相撲とデザイン

February 14, 2011

大相撲がまたもや八百長問題で荒れているようだ。相撲はスポーツと言うより儀式。

相撲の勝負を楽しむ日本の文化だとしたら、当然、賭けも昔からあった。むしろ賭けない勝負なんかつまらない。ただ、それが裏社会で行われるので、八百長がある。むしろ国技ならば国がギャンブルをどこかの機関にやらせて、そこから税金を取ればいい。宝くじよりも面白そう。

こうした揉め事をどう捉えるかが大切、朝青龍のときも、仮に相撲をモンゴル人にやらせ、一番強くまで上り詰めた横綱が、生まれ故郷のモンゴルで英雄のようになって、無邪気にモンゴル人としての喜び方を表現したり、態度を取った。

それが日本の文化としての美意識や様式に合わないのなら、横綱を辞めさせてから朝青龍に大相撲の大使とでもしてあげて、仮にも一番強かった人を尊敬してあげる余裕が有れば、モンゴル人も日本を好きで、あり続けたはずだ。大相撲大使朝青龍がモンゴルに日本文化を広める。せっかく日本ファンなモンゴル人を敵にまわさなくても良いのではないか。と僕は思う。

これからインターナショナルな世界で生きて行く時、宗教も、風習も、価値観も違う世界の国々の中で、どう日本は生きて行くのかは、ヒッピーのようにだらだらとジーンズを履いて世界を歩きまわり、いろんな所で友だちを作ってきたぼくとしては気になる事柄。

去年、香港のデザイン展に参加して、展示が終わったら、プロダクトが盗まれた。また、送り返してきた物の梱包がひどかったのがあって壊れてもいた。ちなみに僕らの参加したDETOURを4万人以上来て、Pure Water Design としてまとまった、日本のデザイナーのレベルは高かった。それは香港側も良くわかっていた。

香港側の主催者が丁重に詫びを入れてくるわけでもなく、保険は展示する側で掛けるのが当たり前だと言い切るわけでもなく、どうして好いか解らないで、日本側の担当者は、オトシマエをつけてくれさえすれば僕らも、対処できるのにと困っている。怒りのやり場がない。

参加デザイナーにどういったら良いのかも解らず、辛い所だ。こうしたことが世界ではよくおこる。日本人は要するに真面目なんだ、世界で一番真面目な人種。そこで海外で怒って喧嘩する前に、じっと考える事を、此の短気な僕は気をつけてきた。

そのときに一番大切なのは個人的な人と人のつながり。一緒に話して、心をつなげたことがあるか。美味しい食べ物を食べて時間を共有したことがあるか。と言うことだと思う。それをもとに、ユーモアを持って、怒らずに、良い言葉を発して、相手に謝らせることがどれほど大切か。こうした、仲良く喧嘩すると言う感じは、日本人は下手だ。

また、香港のデザイン展に出店したデザイナーの坪井君の腕時計が、写真でデザインを発表したら、その腕時計の本物を製作する前にコピーされた。それもカラーバリエイションもあって、すごく安く。こうしたコピー物は最近では性能もあがってきて、メカなどは日本製のムーブメントなど使い、時間も狂わなくなってきている様だ。

そう来るならば、坪井君に言ったのは、ぼくがコピーメーカーに交渉してあげるから、どうせコピーするなら、こちらの指導を、ちゃんと受けて、オフィシャルコピーとしてやりなと言ったらどうか。どうせ真似したいと思うのは、それだけいち早くそのデザインを認めてくれていると言うことだから、きちんとディレクションを受けたら如何な物か。

ロイヤリティーはどうせ同じようなパーセントなんだからデザイナーには売り上げに応じて払われるから関係ない。そうすれば良い。すると、それをまたコピーするようなメーカが現れるだろう。今度は中国国内でオフィシャルコピーメイカーがコピー企業を訴えることに成ったりして。そこで坪井君がオリジナルを10倍の値段でも発表する。もう殆どオリジナルアートとして。

プロダクトデザインの世界ではもう、こんな戦いが始まっている。そのとき、始めてプライドを持ってオリジナルを作る企業とオフィシャルにコピーをする企業と、ただコピーする企業を僕らがどう受け止めるかだと思う。

そのときに、ちゃんとデザイナーの創造性を権利として守って行く。何か相撲とこの国際間でのデザイン戦争も似ているように思う。それは侵略戦争でない戦争なんてないと、地域を取ることが核心の、アメフトを見ながら言っているぼくの確信と重なってくる。こういう風に世界の状況を見て行くと面白い。そして最後は賢く、ちゃんと自分の位置を維持できる国が尊敬される。

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