現在のデザインの潮流はどこに流れて行くのか。-流体力学からサーフインシェイプへ

October 24, 2008

デザイナーがスターになったのはアンドレ・プットマンが初めだ。80年代にニューヨークの編集者スーザン・スレジーンと組んでFrench Styleというデザインの写真本を出し、イアン・シュレガーとMorgans Hotelというデザインホテルを作り、ここでファッションとインテリアと家具デザインが一体となり情報化された。

Morgans Hotelはフランスの伝統的なエレガントなデザインを基に、ニューヨークのロフトとハイテックなダイナミズムを取り入れた最初のデザインホテルとして成功した。そのとき同時にイアン・シュレガーは投資家を募り、所有権の分散と債券化という型を作った。以後デザインは資本主義の発達と平行し発展することになった。

フィリップ・スタルクは飛行機の設計家の父の影響とバイクに対する愛から生まれた流体力学的な曲線で新しいフランスのデザイン文化を担うことになった。一方イタリアではエットレ・ソットサス一派がMenphisというデザインを考え実験して行くグループでの活動を始めた。ここでデザインが静的なものから、動的に考え情報化されるようになることが一般的になった。

そして数々のデザイン本なども出版され、デザインが経済においても無視できない要素となった。デザインと時代の空気を読めない経営者は経済の流れから取り残されるようになっていった。風説とファションは情報と統計と肩を並べたのである。

一方日本や南半球からもデザインのスターが生まれた。倉俣史朗が世界のデザイン界にその存在感を認めさせたのは、モノの存在の希薄さと素材に対する詩情を感じさせる作風。彼は三宅一生のデザインを一方から支えた。吉岡徳仁はその流れをさらに発展させたと言える。

オーストラリアから東京にやってきて、デザインキャリアをスタートさせたマーク・ニューソンはサーフ文化の中で育った。そして西欧のデザインとは違うFormからなるShapeをアートの領域迄引き上げた。

2000年を超えてDesign,Fashion,Art,Creativityが旧社会の芸術領域から情報化の流れに移り発展してきた。株価と実体経済の関係はデザイン価値と実用価値の関係に近く、流行と実用は情報文明の飛躍的発展により実社会の流れを投影されるものに成ってきたと言える。

マイケル・ヤングやロス・ラブグローブなど、時代の流れそのものようなデザインが情報の形として、また時代の形態として確立されていった。一方オランダのdroog design などのようにデザイン界の中心でない地域から新しいデザインに対する視点が現れた。

物質の循環と経済の流れの変化は同時に起きている。世界同時不況は同時に価値観の変換の時を表している。デザインの真の価値と力が問われていると言える。その時日本とアジアの英知が西欧の思考回路と違った流れを創造できるかが現代日本デザイン界の課題として見えてきている。

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