Freedom University #2
April 30, 2009
今度立ち上げるプロジェクト「自由大学」では新しい自己責任型労働分配システムをやろうと思う。
僕は4年前に、池尻の廃校になった中学校を改装し、そこでスクーリング・パッドという学校を始めた。ここはいってみれば現代の寺子屋のようなもので僕はデザインコミュニケーション学部をやっている。
クルーと呼ばれる生徒は4学部で今までで1500人ぐらいになった。終わった後も卒業というよりコミュニティーに入る感じで面白くて有能な人が集まっている。
弟がポートランドから帰って来たので、一緒にスポーツジムに行った。その時、ポートランドの今の市長は、若い時にお金をつぎこんで自己破産した経験があると言っていた。自らそれを公言した事と、苦労を乗り越えてきた経験が美談になっているようだ。
何故、人はそんなにお金が欲しいのだろうか。
通貨が発明され、人々はまず物々交換の難題から解放された。僕の魚3匹と君のトマトは何個が適切なのだろうか?僕のレモン5個とおばさんの作った布は何枚くらいが良いのか?
モノだけを見ても、その価値の答えはいくら考えても決められない。そこで値段がついていれば自由に決められるのにと考えた。欲しいものが欲しい。これが市場経済。
最近、自由について考えている。まず明治時代にLibertyを自由という言葉で日本語にしたのは流石だと思う。
Libertyはラテン語Libertasから、Freedomは古代英語Freoからきていて、奴隷の様に労働の義務から離れ解放されている貴族の状態がフリーであるそうだ。その後社会が進み、社会契約説や、個人の権利としての自由が確立された。
最近スクーリング・パッドでインスピレーションを得たが、学校まではいわゆる理科系でその後仕事に就くとき、ボクの様に骨董屋や古本屋や、古着屋や、カフェなど、全く理系と関係ないといわれる職に就く人が面白い。