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June 18, 2008

Paint it black-秋葉原の事件の青年に

最近、今までにないパターンの殺人が多い。

旦那が妻を、妻が夫を殺すのは昔からあったとしても、子供や可愛い女の子を殺したり無差別に人を斬りつけるのはどうしてだろうか。ボクの殺人に対する基本的な解釈は、人は何か目的を持っているか、大切なものを守るときに自己を正当化して殺人に向かわせる場合があるというもの。

たとえば戦争のため、聖戦という宗教を守る為、家族や国を守るため。これは宣戦布告したりルールを持ってやる事でかろうじて救いがあるが、おおむね愚かで悲しい事だと思う。しかし人類の歴史は悲しいかな戦争の歴史でもある。

しかし戦争でなくて社会が平静な中で社会に対して反発して誰でも良いから殺したいと言うのは人間の本来持つ指向ではない。追いつめられて怖いからそこから逃げたいと思うか、殺さないと殺されるといった恐怖感がないと人を殺さないものだ。

何らかの理由が作られたり体内に生成されない限り人は人を殺す動物ではない。ただ地球上に人類が異常繁殖してしまった現状では、何らかの形で生物史上始めて自己認識的に拡大増殖と消費爆発を制御する機能として共食いのように相互殺戮が始まったのだとしたら、ここを切り抜ける新しい価値観の創造がない限りこうしたことは続くだろう。

殺人者をその人個人の狂人(常軌を逸した人間)としてみるのと社会的要因による帰結と見る事の両方が考えられるがどちらもあると思う。

ボクは17-8歳頃ストーンズのPaint it black という曲を口ずさんだものだ。

I see a red door I wanted to be painted it black.

街で赤いドアを見ると黒く塗って見たいと思う、全てをクロく塗ってみたいと言う衝動はロックの原点。社会の権威を全てぶちこわしたいというのはパンクの基本。

だけどひっぱたいたり唾ぐらいは吐くけど、斬りつけようとはなかなか思はないものだ。よほどお怒りか、よほど社会と本人が病んでいるとしか考えられない。

戦争がないので戦いの矛先を地球を救ったり人類の救済の為の英知に向けたり、せめてスポーツと文化に向けてほしい。本来人類はそういった方向に生きるものだと僕は思う。

一方、秋葉原の事件の青年にはどこかで救済してあげたいとも思った。負け組なんてない。なにが負けで何が勝ちなんだ、そんな事は周りの大人が決めた事。世の中には美しい事や奇麗なものも沢山あるし良いやつもいるでしょと応援したい。

自堕落になるのは昔の詩人もそうだったけど弱いが故に斬りつけるやつは会って救いたい。

SHOOLING-PADセッション 
OGATA REPORT:僕たちの「応援団」

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