自由からの解放

April 24, 2009

何故、人はそんなにお金が欲しいのだろうか。

通貨が発明され、人々はまず物々交換の難題から解放された。僕の魚3匹と君のトマトは何個が適切なのだろうか?僕のレモン5個とおばさんの作った布は何枚くらいが良いのか?

モノだけを見ても、その価値の答えはいくら考えても決められない。そこで値段がついていれば自由に決められるのにと考えた。欲しいものが欲しい。これが市場経済。

飛行機に乗って隣の人がいくら払って航空券を買ったかを聞くと、きっと両隣とも違っているだろう。買い方と買うルートで価格が違うという事。

今の若者はお金があると何でもできると思っている。少なくとも自由が得られると考えている。お金で何でも買える。買えるものが全てだ。だからお金こそが自由だ。お金のない自由はないのか。

食べ物は買うものだと考えているし、働くとは時間でお金を得る事だと思っている。就職は自分の労働を売ってお金を得る事だと考えている。買う自由が自由だ。縛られる事がないことが自由だ。

しかし本当に何をしても良いと言われると、何をして良いのか分からない。値段を決めてくれないとモノの価値が分からない。そしてこの大不況。何も変わっていないのに、全てが崩れているそうだ。

決まった給料がないと不安になる、決めてくれないと自由な気持ちになれない。お願いだから、自由だなんて言わないでくれ。自由がないと落ち着く。縛られてこそやっと自由に生きられる。

本当に自由に生きるとは、自由から逃げるしかないのだろうか。お金から離れて生きてみてそこから考えるしかないのだろうか。

これがいまの東京の自由。世の中で最も大切なモノのはずの自由から逃げたいと思うのは、このお金との関係を整理しない事にはあり得ないのではないか。

敗者復活がある自由な社会 ▶

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