アジアから日本を見ると #1

January 24, 2008

毎年定期的に訪れる場所がある。

渡り鳥のように世界中のある都市のある場所のある席に座る事を続けている。サザビーの鈴木陸三さんも定点観測といって、パリやロンドンなどのいつも訪れる場所で、世界が動いている様を感じるそうだ。


バリ島のツカ村のニョーマンの畑を借りてビィラを建ててから、毎年何回かここを訪れる。今回はニョーマンが自宅を改装してるから、朝ご飯を家族と食べないかと誘われてヒンズー教のガルンガンというお休みでもあり、彼のデブな子ども達と朝ご飯。

彼は将来、子どもをオーストラリアと日本に留学させたいといっていた。体は大きいが勉強の方はどう?と聞くと、すぐに上の子は40人中5番で、下の子は11番と答えた。日本では今学校では順番をつけないようにしているから、これを聞いて僕は驚いた。それに続いてバドミントンは上の子は下手だけど、下の子は2番でクラスでは1番人を笑わすのが上手いなどと言ってくる。

僕らが子供の頃は東京の中学校でも壁に試験の合計点を成績順に貼ったりして、それを見たみんなでぎゃあぎゃあと騒いだものだった。確かに勉強の点数も数学は得意だけど社会は駄目とか、科目によって全く違う結果が出るが、中にはどんな問題でも良い成績の奴もいた。だけどそういう奴は喧嘩は弱かったりしたものだ。

結局のところ能力の違いはバラバラで成績は1つの基準に過ぎない。スポーツが出来て女の子に人気のある方がうらやましがられたもんだ。しかしその後の日本では真面目なお母さん達と教師達が、競争はいけない、みんな平等だからなどという理由で、運動会でさえもあまり勝ち負けは表に出さないようにしているようだ。

バリではバリヒンドゥー教、イスラム教、それにこのツカ村のようにキリスト教と多様な宗教がある。それぞれに良い所も弱い所もあり、軽くだが差別や偏見も存在してる。しかしそんな違いにこだわるよりも、それらを超えたコミュニケーションを取らないといけないという事を、暗黙の内に解っているようだ。

バリは、オーストラリアや日本や、最近はロシアや中国からも人が来ているし、そういう国は価値観に対してタフに対応できる。日本人の様なデリケートな感性と、ぶつかっても気にしない骨太なタフな理性の両方があるのが良い。それには違いを認めて納得し、それから許し合う事を知らないといけない。これには訓練や経験が必要だ。

スクーリングパッド等では、自分の今までの奇異で普通ではない経験を、若い人達が合点にぶつけていこうと思う。そして僕を踏み台にしてもらって構わないと思っている。

人間の能力や色々な違いを明確にし、それに対して隠さず認め合う方がフェアだと思う。平等とは同じだけのチャンスをフェアに与える事で、当然優劣はあるがそれはエントリー種目で変わってくるものだ。そんな事、今の日本の現状では、既に子ども達は知ってるから、変に隠さなくても良いのかと思える。

アジアから見ると #2 ▶

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