日本の若者は何かが違うのか。

May 20, 2009

最近、周りの若者達が生き生きしているようだ。不況だからか、次の時代の予感を感じているのか、ここで動かない訳にはいかないからか、何か本気で日本を変えないと、いや自分を変えないといけないという機運が感じられる。

アメリカの若者は去年はブッシュが大統領のアメリカが自分の国であるのを恥ずかしいなどと言っていたがバブルでお金がたくさんあり、フェイクなリッチな感じを嫌そうにしながら楽しんでいたようだ。

僕はこうしたバブルのゴージャスでセクシーなのよりも骨董品かコムデギャルソンの時代を過ごした訳で、どんなに風変わりで超ストイックでも川久保さんが好きな訳だ。

川久保さん達がパリやニューヨークに売りだし始めた80年代、骨董屋の僕を下手な通訳兼MDとして雇い、時間は自由に働いて良い条件で給料をくれたことがあった。これは僕の人生で一度だけ給料もらって働いた経験でもある。

そのとき初めて自分なりに恥ずかしくないファションを経験させてもらった。それまではイギリスの古着か、よれたヒッピー風の服しか着ず、ファションに気を使うのはなんだか照れくさかったのだが、この時は上から下まで片山君(当時のNo.2)に揃えてもらい、コムデギャルソンの服を着て、パリのクリヨンかどこかのホテルで、服の世界の人達を相手にショーや展示会を手伝ったりした。

そしてこの経験から僕はデザインの世界に行こうと覚悟を決めることとなった。その頃の感じが何か今の若者の目の中に感じられる気がする。

物質主義で結果第一の団塊の世代を親に持つ子供達は、相当変な重圧を学校や社会で受けて育ってきている。すると条件反射の様に、どうすればいいのか、何が正解か、どうすれば幾らお金を得られるかを凄く気にし、安全にお金を安定的に得ることが第一目的の様になってきた。

日本においては、この第一目的から少し外れても、仕方なく真ん中にいても、まあ結局はそれほど変わらないし、それで仕方がないというような雰囲気だった。

しかしここに来てその状況がことごとく崩れ、大企業にいても安全でないし、次の世界を考えざるをえない、きちんと生き甲斐や真実を求めることを考えると、このままではヤバいという状況になった。

しかし社会に貢献することや、自分で生きて行くといっても、まず道を外れたことがないので、どうして良いのか解らないようだ。そして「どうすればいいんですか?」と聞かれる。
「そんなこと自分で考えたら?」僕ができるのは時代の変化とその裏にある理由を説明すること。それから新しい働き方や、今起きていることを説明すること。

この考え方は頭の固まったおじさん達には理解できないようだが、彼らは時代を作りそして成功してきたのだから、まあそれはそれで良いのではないかと思う。

こういう講座をジョン・ムーアと一緒にフリユニ(自由大学)でやろうと今日の昼も盛り上がった。

フリユニモデルで働く、学ぶこと。 ▶

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