、なにがあっても、どんなにひどいことがあっても、それでいいのだということになる。これは水の流れのように、全ての事はたとえ迂回しても、流れるべくして高い方から低い方に流れるものだという風に僕は解釈している。

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Into the wild

September 16, 2008

昨日、Into the Wild〜大自然の中にという映画を見た。ハーバードでロウスクールに行かずに真理を求めてアラスカの大自然を目指し、そして死んで行く青年の実話を基にした映画だが、ショーンペンが監督としての才能を見せている。

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2008年のデザインの状況

September 12, 2008

ここのところ、ものが売れなくなっているそうだ。ブランド物やデザイン物の売り上げがすっかり減ってきた。商品を消費することは、本当はそれほど必要ないのに無理矢理消費の欲望をかき立てられてきたものだが、もっと大切なものがあるような変化の予感を感じる。デザインでもフィリップ・スターク的なものが少しうんざりした感じになってきた。

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百瀬博教の存在

September 10, 2008

今年の1月の未明、百瀬さんがお風呂の中で他界された。忘年会をスモークで12月末に安西水丸氏とレスラーの高山さんと百瀬さんとやったばかりだった。みんな信じられずに忍ぶ会でも何か不思議な感じだった。その後、利害関係のある人はパッとクモの子を散らすように去り、百瀬さんのことを忘れられない人だけがたたずんでいた。

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スポーツとデザインについて

September 8, 2008

北京オリンピックも終わりパラリンピックが始まった。このパラリンピックの方が本当はスポーツを必要としている人たちのために生活と生きる糧になっているスポーツが見えて良い。

東京でもう一度オリンピックをするのなら、北京型の国威発揚の場としてのものでなく都市の文化としてのグリーンなオリンピックにしないといけないと思う。

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今から必要な知性

August 31, 2008

現在の日本の教育水準が低くなっているとの指摘がある。60-70年代はまだ塾や様々な学習設備がないにも係らず、日本の小学生の水準は高かった。しかし、これもどういう問題に対する学力なのかが重要だ。

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都市はキャンパス

August 27, 2008

最近、スクーリング・パッドのクルーと旅行したり仕事で会ったりしていると、明らかにこうした優秀でデザイン感性が鋭い若者達は現在の世界の状況やそれぞれが置かれている社会での立場や仕事の仕方、少し上のジェネレーションの人達のやり方に疑問を持ち始めているのが判る。

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Change with wisdom 国連大学での試み

August 26, 2008

1999年に僕らはTokyo Designers Blockを始めた。それまで世界中でいろいろなデザイナーと仕事しスプートニクというデザインのイベントをやっていたが、その次に青山界隈を中心にデザインイベントを始めることにした。

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インディーズとコーポレイト

August 14, 2008

日本に帰ってきてテレビをつけると、すかいらーくの社長が更迭されるニュースをやっていた。そういえばポートランドでもスターバックスが100店舗閉じられるそうだ。

沢山の店を出し、売り上げを増やすことが企業の生きる道と信じられて、強力な軍隊のような企業内兵士を育て、マニュアルを覚えさせて事業拡大のパワーにするそういう風潮がここにきて急に変わってきた。

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アップルとルーカスフィルム

August 10, 2008

サンフランシスコでルーカスフィルムのキャンパスが見れるということで早速案内してもらった。ここではジョージ・ルーカスの映画に対する愛情と彼の会社に対する作り込みを見ることができた。

ルーカスフィルムでは彼が集めた映画のポスターの他に、彼の好きなフランクロイド・ライトとマッキントシュ風の家具がそこら中に飾られ、彼は映画の次に建築と家具が好きなのが良く分かった。

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日本の普通

August 7, 2008

今回のポートランドの旅行だけでなく、大抵外国などに行って感動すると、全てポートランドは良くアメリカは優れているということに成りがちだが、僕は何時もどこにも天国はないけどどこも地獄ではないというスタンス(立場/立脚点)をとっている。違う言い方でいうと、どこにも天国でもあるし地獄でもある。

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スポーツと日本-ナイキとアディダス

August 5, 2008

ナイキは元々はビジネスを研究していて日本の運動靴を輸入する仕事をしていたフィル・ナイトが、日本の会社から断られそれでは自分で作り売るしかないということで始めた会社。彼らは26年前からWiden And Kennedyと組んでスポーツカルチャーを作ってきた。

初めはただ運動靴を作る会社だったが、色々なスポーツシューズを作る内に、スポーツ全体を考え探求する姿勢になり、本社をキャンパスなどと呼び旧社会の企業と違ったスマートにデザインされた組織を形成した。

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ポートランドとシリコンバレー

創造階級という言葉は80年代日本の製造業の勢いにおされたアメリカが、元々自国から始まった自動車産業や電化製品、IBMなどのコンピューター産業の製造業が落ち目になり大量に製品を製造することから情報文化産業に移行せざるをえなくなった事から生まれた。

そしてこれがソフトを中心にしたクリエイティブ産業という今までの製造業やサービス業などの分け方ではない概念が生まれるきっかけになった。

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Portland - Schooling-pad global sessions #1

August 3, 2008

Los AngelsからPortlandに来ている。そして明日からSan Franciscoを廻って日本に帰る。

この3年間ぐらい力を入れているスクーリングパッドは、考え学んで働き、人生を歩んで行くという、今の時代世界で一番良い生き方を探すことを稀求する、学びの循環としての学校だ。

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ブックコンシェルジュコース 第一期生募集中

July 23, 2008

Media Surf Communicationsにも卒業生がいるSchooling-Padデザインコミュニケーション学部(学部長 黒﨑輝男)に新設されるブックコンシェルジュコースが第一期生を募集します。

ブックコンシェルジュコースは「ハックネット」ディレクター安岡洋一氏をメイン講師に、様々なかたちで本に携わるゲストスピーカーと本の未来を考え、時代に必要な本物の知性を身につけていきます。また、セッションの舞台となるIID118教室「The Library」では書籍販売等も行う予定ですので、リアルな現場でより実践的な体験が可能です。

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Space cowboy,Web gardener?

情報技術革命と言われて久しい。

これはコンピューター技術が発達し、ネットを使うと気の向くまま好奇心の赴くままに情報をカタツムリのように這い回ることができるようになったということか。またはサーファーのようにネットの上をたどり自由に3次元的に興味と知性の赴くままに波乗りを楽しむことができるようになったということだろうか。

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Portlandにみんなで行きます

July 22, 2008

7月27日からポートランドとサンフランシスコとその周辺のシリコンバレーの企業などを廻るスクーリングパッドのツアーがある。

このツアーでは、これらの地域で勃興した、創造階級やクリエイティブ企業での働き方を見学する。また、IID 世田谷ものづくり学校と提携するポートランドの学校PNCAで学び方、CSA (Community Supported Agriculture)など、今ではオーガニックなレストランや地域の産物も当たり前の状況のこの地域での食べ物を体験する。その他、エコ建築の見学など盛りだくさんの内容で、僕らしかできないツアーだと思う。

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ブックコンシェルジュ

July 16, 2008

この9月から、スクーリングパッドでブックコンシェルジュ コースを始める。

本のことを詳しい人はたくさんいるが、本の趣味が良い人や本棚がほれぼれするほど良いセレクションな人は少ない。また人のことを判断する時に、その人の家の書斎を見ると嘘がない。

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Imagine, Talk,Imaging London

July 11, 2008

日本の教育では何かを想像する力を養うのが弱いといわれている。何が正解で、どう解くのが良いかを気にするあまり、空想したり、夢想したり、想像したりすることに時間が割けないようだ。創造力の前にまず想像だ。

イギリス人は何も現実味のない会話を好む。冗談、ユーモア、ウィットに満ちた会話は、お互いの空想を比べ合い、そして事実に引き込む。そして次にイメージすることができる。

今、必要なのは会話を通して地球の諸問題についての様々な可能性を考え、都市や生活をイメージする事なのかもしれない。

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ロンドンの建築の現在と未来

ロンドンのヒースロー空港のターミナル5に着いた。ここはリチャード・ロジャースによる建築が評判だった。

空港は各国の入り口でありそして出口である。その国々の文化の粋を集めていて、文化/建築/インテリアやシステムのレベルが見える。アジアでもノーマン・フォスターの香港国際空港の他、シンガポールや北京の空港には目を見張る。

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アマチュアを大切に -Schooling Pad7期に向けて

July 7, 2008

ロンドンに来るとついオーバースケジュールになるので、最近はなるべく予定を入れないようにして、まず街を歩く。ロンドンはこの30年間で100回ぐらい来ているボクの好きな街のひとつで、ウィンブルドンの季節は特に良い。

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地球ノ危機

June 26, 2008

最近の僕の頭の中の多くを占めているのは、気候の急激な変化に人類がどう対応するかという事。それらは経済的にはエネルギー、特にガソリンの高騰による世界経済や自動車産業等の変化につながってくる。そしてそれらに対応するライフスタイルとデザインの未来について。

こうしたことを考えながら、新聞を読んだり、テレビ見たり、生活を送っている。

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Paint it black-秋葉原の事件の青年に

June 18, 2008

最近、今までにないパターンの殺人が多い。

旦那が妻を、妻が夫を殺すのは昔からあったとしても、子供や可愛い女の子を殺したり無差別に人を斬りつけるのはどうしてだろうか。ボクの殺人に対する基本的な解釈は、人は何か目的を持っているか、大切なものを守るときに自己を正当化して殺人に向かわせる場合があるというもの。

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もしもバッキーがいたら

June 11, 2008

毎週土曜日の14時からのスクーリングパッドのセッションを楽しみにしている。

毎週ゲストスピーカや周りの人と話してイメージを作り、金曜日にクルーに課題を出す。そして24時間で課題に対して解決策を考えてもらう。

全体の流れがあるからもっと時間があったら良いのにとか、セッションのあとからもう一度出したいとか、クルーも色々な事を考えるだろう。それがまた良いと思う。

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世界中が教室 -global session

June 7, 2008

この夏から、スクーリングパッドが企画して、大手旅行社が主催するツアーを行う。第一弾はアメリカのポートランド周辺、その次はスウェーデンへ行く事を計画している。

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中国と日本人

June 4, 2008

今、北京に来ている。アメリカに住んでいる弟が東京に来たので仕事のついでと、オリンピック前に一緒に旅行をしている。

空港や市内のビルはもの凄い勢いで出来上がっている。東京オリンピックの前のように、この機会に都市をきれいにして一気に中国の覇権を示そうという姿勢が伺える。

しかし、チベット問題と四川大地震以来、中国に対する旅行者が減っているという。人々はこういうムードに凄く敏感だ。

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潮目が変わったのか

May 13, 2008

新聞で、売り上げが5%/利益が30%下がるだろうという予測に対して、トヨタの社長は「社会の経済の潮目が変わり、一企業の努力の限界を超えた。」というようなことを言っていた。

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バブルR-project からリアルなRへ

May 9, 2008

バブル以降の不況が続く7年程前、古い建物や都市を再生すべく、R-Project という、Reset,Rethink,RecreateなどRのつく言葉をキーワードに、様々な社会運動/デザイン運動を始めた。

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Only new,Always new,New again

May 3, 2008

この時期、ミラノのサローネで莫大なデザインを見るにつけ、いつもぶつかるのが、本当に新しいデザインだけをやって行きたいと考え、あえて良いデザインや売れそうなデザインを捨て、新しいモノ=Only newだけを追求する事について。

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サローネの頃のミラノ

April 22, 2008

ミラノではサローネがあるせいか、毎年4月頃は世界中からデザインの関係者が集まる。確か昔はサローネは9月で、秋なのに暑かった記憶がある。

ここ30年位、毎年何となくこの不思議な都市に来ている。そしてギャラリーや町中で何回か展示会やパーティーやイベントを行った。

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Pictures tell more than words

April 16, 2008

昼にミラノに着き、友人のアーティストの家に向かった。サローネのこの時期はホテルが一杯なこともあり、最近はエマヌエルやタニアの家に泊まって、そこを拠点に動くことが多い。

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フィリップ・スタークが2年後に引退する

April 2, 2008

フィリップ・スタークが2年後に引退すると言っているらしい。

僕が初めてスタークに会ったのはパリのレ・アールでカフェ・コスト(今はもうなくなってしまい、その後コストはホテルで有名になった)をデザインした80年代の初め頃だった。彼の最初のインテリアの仕事がこのカフェ・コストだった。

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農業の再生とライブラリー

March 25, 2008

最近、農業の話で呼ばれる事が多い。

僕は子供の頃から植物が好きで、よく植物採集に行っていたが、その他では特に農業そのものと関係がある訳ではない。しかし時代が変わる時、何かと僕の発想が面白いと思ってくれる人がいるのかと思い、そのお役に立てればと参加している。

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真実は煙の中に

March 11, 2008

The truth is in the smoke.

これは流石創造集団の子会社が原宿で運営しているスモーク バーアンドグリルのオープンの時に考えついてポスターに入れた言葉。

Bob Dylanのthe answer is blown in the wind(風に吹かれて)、という歌では戦争で何人の人が死ねば人間はもう少し賢くなるのかを題材にしていたが、あえて答えはこうだとはいわず、風に吹かれてといってる所が良い。

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pre-comの大切さ

March 6, 2008

このところcomについて考えている。

コミュニケーション(communication)という言葉は、意思の疎通/共通認識/意図の共有という意味として使われる事が多いが、現在ではそれがとりあえず知らせておけば良いという風潮になっているのではないかと思う。その前提条件としてある、何の為にコミュニケーションを図るか、各場面においてどう理解し合えば理想なのかについてはあまり考えられていない。

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スクーリングパッド グローバルデザイナー養成コースに向けて

February 22, 2008

デザインを囲む状況や、デザインの意味の変化と拡大、それらを繋げるコミュニケーションについて考え続けている中で、スクーリングパッドを通じて世界で活躍するデザイナーを日本から池尻から送り出したいという気持ちが益々強くなってきた。

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安藤忠雄氏との講演

February 18, 2008

昨日、電通の講演で名古屋に行ってきた。これは名古屋と中部地方の経営者や広告担当役員など150人に、ECO=CREATIVEという切り口で新しい社会におけるデザインと経営戦略について語った。

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新しい経済、次の世界の価値観、次世代のデザイン

先日スクーリングパッドの学校説明会で若い人達の意見を色々聞いていて、ふと思ったことがある。

一昔前の人達は学習塾や予備校や参考書もないが結構勉強ができた。その前は戦前の旧制高校で、当時流行ったデカンショ(デカルト、カント、ショウペンハウエルといった哲学者達の本)を読んで半年暮らす。残りの半年は山に登ったり酒を飲んだり寝て暮らす。流石にこの体験はなかったが、戦後しばらくしての僕らの世代も教科書と問題集だけで予備校はなかった。それでも皆、色々な解き方を考え数学などを楽しむ感じがあった。

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デザインを囲む環境の変化を北欧で見ると

February 9, 2008

20年前にストックホルムを訪れた時は、3月なのに日本の正月並の寒さだった。18年前の2月はマイナス20℃だったのを覚えている。5-6年前もだいぶ寒かった。

一方、昨年の1月末に訪れた時は雪が殆ど残っておらず、暖冬だといわれていた。そして今年は、東京よりは寒いようだが、あまり雪も残っておらず、レクサンドは去年よりも雪が少ない。地球の温暖化は北欧でも肌で実感する所迄きたということだろうか。

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北欧で感じた-学校ではない学び方

February 5, 2008

今、コペンハーゲンから橋を渡った、スウェーデン側のマルメに来ている。ここはストックホルムに継ぐ都市でデンマークに近い事もあって、デザインが盛んでそれに加え音楽や建築なども文化的なものが色々ある。

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お餅と羊羹

January 29, 2008

1月26日、「紅の会」と称した中島武氏の還暦のお祝いをホテル オークラで仕組んでみた。仲良し友達、遊び友達、ちょっと怖いけれどまともな奴だという事でたくさんの方々が集まってくれた。

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アジアから日本を見ると #1

January 24, 2008

毎年定期的に訪れる場所がある。

渡り鳥のように世界中のある都市のある場所のある席に座る事を続けている。サザビーの鈴木陸三さんも定点観測といって、パリやロンドンなどのいつも訪れる場所で、世界が動いている様を感じるそうだ。

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本を読む体験とライブラリーという場

January 22, 2008

池尻のIIDでスクーリングパッドのクルーやコミュニティーメンバー(卒業生を含むスクーリング・モードになっている人達の集合)が集まれる場が欲しいという話になった。

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繁栄と成功

January 15, 2008

テレビで成人式の模様を見ていたら、将来なりたい職業の一番人気の中に調理士があった。

若者達の人気職業といえば、5年前はアナウンサーや旅行会社などがあった。今では、サブプライムローンで落ちている外資系金融業ではなく美味しいモノを作ったり、環境や食の安全に配慮した仕事、農業までは行かないが、とにかくリアルで生きる実感のある仕事として、料理を作る仕事を普通にやりたいと言ってくれたことが、僕はうれしかった。

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Schooling-pad デザインコミュニケーション学部6期に向けて

January 14, 2008

2008年、時代の空気はさっと変わった。地球環境や食料問題、世界の政治そして経済の状況が一気に変化する兆し。

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January 2008

January 4, 2008

正月に東京にいると 何か不思議なプレッシャーがかかる気がするので、例年できるだけ出かけるようにようにしていたのだが、今年は何故か静かに家にいたり、年老いた母親に会いに行って時間を過ごした。

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エルサレムの嘆きの壁のまえに

November 28, 2007

今回の旅行では、エルサレムにも2日ほど行くことになっていて、ホテルにガイドと一緒に死海で泳ぎたいというデザイナー数名が迎えにきた。

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BRAIN POWER-Tel Aviv Museumでの講演

November 17, 2007

イスラエル航空で北京からテルアビブに向けて発ち、明け方の3時頃に着いた。飛行機は満員だった。北京を出国の際に、テルアビブ美術館で講演を依頼された事など今回の渡航の目的をきっちりと聞かれていたので、現地ではあっけなく入国できた。

ホテルは海のすぐ前だった。気候や雰囲気はまるでサンタモニカみたいだ。翌朝この事を迎えにきてくれたテルアビブ美術館のキューレーターにいったら、数年前に伊藤豊雄さんが来たときも同じことをいったと笑っていた。

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BRAIN POWER-A lecture at Tel Aviv Museum

I arrived to Tel Aviv by El Al airline and the flight was full. The hotel I stayed was in front of the ocean and the climate was like Santa Monica, California.

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The Good Newsの立ち上げ

November 8, 2007

ここ3年間の僕の本当の興味は、何故人は裏切ったり、人を傷つけたりするのかということだった。それを考えていくにつれ、人に良くしたいという気持ちを持ち、人を喜ばすことが生き甲斐にもなっていた。

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デザインの未来、ブームからスタイルへ、そして

November 6, 2007

昨日までDesign Tideや100% DesignやSwedish Styleなどで忙しかった。

今年はデザインタイドが国立競技場で行われ神宮外苑がデザインのメッカになった。10万人以上の有料入場者が世界中のデザイナーのデザインを見にやって来た。これらは元々東京の家具/インテリアショップが集まって、それぞれの店といくつかの会場で展示を始めたのに端を発する。 

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何をGOODというか

October 26, 2007

来月から始めるGOOD NEWSのプロジェクトに関して、まず何を持ってGOOD NEWS=良い知らせとするか自分で考えることが重要だと思う。

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What is "GOOD?"

We are starting up GOOD NEWS PROJECT from next month. Before that, we have to think about what the "GOOD NEWS" is.

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味の秘密はスモークにあるか?

October 23, 2007

表参道に新しくできるGYREというビルにSMOKE bar&grillという店をだすことにした。

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Secret of the taste is in Smoke.

We are opening our new bar & grill called "SMOKE" to the new building in Omotesando called "GYRE."

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生存への欲求の希薄化について

October 9, 2007

最近若い人と話していると、「なんでそんなにやらなければいけないんですか?」「どうすればいいんですか?」という事をいう人がいる。これには、負けるのはプライドに係わるから嫌でその点では頑張るが、一方ではそんなに頑張ってもしょうがないんじゃないかという無力感がある。

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Lack of desire for living.

When I have a conversation with young people, some says "why do I have to try that hard?" or "what should I do for the future?"

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今大切な、創造的思考

September 27, 2007

日本ではバブル崩壊により経済的に大きく落ち込んだ後、金融の健全化から始まり、数字的なプロポーションが良く投資家にも解りやすい、アメリカ式の明快な経済システムに移行してきた。ここをしっかり押さえないと企業は存続できないと、大企業の上層部の方がいっていた。

しかし、創造/情報/知的社会に移行している状況を考えると、それだけではなく、日本的なものとは何なのかをもう一度考え、人間的なシステムに根ざした働き方を目指すべきだと思う。

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Creative way of thinking

After the collapse of Japan's "bubble" economy, the society is moving more into creative, intellectual and information. Now it is time to re-think about what is Japan and re-think the way of working upon human centered system. It is gonna be more important to outsource creative works to young creative people.

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表参道の商業ビルの現在 -Shop and Think

September 24, 2007

ご存知の通りここ数年東京では、六本木ではヒルズからミッドタウン、丸の内では丸ビルから新丸ビルと、新しい商業ビルにオフィスやホテルなどを複合的に組合わせた開発が盛んだ。不動産ファンドや各種の投資のお金が経済を活性化し、東京の中心部がバブルの様相を呈している印象もある。

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Shop and Think

As you might already know that it is kind of "Bubble" now in Tokyo about the city development with commercial buildings.

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人類は滅びてしまうのか-国際サステナブルデザイン会議

September 18, 2007

先日、サステナブルな社会(存続可能な社会)をどのように作り上げて行くかについて、益田文和教授を中心に専門家やデザイナーが集まり、意見交換をした。

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Does mankind has a future?

Politics, economics and the way of living nowadays have changed from what they used to be. If there are some wisdom left, it is now to re-design society and industry with clear vision.

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デザインと創造的社会 -スクーリングパッドの未来

September 10, 2007

CIBONE/DEAN & DELUCAの横川君と、DESIGN TIDEなど今年のデザイナーズイベントの方向性について作戦会議をした。彼は中学時代の同窓生と沖縄に行ってきたばかりで真っ黒だった。

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Design and crative society. The future of Schooling Pad.

Where did real creative creation go? We now have so much information.But if those information are not in order, then those have no meanings. Wisdom, intellect and a sense of beauty will not work in the chaos of information.

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時代の空気、デザインの流れ、スクーリングパッド

September 3, 2007

毎年旅行をする時、各都市ごとに必ず訪れる場所がある。

たとえばロンドンだとポートベローから少し入った所にあるパブ。パリだと気に入っているカフェ。バリだとサヌールのホテルのバー。香港だと昨日行った中国会のライブラリーなど。

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I met Mr. Alan Chan in Hong Kong. He showed me his works and office. Now the 5th season of Schooling Pad is about to begin, I would like to tell new Schooling Pad crew about what I have thought by meeting these people.

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ものの価値と価格

August 23, 2007

先日、質屋をやっている友人に会った。その時に聞いた査定についての話がとても気になった。

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Value of things and price of products

My friend Jewish gold merchant weighs the jewelry by the gramme , and estimates the price of the thing.

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料理と学問

August 22, 2007

先日、昔からの友人の森田大剛君が遊びにきた。彼は今度素材を生かす料理の学校をやるという。サロン・ド☆ピンクという学校、なんと彼らしい名前。そんな彼とは時として感覚が合うことがある。

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Cooking and thinking

I think the way of cooking has changed.Many people are trying hard to remember just recipes. For example, vegetables are considered as just materials to them.

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戦争と戦闘機

August 16, 2007

8月になると戦争の番組が多く、僕も深夜にNHKなどで見ている。

子供の頃は戦闘機の名前をたくさん知っていた。よく模型を作っては自分の部屋にぶら下げていたものだ。日本のだと雷電や紫電改、アメリカのではボブキャットやヘルキャットなどがお気に入りだった。

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War and a combat plane

My granduncle was airplane designer and uncle was a technician. My father was in the army to develop bombs and also both of my grandfather went to war.

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国連大学の木

August 10, 2007

先日、国連大学の学長のハンス氏とその奥さんと、事務局長のフランソワーズ氏とお昼を食べた。アンツの松井君も一緒だった。国連大学の彼らとはもう6年ぐらい前、デザイナーズ・ブロックで国連大学を使わせてもらって以来の関係だ。

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A tree of United Nations University

I had a lunch with Mr. Hance who is the rector of United Nations University (UNU), his wife and Mr. Francois also from UNU. I have known them for six years and tried together to change the situation of Tokyo by power of design.

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Whole Earth Catalog

August 8, 2007

僕の手元にある30年間くらい前の本=雑誌のようなカタログ。それはWhole Earth Catalogという本で、1960年代後半のイギリスやアメリカのヒッピー達はみんなこれを読んでいた。

スティーブ・ジョブズが2005年に行ったスタンフォード大学での講演でも述べられているように、これは当時としては画期的な出版物であったばかりでなく、現在のエコ的な考えやサステナブル・デザインの基本思想にもなっていた。

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Whole Earth Catalog

This epoch-making catalog is called "WHOLE EARTH CATALOG." As Steve Jobs said on a speech at Stanford University, this catalog was edited by the point of view of how to live right and this is the point that attracted me.

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スクーリングのすすめ

August 7, 2007

先日スクーリング・パッドの4期目が終わった。3ヶ月で1期、その後の3ヶ月でツアーやイベントを行い、約半年で一周する。

つまり半年で1学期となる。そして卒業になるのだが、永遠に腐れ縁で、興味と好奇心と考える面白さを求める心があったらいくらでも関係は続いていく。卒業だから終わりということはない。

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A situation of Schooling

The 4th season of Schooling Pad has finished. Because there are interests and curiosity, the relationship would never end.

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アジアカップを見て考える

August 3, 2007

イラクがサッカーのアジアカップで優勝した。イラクといえば戦火の中だ。そんな状況でもどうにか、バクダットからインドネシアやベトナムまで選手を送った。お金を殆どかけられず、チームとしての練習もあまりできなかったが、彼らは優勝した。

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Asian soccer situation

I watched the TV game of Asian soccer championship.Iraqu won Saudiarabia 1-0 .They have just come to play the game .And won ,they did not complain but just did it. I was moved how they played the soccer.

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事実をどう捉えて情報化するか

August 2, 2007

最近、若い人と話していると思うのだが、彼らはやたらと情報を分類することに長けている気がする。多分現在はたくさんの情報がありすぎて、早く処理しないとそこに埋まってしまうからだろう。

例えば、子供が泣いているという現象があるとする。これを「ああ、可哀想だな。でも自分には関係ない」とすぐに通り過ぎてしまう。忙しいからいちいち関わっていられないと、それで終わりにしてしまう。

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How to understand the situation right.

There are no good news and there are no bad news, there is only a fact.You can watch it ,you can understand why and what is happening.

If a child is crying, they say it is a sad thing. but if you look into the reason ,it can be a good thing.

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地球環境の今後

July 22, 2007

先週、僕の高校時代からの友人の神山孝吉くんと御飯を食べた。

今は日本の昭和基地の南極探検隊長などしている地球物理の大家だけど、南極帰りで携帯さえ持ってなくて新宿で会うのも大変だった。彼は高校時代から自分の肉体や知能の限界に挑むタイプ。僕の隣に座っていても当時の高校生らしく勉強をがんがんしているのをそんなに見せずに運動に励み、軽く東大に入るはずだったけど、学生運動で入試がなく京大に行き、その後探検部で世界中の極地で色々研究しているやつだ。

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Global environment from now on.

I had dinner with Takayoshi Kamiyama. We have known each other since we were in high school. He is now working as a leader of an Antarctic expedition team in Showa base station. He always tries to break limited of body and intelligence.

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見て、話して、考えてみる

July 21, 2007

これから日々、色々な所でたくさんの人に会い話をし、色々なものを見て考えて、それを書き残しさらに事を起こす。

僕はバカな事をたくさんして失敗もあるけれど、たまには成功したり、考えた通りだったりする事もある。物事すべては、視点や考え方次第で面白くなる。そう考えることにより人々とのコミュニケーションを取ることができるようになったのだと思う。

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Watch, speak and think.

I will meet many people in many places. I will watch many things and then think. I will write on what I experience and will make new things to be happened.

I have done many stupid things and done wrong. But sometime, I succeeded. The different point of view and the different way of thinking makes everything more interesting. I think this way of thinking helped me a lot when I communicate with others.

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