新しい気持ち

January 5, 2022

2022年のお正月にあたり、色々考えてやり始めます。

新年といっても、別に何も変わらないじゃないかと考えることもあるけれども、折角だから、新しい気持ちを思い切り引っ張って、素直に新しくやることを書いてみようと思います。

「明けましておめでとう」という言葉自体をどう捉えるかはありますが、ここは素直に新しい気持ちを発揮して、去年までのことは水に流して、「新年明けましておめでとう」と言いたいと思います。

昨年は、いやこの年は人類の歴史にとって初めての経験が沢山ありました。まずは、世界中で初めて、今までの歴史上になかった、コロナウイルスのために旅行が制約されました。今までも疫病はありましたが、飛行機やすべての交通機関を通して、より早くより遠くに旅をすることを真っ向から否定された経験は初めてだと思います。

僕もここ10年以上、毎年20回以上世界に旅をしながら生活してきました。しかし、去年は初めて海外に行く事もなく、国内にいると、それはそれで良いものだと思えるようになります。これはこれでそういうものと思えば、それでいいというようなものです。

大震災の時も津波で流された海沿いの街に真っ先に行き、今までの我々の文明の発展の方向を考え直す時と思ったのですが、また元に戻るような価値観で、僕の考え方と逆の方向に世の中が向かうのを見るにつけ、ガッカリしたり残念だったり、自分の歴史観に対して、真っ向から否定されたように思ったものでした。

今回のコロナウイルスのために旅行が制約されたことは 人類が移動を制約される経験を受け止め、ちょっと待てよ、今までのままではいけないのではないか?と考えてしまうのが僕の思考方法です。この事をどう受け止めて解釈して次につなげるか?そこが僕にとっては肝になってきます。

ちょっと待てよ、現在地球上は人類が増え過ぎて、人間の欲望のままに酸素を使い、二酸化炭素を排出して、自然を破壊して、あまり賢いとはいえない行動のために、気温が上がり、汚染され人類が生存する事もままならないようになって来ている。ここは賢明にも、欲望を抑えるところは抑えて、文明の発展の方向も考え直して、人類存続を目指して、もしも人類が賢明な生物だとしたら、色々考えてやっていかなければいけないのでは無いか?という考えが現実のものとなってきたと思います。

また現在も続く世界中での争いの事もある。もし本来幸せを我々にもたらすはずの宗教が機能しなくなっているとしたら、日本の神道のように緩く自然崇拝を入れ、すべての木々に神が宿るといった、一神教では無い神様の概念を交えながら宗教を考え直してみることが必要かとも思う。

ギリシャ神話でいたずらな神様も登場するように、日本の神様も常に正しいとは限らないといった大きな緩さが大切だと思う。ここで「水に流して」という日本の文化が生かされて来ると思う。日本人の持つ自然観、宗教観、人生観が必要になって来る。

僕の一族は、明治の時代にフランスに留学して陸軍のシステムを学んだり、火薬を開発したり、航空力学を学んで飛行機を作ったり、大叔父などは東大を出てからドイツやスタンフォードなどに行ったりと、まあ風変わりな武士の末裔だったようだが、僕はというとロックに影響され、物理と哲学をかじったヒッピー少年のようなもので、60年代から世界中を旅してきた。

その人生観からして、今回の世界の状況を見るにつけ、人間の歩みを考え直すいい機会だと思う。そこで資本主義経済を考え直し、宗教観を考え直し、文明を考え直し、文化を作っていくことをやっていきたい。

今までは、大学出てから骨董やったり、家具やデザインに凝ったり、アートや生活の探求を考えたり、学びや生き方や働き方を考えたりしてきた。そして農的な働き方や生き方を考えた。僕が高校生の頃は世界の人口は30億人くらいだったのが、今は70億になり、もうじき100億人に届くと言う状況で、高齢化も進んでいます。

そこで日本人は今までの貧しい生活を、大多数の人が生活に困らないくらいに豊かになり、皆、中産階級に所属して、自分の家を持ち、より安全に生活するという方向の価値観に向かった来た。

しかしその次に来るものに目的や努力目標が見つからずにいるのが現状では無いか?僕はより美しく生きたり、美を求めたり、趣味性を追求したり、音楽や植物に興味があります。

しかし高みを求めないで、現状に満足するという方向の価値観になり、行き詰まり感が出てきているのが現状と、僕は感じています。

経済的な目標や大きな欲望や目的を見つけることが難しく、教育もすべて満足して小市民的に暮らしていく様に仕向けているようです。

そこで今後は、欲望というより希望を求めたり、対立することや競争することではなく、一緒に協力していうことに喜びを見つけたり、戦争するより仲良くすることを目的にして、量的な増加より質的な上昇に目的を向けていくことに転換して行くことが大切です。


その役割を今までは宗教が担って来ましたが、これからは自然にも学ぶことも大切になって来ると思います。宗教から転じて大自然の叡智から学んでいく。というように文化人類学的にも、アマゾンやアフリカやアジアの人々から学んでいくことが大切です。

それも素早く学び、手際よく修正していかないと間に合わないというところに来ています。新年こうして考えると、前途洋洋、大活躍していかないといけませんね。大きく胸いっぱい息をしてやらないといけません。

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