IDEE UNIVERSAL

January 13, 2022

僕の仕事は、青山にCROAという、CROW(鴉)から名前をとった骨董屋を作ったことから始まっています。

当時のあの場所はまだ、骨董通りという名前もなく、渋谷から六本木まで走る都電が通る、都電通りと呼ばれていました。

その頃、弟のシンジがロンドンに留学していて、彼の骨董収集癖を伸ばしてやろうという考えもあり、エジソンの蝋管蓄音機や、ONOTOやWatermanの古い万年筆や、Dunhillのオイルライター、ガラス器などを送らせて、CROAで売り始めました。

CROAには、カラスはなんでも収集する癖があり、カラスの巣はそうして集めたもので作られていることが多いことから、カラスの巣のような骨董屋を作ろうという意味合いで始めました。

ちょうどその頃は骨董ブームで、青山では、西洋骨董は僕らが中心になって始め、和骨董は中嶋誠之助さんが古伊万里染付の専門店「からくさ」というお店をやってらっしゃいました。そうしてこの通りは、骨董通りという名前になりました。

ちなみに去年作った会社も偶然カラスにちなんだ、WATARIGARASU(ワタリガラス)という名前です。

しばらくお店を続けている内に、骨董のランプやガラス器などのインテリアが好きになり、また興味が家具など、大きなものに移っていきました。そこで建築やインテリア、アートやデザインを自分で学びました。この時も先生は骨董屋さんでした。そしてイギリス、フランス、アメリカを回り、世界一周をして家具を買い付けしました。

50年代や60年代のデザインに興味が移り、パリの蚤の市で見つけたセルジュ・ムーユのランプから、当時デザイン学校で教えていたセルジュの家に行き、そこで鴨をご馳走になったりして、彼を日本に招待してオリジナルの型を分けていただき、FORMというブランドを作り売り出しました。

そうしているうちに、当時まだ若手だったPhilipp Starkを日本に招待して、当時始めたIDEEという家具のオリジナルデザインの会社から発売しました。また、Marie-Christine Dornerという若いフランス人のデザイナーの家具を発表したり、Marc Newsonという才能を発掘して世界中で展覧会をやったり、まさにデザインの中心で活動をすることになりました。

そしてSputnikという活動を始め、世界の新しいデザイナーと組み、家具を中心に様々なデザインを発表しました。Tokyo Designers Blockというデザインイベントには世界中のデザイナーが集まり40万人が参加しました。一瞬かもしれませんが2001-2003年は東京がデザイン界の中心になりました。

その後は、R-projectというRethink、Reset 、Recreateをする会社やムーブメントを作りました。そして良品計画にIDEEという会社を買っていただき、僕はスクーリングパッドという学校法人ではない 「学びの発射台」を中村悌二さんと始め、その後たくさんの会社を設立してきました。

IDEEを買ってもらった後、IDEE UNIVERSALという会社を設立して、いつかまたデザインや建築に戻って来れたら良いと思っていました。2009年頃から国連大学前でFarmers Market @UNUを始めました。その後、石川県小松市の苔庭に魅了され、北陸の古民家や工芸を再生すべく、地方再生をやり始めました。

次第に農的な働き方にも興味を持ち、それまで海外の文化に向かっていた興味が日本に向かいました。そして、小松市の滝ヶ原に古民家を購入して、カフェに改装したり、一方、IDEEの頃始めたR projectの流れで、古い都心のビルを借りて自分たちで改装して、働く場所としてMidori.soを始めました。

また去年から新しい働き方のメディアを作るべく、WATARIGARASUを設立しました。

つまり、色々な活動を通して、社会を変えて行く事を目指して来たという訳です。思えば、IDEEの頃からa house as a furnitureなどという企画をしていて、家具からインテリアデザインや建築、アートにも関心が向いていました。

そして今回のコロナウイルス禍がやってきました。働き方から資本主義の未来まで、根本の考え方を考え直さないといけないのではないか?と考えるようになり、良い大学を出て大企業のサラリーマンになり安全な生き方をして一生を終わるという、日本の人生のパターンを考え直すべく、最近は自分の身の回りから働き方を考え直したいと思います。そこでこの度、IDEE UNIVERSALをスタートさせるべく準備を始めました。

Tech feudalism ▶

twitter