IDÉEのデザイン

January 10, 2024

セルジュ・ムーユが来日した後、フランスからは、マリー・クリスティーヌ・ドルナーが日本に来てデザイン活動を始めた。また、フィリップ・スタルクとはパリで会い、一緒に日本のマーケットに向けた新しい家具を開発した。

この頃、たくさんのデザイナーと会った。

ジェイムス・アービンとは倉俣史郎氏の事務所で会った。その頃、彼は日本で企業デザイナーとして働き始めていた。ジェイムスのロンドン時代からの親友、ジャスパー・モリソンも倉俣氏の所で会った。

RCA(Royal College of Art)を卒業したばかりのジャスパーはたった一人で小さな事務所を開設したばかりだった。最近ジャスパーに会った時、フランスのワイナリーで作ったワインに、ジェイムスの名前をつけたと言っていた。古くからの親友の名前からとったワイン、良い話だと思う。

次第に世界中のデザイナーに、IDÉEのために新しくデザインすることが知られる様になった。

マシュー・ヒルトンも来日して、ソファーをデザインしてくれた。アメリカからはロス・メネズやニック・ダインがやってきた。カリム・ラシッドも来てくれた。

その頃、日本にいたマーク・ニューソンは、Appleで働き始めたジョナサン・アイブとIDÉEで会った。

80年代後半には、IDÉEは世界のデザインの中心地の一つとなっていった。その頃、家具をデザインすることは格好良く、アートやインテリアデザイン、建築やランドスケープ、クラフト、ファションや音楽などと一体となって、時代は80年代から90年代に突入していった。ファションの分野ではナイジェル・カーティスやポール・スミス達が、IDÉEの展示会に来てくれた。

最近は「どこの会社や組織で何をしているか?」などが、人の基準になってきているが、もっと大きな目線というか、いい加減というか「クリエイティブであるか?、進んでいて面白いやつか? 良い奴か?」などが人の基準になっていたと思う。

これは以前カタログに書いたが、マーク・ニューソンが僕に作品集を見せに来た時、彼の歯ブラシのコレクションの話になった。そして、僕の好きなミラノのお店の豚毛の歯ブラシを持っていたことから、すっかり信用したのだが、例えば一緒にご飯に行く時に何を食べるかなど、お互いの判断が、デザインよりも違った視点で、信用に関わったりするものだ。

ロンドンではロン・アラッドのOne Offという家具をアートにしたギャラリーが好きだった。当時、トム・ディクソンの元で働いていた、マイケル・ヤングもそういったデザイナーの一人だった。

デザイナーの世界でも、Apple Watchをデザインしたジョナサン・アイブやマーク・ニューソンなどは、昔ながらの人間臭さを残していて、お金だけでは無い所や、親友を大切にしている所や、格好良く生きる事を第一に考えている所などが、僕が気に入っている所だった。

イデーの草創期 #5 ▶

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