Public Wisdom 2009

December 31, 2008

数年前に、公共交通と運送は別にして近未来の世界では車がそんなに必要かと思い、No Car Day=一日中車に乗らない日を作ろうというのを考えた。近頃では高級車でデートするなんていうのは古く、むしろ自転車でもよいからゆっくりデザインや音楽や食べ物など楽しむ人が増えた。また美味しいもの作れるシェフの方がモテたりしてきていた。

シアトルには、お金そのものも使わない日=Pay Nothing Dayをやっている人たちがいる。このイベントでは、丸一日お金を使わないでもどれほど豊かに一日過ごせるか、みんなでチャレンジする。お金ばかりの社会とは違った生活へのアプローチがあるのではないかという試み。

自由や夢を実現する為の手段としてお金は一つの方法であって目的そのものではない、とボクはずっと考えてきた。お金はむしろ違った価値観と異次元の事柄や行為をつなぐ価値変換メディアではないかなと思ってきた。

3年前にNo Car Dayを思いついた時は、どうせ銀行や自動車会社や広告会社が、宣伝の力で車を買う生活や、お金をたくさん使うことそのものが豊であるかのようなキャンペーンを張っているのだから、人々はこのまま進みたくさん消費し食料と人口が増え続け、人類滅亡の道を歩まざるを得ないのかなどと思っていた。

しかし現在の世界の状況を観察すると、人類の自己防御本能からして、虚構の豊かさ、幸福感に対し、良くわからないながらに人々はノーと言っているように思えて仕方ない。

バッタが島に異常繁殖し島中の植物を食べ尽くしそして海に行進して全部死んでしまうという現象が起きることがある。自然のバランスに合う生態系にかなう数のバッタがまたもとのように生息するには、またしばらく時間がかかる。これが島でなく地球という玉の上で起きていると考えるとわかりやすい。

「何たることか、世も末だな。」とはぼくの父親の口癖だった。ボクが長髪で騒いでいたり、挨拶や礼儀を欠くとよく親戚中のじいさんやばあさんから、そのようにいわれたものだが、今年の前半までの世界は僕でさえもそう思えるような感じだった。趣味の悪い外資系金融マンが六本木ヒルズのバーでケバい女を連れて騒いでいるのを見たりすると、僕は六本木にはもう行かないと思ったりしたものだった。

しかし今では人類の英知も捨てたものではないなと思うようになった。まずストップをかけ、それから新しい社会に移行しつつあるのが今の世界の現状ではないかと思う。現象的には失業だ不況だと行って不安を持っている人が多いようだけど、今があるから未来があると思うだけの読みが社会の中には目覚めつつあるのを感じる。

人類全体としてはそんなに馬鹿では無かったのだという事。これからそう思って新しい産業を作り上げることが面白いと思うし、僕の周りにはそんな人が集まってきている。Public Wisdom人類の英知にかけるしかない。

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