Tech feudalism

March 28, 2022

ウクライナ問題は、一つには民主主義と、専制主義の対比から始まるように見える。

プーチンのロシアや習近平の中国のような、一人の専制君主の様な人間が頂点を極め、絶対的な権力を握るというやり方に対する世界中の反発のように思える。

プーチンがどんなに優秀で素晴らしい権力者だとしても、中央集権的な力を持ち、封建的な王国を作って行くようなやり方、封建主義に反発がある。

また一方、GoogleやFacebook(Meta)のようにテクノロジーのシステムでのプラットフォームによる中央集権的な機能に対する反発もある。

プーチンはお城のような宮殿を建てるし、マイクロソフトのビルゲイツは何十兆円もの個人資産を持つ。

現代においての民主的なやり方とはどんなものか?ギリシャ時代の民主主義もアテネとスパルタのように違った民主主義がある。

僕の小学校3−4年の愛読書のプルターク英雄伝に出てくるテミストクレスやペリクレスの様なヒーローとは違い、テクノロジーが発達した現代も封建的な思想がある。ただそれも一概に悪い事ばかりでもなく、仁や義や礼節など日本の古くからある良い所もあり、民主的なやり方は深いところで共通することがある。

それは互いに対し尊敬をもって接するということ。他者を尊重するということ。

資本主義の良くないところはお金がまずあり、それにより戦略とコミュニテイをたてると言うやり方から、最後はまたお金に戻ってくるというやり方な点だと思う。

ウクライナや現代の社会をじっと見てみるとまず行動や戦いがありそれからコミュニティーができてそれを支えるソフトウエアが生まれる。ということもある。

新しい形の戦争が今ウクライナでは生まれているようだ。一方アメリカの若者たちの中にはコンピューター社会に対する依存、モバイルに偏りすぎずに人と人との関係性の欠場に対する不安や反発などがある。

非中央集権、まず闘いや行為が先行してそれをソフトが追いかける。個人の思想や意思がついてくる。それはまさにブロックチェインのDiscentralizationとTracabilityとつながっているようだ。

人間は権力や独占に対してどれほどのエネルギーが注がれるのか?人の上に立つことに対する魅力は僕にはあまりないし、民主主義は皆を尊重して、たとえ時間がかかっても納得してもらってから一歩づつ前に進むというやり方をとる。

一方現代的テクノロジーの中で生まれた富の集中、権利の集中もありここにも矛盾がある。一部の個人が国家予算よりも巨額の富を持つ。これは現代のテクノロジーが生んだ封建君主的な立場を作ってしまった。

一方、日本の国内の思想や風習にも現代と合わないことがあり、僕は最近日本的な風習の中に潜む良さを発見して楽しんでいる。

だから現代のアメリカ社会で起きている価値観が全てではなく、歴史的に見て、日本的な価値も深いところで理解して、ユダヤやキリスト教的な発想もよく理解して世界で起きて行くことを見ていくといいと思う。

「ちょっと待てよ?何が問題か?」をもう一度考えてみよう。しかし、それにつけてもウクライナでは子供達が殺されていることは本当に見るに忍びないことだ。

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