理科系アーティステイック

April 7, 2009

最近スクーリング・パッドでインスピレーションを得たが、学校まではいわゆる理科系でその後仕事に就くとき、ボクの様に骨董屋や古本屋や、古着屋や、カフェなど、全く理系と関係ないといわれる職に就く人が面白い。

最近は金融工学などといって、実際に銀行や証券会社や経営企画などの中枢に理科系の人がどんどん進出してきている。ボクも中学や高校のとき理科や数学が好きでただ理科系といわれている方向にいっただけで、別に社会の経済や文学が嫌いな訳ではなかった。

だが何故か日本では理系は眼鏡掛けてオタクっぽくて、からきし女の子とはコミュニケーションがとれず人の心は把握できず、経営はできないという風に差別されている。

自分のことを考えてみると、僕が風変わりなのは理科系だからではなく、ただ性格がこうだからであって、子供の頃、植物採集や実験や科学の問題を解くのが好きだっただけで、サイエンス・フィクションも読んだが小説を読んで泣いたりしてた。その一方で高校の時などは数学できないやつが社長になって威張ってるんだと思っていた。

当時社長といえば経済学部出身で、理学部を出たら研究所でも行くしかないような事をいわれていた。だけど最近はもっと自由に成って特にコンピューター関連のシステムまでも文系の組み立て、哲学や思想も要求されやっぱり思考に境界なし、学問と興味に節操はないんだと思う。

スクーリング・パッドの今期に、数学科で学生時代フリマで古着売り、それからウェブでファションを売ってたりしている人がいた。

そういえばボクが骨董屋を南青山骨董通り(その時はこう呼ばれておらず、後から中島誠之助などと名付けた)に始めたころは、あの辺は寂れていてあまり商売には向かなかった。その場所で初めはエジソンのシリンダー型蓄音機やヴィンテージ万年筆やダンヒルのオイルライター何かと、アールヌーボーやビクトリアンのガラスのシェードなんかを置く小さな店をやった。

自分の学生時代の持ち物を思い出してみると、ジーンズ(ベルボトム)にヒールのブーツ、太いベルトに黒いタートルネクというのが定番で、高校時代はできるだけ難しい数学の問題集やなんかとサルトルの難解な著作など抱え、あと当時はLPレコードなんかをバックに入れずに持っていたりしたものだ。

理科系アーティステイック少年は今もいて、これは数学の難問を美しく解くのが最高の喜びみたいな人だと思う。知識よりどのように把握し解釈し、きれいに解決するかだ。
美しく解くというのが大切で、泥臭く見苦しいのは評価されないが、ある時その泥臭いガリガリな解き方をシステム化してシンプルにそのギドギドの解決法をまとめたりしたことがあった。

これは美しいのと同じ、さらっとしたり、瞬時に解くだけがきれいではないし、とにかくこの道もアートと同じ様にいろいろな美しさがある。これからの時代はこうした理科系アーチィスチックな人と、文科系だけど科学的思考ができる人が創造階級を形成すると思う。

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