北欧で感じた-学校ではない学び方

February 5, 2008

今、コペンハーゲンから橋を渡った、スウェーデン側のマルメに来ている。ここはストックホルムに継ぐ都市でデンマークに近い事もあって、デザインが盛んでそれに加え音楽や建築なども文化的なものが色々ある。

ホテルに着くとすぐマチアスが迎えにきた。彼は去年、奥さんのカリンやSWEDISH STYLEのユングという若いデザイナー達と一緒に東京に来た。北欧のモダンデザインのビンテージ物の家具やランプや、エリック・ホグランやリンドバーグのもの、それにアートや古い本も扱っている。

彼の車に乗るといきなりエルビスプレスリーからナンシーシナトラのオンパレード。昔ボクが友達だったロンドンの骨董屋達は音楽にスタイリツシュという言葉を良く使ったが、彼も音楽のセンスがよく、次の日、彼の家で寿司で接待を受けた時もフランスギャルからスウェーデンのジャズまでかけてくれた。音楽のセンスがいい奴は一番信用できる。

そして早速、大きな倉庫でやっているアンティークのウェアハウスに連れて行ってくれた。家具から古着や古レコードなどありとあらゆる貴重品からがらくたまでがある。マチアスはデザインの歴史も詳しく1つ1つの椅子やグラスのデザイナーと年代とメーカーを言い当てることができる。

彼はネットでボクが扱い、プロデュースしてきたセルジュ・ムーユ、フィリップ・スターク、ロン・アラッドからマーク・ニューソン等の事も良く知っていて、興味をもって聞いてくる。こうした若者が日本にも増えてきている。彼らは良い学校に行っているとは限らないのだが自分の趣味と美意識と価値観を持とうとしてよく勉強している。

彼はファションから入り、ヨージ・ヤマモトに憧れて自分のブランドを立ち上げ、カーディガンズのミーナの服なんかも作っていたそうだ。そして音楽も60年代のものを中心に何でも知っている。彼に骨董屋を案内してもらいながらボクもつい昔からの性癖で椅子からホグランのグラス迄色々と買ってしまった。

もしスクーリングパッドのクルーや若い日本のデザイナーを連れてきたらどうだろうか。彼らは先ず何を買ったらいいのですか?と聞いてくるだろう。古本やレコードでさえも買い慣れていない人が多い。何かする前にどうすれば正解なんだろうと考えてから物事を始めるくせがついている。先ず直感や自分の今迄の趣味から買ってみてそれからそれに対して分析しコメントして判断すると言う事はあまりしない。

ふとボクはスクーリングパッドで日々僕らが求めていたものは、考えてから歩くよりも、先ず一歩歩き始めて考えようよという事なんだなと思った。

今、世界で活躍しているデザイナーやクリエイターのほぼ全ては、学校での教育と別の自己教育をしている、この自己を教育する事がスクーリングであり、そのきっかけがぼくはみんなに提示したいんだと再認識した。

これができる人は、クリエイティブで今の時代を引っ張ることができているのだろう。だからボクがいくらクルーに学校の教育でない事もとても大切だよと言っても先ず自分で一歩踏み出していない人にとってはあまり意味が分からないのだろう。

一方、エリートとして一流の会社に入ったとしてもどこかが違うぞと思い始めた人も、先ず一歩踏み出したには違いなく、それに対する疑問からが更に一歩踏み出すことができるかに懸かっている。

スクーリングパッドではボクは色々な身近な人と自分を例に出し、自分の恥もさらけ出してやって行く。これもある種の潔さで快感になってきた。

100枚在る中でマチアスが買おうとしたリトグラフは、ボクも同時に手を伸ばしたやつだった。たくさんある中で自分が良いと思うのを同時に良いと思うのは何故だろう。こうした事から友情が感じられる。オタク達の心の通い合いもこうしたものなのかなあと思いつつ。

そして、マチアスとエリック・ホグランの最初の奥さんに会いに行って、一緒に本を作ろうという話になった。ボクのやり方はこうした会話からのインスピレーションから自然に生まれたものが多い。こうした事も自己教育のかたちなのかもしれない。

デザインを囲む環境の変化を北欧で見ると ▶

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