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April 13, 2009

今の時代の自由とは

最近、自由について考えている。まず明治時代にLibertyを自由という言葉で日本語にしたのは流石だと思う。

Libertyはラテン語Libertasから、Freedomは古代英語Freoからきていて、奴隷の様に労働の義務から離れ解放されている貴族の状態がフリーであるそうだ。その後社会が進み、社会契約説や、個人の権利としての自由が確立された。

しかし何かをしなくても良い自由、例えば勉強しないでも良いという自由がfreeだとしたらそれは消極的な自由だ。その一方で、海外に留学したいとか、世界一周して色々と見てみたいなど、親が危ないからやめろといっても行く自由がある。これは積極的自由だ。

Libertyはラテン語の高貴な自由からきているから、自由の女神をthe statue of liberty という。現在は情報が沢山あり、また何をしても良いというような風潮がある、こうした時代にはかえって不安があり、何か強いものが欲しいと思うものだ。ときに単純で強い言葉などにだまされるし愚かな情報に皆が集まったりする。

元々は、Libertyは「御免」と日本語訳しようという話だった。これはしないで良いという側面から、御免という事が自由だという考えからきたもの。また上意という言葉も候補だったらしい。明治以前の封建時代、お上の意思、上級概念で好きにしても良いという事なのだろうか。

そこを漢語でもなく、日本語として自ずと自己の精神に由るべき事として、自由という風に訳したのは流石だと思う。これは福沢諭吉が決めたらしい。

しかしながらその前提として、自己の夢やビジョンがないとかえって困ってしまう、という現代の自己に由らない状況ができてしまった。疑問や問いかけさえあれば、考えを巡らせていくらでも深めて行くことができる時代にいるにも関わらず、僕らは目的がないとかえって指示待ちしてしまうものだ。

なぜだろうという事に対して、自由に積極的に切り込んで行くような、学ぼうという意思や健全な興味がないと袋小路に追い込まれる。こうした自由に考える視点から自分の興味や意思が現実の行動として試されてこそ、自由が成立するのではないかと思う。

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