グリーンなライフスタイルと創造的生活との関係 #3

March 23, 2010

グリーンの根本にあるのは葉緑素であり、これは光合成をつかさどる大切なもので、これがあるから光のエネルギー変換が可能になるというのは分かってはいるけれが、更にこの役割と機能を考えてみる。

汚い空気には二酸化炭素がたくさんあり、そこで太陽光線と植物と水があれば光合成により酸素とカーボンエネルギーに変換されそれを食べて動物が生きて行ける。簡単にいって僕が理解してるのはこうしたところ、植物が健全に成長するためには他の栄養素も必要だが、光と空気と水から葉緑素によってきれいな空気、酸素と緑に変換される。

このマジックのようなことを科学的に理解する前から、人間は太陽ときれいな水と空気を心から求めていた。排出ガスや二酸化炭素の取引などという前に、自然の中できれいに生活するのがいいと感じるように僕らは出来ていると思う。

僕がここで言いたいのはこの葉緑素のような働きを人間の中で見いだすとしたらそれはなんなのだろうかということだ。

自分自身という言葉を手がかりに考えてみると、自分、自らを他者と分つもの、自分が他人とどこが違うかという認識をどこから得るのか。ここはいろいろな情報を持って比較してみないとそもそも分からない。

頭と感覚と思想によって自己に繋がるもの。これは認識を得ること、すなわち学ぶといってもいいかもしれない。自然と自分/他の生物と自分/他人と自分/社会と自分/世界と自分と言ったように。対比し比較して学んで考えてこそ自分というものが分かってくる。

それともう一方にある、自身。自らの体、身体性、これは食べたり動いたり、動物としての人間、What you eat is what you are. ここには食べたものが自分を作るといったように、口から取ったものが消化されて血と成り肉と成り、髪の毛やツメにもなるという身体を作るということがある。

だから食と学びは繋がっている。本を読んだり、目で見て認識して学ぶし、口から食物としていいものを取って体が出来、それらが合わさって自分自身が出来るんだ。それから各々の個性と考えにより自己がある。

自己を本当に得る為には精神の浄化作用、宗教も実はそうした側面がある。心の葉緑素は僕にとっては精神の浄化作用、美とも言える、きれいに振るまい、きれいに生きたいという希望。

それを実感するのはアートやデザインで生活の実体がきれいであるという認識になると思う。簡単に言うときれいな仕事をしてきれいなものを食べて、きれいな人間関係で、きれいな空間と家具に囲まれて、緑に包まれて生きて行きたいということ。

そこで心の中の葉緑素は僕の生き方からすると、きれいなもの全体、デザイン感覚なのかとも思う。クリエイティブに生きるってことは、何時も心の中に葉緑素を持っているようなものだと思う。

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