Change with wisdom 国連大学での試み

August 26, 2008

1999年に僕らはTokyo Designers Blockを始めた。それまで世界中でいろいろなデザイナーと仕事しスプートニクというデザインのイベントをやっていたが、その次に青山界隈を中心にデザインイベントを始めることにした。

そして、通り=ストリートについて考えてみると、日本では住所は何丁目何番地というように畑の面に順番に地番がついていることに気がついた。また東京は本当に住所が判りにくいと外人がいうがそれは仕方ない。それは通りを基準に住所ができていないから。それから僕はストリートの視点でものを見るときこの違いをいつも思い出す。

その後2003年にはデザイナーズウィークとともにこの僕らのデザイン状況の創造が評判になってデザイナーが世界中から集まるようになった。状況というのは施設や要素と人が絡んで独特の熱を帯びることがある。

2000年に初めて国連大学に行き、デザインイベントに貸してくれませんかと学長ハンス氏に話し特別に使わせてもらった。その時、いままで閉じられた空間だった国連大学にデザイナーや学生が大勢押し寄せプロの文化祭と言った様相を呈した。中にはウタントホールという国際会議場があるのを始めて知った。

国連大学は、戦後始めてアジアから国連の事務総長になったビルマの偉人ウタント氏による、世界の平和は知性と学問なくしてはあり得ない。国連が大学を作らなくては行けないと考えから出来た。その時世界で文化貢献をしたいと考えていた日本が場所、施設を提供して青山に国連大学ができた。

僕はこのウタント氏の顔を覚えていたのでいたく感動し、その後この国連大学で講演会やイベントを企画するようになったという訳だ。世界中を旅するヒッピーとしてはどこかで世界中の友達に恩返しをしなければいけないと感じていたこともあった。国連大学の上層部が日本人にはあまりいない知的貴族な人達で冗談の質が通じるものがあった。

そこで最近の世界の環境とサステナブルな問題を考えて新しい学長のコンラッド氏や僕の友人のダルタニヤン氏に、国連大学はここで思い切り理想を表明し、世界を救えるのは人類の英知を集めるしかない(We want to save the planet with wisdom.)というメッセージを出すべきだと話し合った。そしてそのためにはまずここを変えなければという話になった。

そうしたら国連大学は君を学長のアドバイザーに任命するからやってくれないかという話になった。そこでグリーンキャンパスプロジェクトを始めることにした。一階にこの為のプロジェクトルームを作ってもらい、スクーリングパッドの生徒にも手伝ってもらってここを盛り上げて行こうと思う。今年からここを拠点にささやかながらもボクのできる限りのことをやって行こうと思う。

都市はキャンパス ▶

twitter