日本の普通

August 7, 2008

今回のポートランドの旅行だけでなく、大抵外国などに行って感動すると、全てポートランドは良くアメリカは優れているということに成りがちだが、僕は何時もどこにも天国はないけどどこも地獄ではないというスタンス(立場/立脚点)をとっている。違う言い方でいうと、どこにも天国でもあるし地獄でもある。

セッションでは、日本を外部から見たらどうかを比較してみようということで、比較文化論的に日本でプレーした大リーガーと、街の状況作りということでこの街の開発許可を出す立場の建築家でPNCAなどのリノベーション建築をしている人と、そしてKen Rouffという日本の近代史を研究している日本研究の最高峰の学者を呼んだ。

Kenはハーバードでライシャワー(元日本大使)に学び、コロンビアの大学院でドナルド・キーンの弟子として可愛がられ、People's Emperor という本で大佛次郎賞をもらったほどの学者だ。両親プリンストンの学者だし、まあアメリカのインテリのフランクで威張らず権威を借りず独創的なことをいうハーバードらしい人。日本に来たとき鎌倉の大佛茶廊に連れて行って、野尻さんのママと話したりした。

彼は今回のセッシオンで、1905年に日露戦争で日本が勝ったことは、白人でキリスト教優勢であった近代の世界の情勢、及びアジアやアフリカの国々に対して日本が存在感を示した瞬間であり、日本が近代化をする上で欠かせない事項であることを述べた。

だが、その時から欧米の列強のように植民地主義を取り始めた事も指摘し、日本人にとって普通に大国になることを目指した瞬間の普通さ(Normal/Standard/Ordinary)ということを掘り下げた。果たして普通の国家日本とは?

僕らは良く普通が良いじゃないか、普通で良いんだよという。普通ということを日本人は大切にする。しかし何を持って普通というか、普通と言うことが根本的にどういうことか。SUBSTANCE(サブ/下のスタンス/立脚点/本質)という意味と、EXISTENCE(外部に立つ/存在すること)という比較。今の僕の興味と絡んで考えが廻った。

こうして真に知的なエネルギーは周りを感動させる。セッションでは僕の実の祖父が日露戦争で、日本刀でロシア軍人を7人斬った話などもした。日本はこれから世界に胸を張ってまともにやって行くことを期待されている。刀ではなく美意識と知性の力で。そして西洋の基準だけで考えずに我々にとって在るべきものとしての「普通」を当たり前にやって行きたい。

アップルとルーカスフィルム ▶

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